番外編 ~彼、彼女が無名であった理由~ 2-3、ルアンナ・ブラフィルドの場合
番外編ラストです。
予想していなかった、二人の小さな客人。
しかもなんと――初対面である。
勘違いして声を荒げ、泣き顔を見られ。力任せに扉を開ければ、謝られた。
その気まずさといったら。
「……ど、どうぞ」
ルアンナは、ぎこちなく室内にあった椅子を勧める。
怒りの感情は、もう無い。いや、完全に消え去ったわけではないが、ルアンナの心を占める割合としては、動揺がそれを大きく上回っていたのだ。
よって、彼女の内に点いた火は一気に沈静化したわけである。――今は、という言葉はつくが。
「どうも、ありがとうございます」
礼を言い、素直に腰掛けるは、白の少年。
「…………」
対し、黒の少年は、椅子に座らず然もそれが当然であるかのように白の少年の傍らに立った。
……ど、ど、どうしよう。
それを、おっかなびっくりとして見届けるは、他でもないルアンナである。
とはいうものの、平時――引きこもってからの彼女であれば、こんなことはしなかっただろう。
招き入れるどころか、扉すら開けなかったはずだ。それが例え、両親であったとしても。
始めに、虚を突かれた。次に、疑った。それから、怒った。
――いや、怒ったという言い方は正しくはあるが、不足している。まず間違いなく、大激怒、感情の爆発であった。
勢いに任せ、元凶のもとに歩を進め。しかし蓋――扉を開けてみれば、それは自身よりも確実に年下である、子供であった。
いや、年下の子供だということは、声からして予想がついていたが。
思い込んでいた、こちらを嘲笑う様子は、なく。見知った姿もなかった。
そして、気付いた。
――見知らぬ年下の子供を、怒鳴りつけている。
もっとも、それだけが理由というわけではなかっただろう。それだけでは、一度点いてしまった大火の勢いを弱めるには至らない。
つまり、冷や水を浴びせられたかのように、一気に怒りのボルテージが小さくなったのは。
二人の子供の態度が態度であったからだろう。
片や、謝罪の言葉と共に申し訳なさそうな雰囲気を漂わせる、白の少年。
そして問題の――微塵も興味無しといったような仏頂面をした、黒の少年。
あれ? とまず間違いなく、その時点でルアンナの思考は一時停止した。
そして、またまた気付いた。
――いつの間にか、部屋の中に招き入れている。
「えっと、僕が言うのもなんだけど……お姉さんも座ったら?」
「は、はい……」
その、動揺ぶりといったら。
客人であり年下でもある白の少年に促され、ベッドに腰を下ろす始末。
けれども、そこは年上としての矜持か。
「え、えっと……あのね、君達は一体――」
「お姉さんを、スカウトしにきたんだ」
なんとか絞り出した言葉は、しかし白の少年の言葉によって潰される。
「……ス、スカウト? スカウトって何、の……」
一度口に出して問おうとし。しかしその最中で、ルアンナは気づき、言葉が尻すぼみとなる。
胸に去来するは、先程の扉越しのやりとり。
――その力で、シュラハトをやろうとは思わないの?
刹那、ルアンナの瞳に、剣呑な光が宿る。
おどおどとしたそれは消え、明確な敵意を以て、眼前の少年達を睨みつける。
「……まさか、シュラハトの――ソルジャーのスカウトなんて言うんじゃないでしょうね?」
だが、彼等は委縮しない。ルアンナの敵意などどこ吹く風といったように、全く態度を変えない。
それどころか。
「そうだよ。僕達はお姉さんを、ソルジャーとしてスカウトしに来たんだ」
実に、あっけらかんと。
ルアンナの苦悩など、気にした様子もなく。
だから、と白の少年は言葉を続け。
「――僕達と頂点、目指してみない?」
なんでもないように。しかし、とんでもないことを。
平然と、言い放ったのだ。
これに言葉を失ったのが、ルアンナである。
だが、それも一瞬のこと。
所詮は、子供の戯言。しかし、それは決して看過できるものではなかった。
むしろ、初対面の見知らぬ子供達すら、自身を揶揄うのかと。揶揄うために、その言葉を出したのかと。
彼女の中の焔は、再び燃え上がり。
「馬鹿にしないでっ! 私だって、私だってっ!」
憧れていた。目指していた。
その舞台に立つことを。その舞台に立てることを。
あの時までは、才に溢れた少女と、周囲はルアンナを評していたが。ルアンナとて、ただ座しているだけで何事も上手くいったわけではない。
努力をした。ただ一心に、頑張ってきたのだ。
それなのに――。
「貴方達に分かる!? 頑張って、努力して、何年も待ち望んで――やっとの思いで発現した契約武装!」
それなのにっ――。
「でも、誰もが……誰もが、私の契約武装を見て、馬鹿にしたように、笑う! 気持ち悪いって、蜘蛛みたいだって!!」
――それなのにっ!!
「そんな私の気持ちが、貴方達にっ――」
「――それがどうした」
それは、唐突に発せられた。
今まで一言も喋らず、退屈そうにしていた、黒の少年からである。
「え……」
気色ばんでいたルアンナは、思わず息を呑む。
いつの間にか黒の少年は、ルアンナを見ていた。
「馬鹿にしたように笑われる。気持ち悪い、蜘蛛みたいだって言われる」
黒の瞳と碧の瞳が、交差する。
「で――それがどうした」
明らかな年下だというのに、その迫力に――凄みに、ルアンナは押し黙った。押し黙るを、えなかった。
視線は、まるで固定されたかのように、動かない。
――それがどうした。
淡々とした、ただの一言。
しかしこれに、ルアンナは何も返すことができなかった。
言葉だけをみれば、なんでもない一蹴の一言。
ルアンナの心の叫びを聞いてなお切り捨てる、冷酷な一言。
しかしてそれは、ただの子供の生意気な一言ではなかった。
そんなもので表現できるものではない。そんな程度ではない。
「周囲が笑ったから、なんだ? たかだかそんなことで、泣いてんのか? 天能をものにして、黙らせようとは思わないのか?」
言葉に込められた、意味がある。重みがある。
何より――力がある。
「少なくとも俺は――そのつもりだ」
ゾクリ、とルアンナの顔が強張る。
声の大小なぞ関係無い。言葉に込められた、圧倒的な力。
彼は、真っすぐに。瞬きもせず、ルアンナを見ている。
昏い、昏い、漆黒の瞳。まるで全てを呑み込むような――。
「それに、いいじゃないか、蜘蛛。蝶なんかより、よっぽど好きだぜ、俺は」
「……え、蝶? ……ごめん、堅一。何を言ってるのかよく分からないや」
唐突に、重圧が霧散する。
さながら、魅入られたかのように。堅一と呼ばれた、黒の少年の瞳を見続けていたルアンナであったが。
それも、彼自身がルアンナから視線を外し、椅子に腰かける白の少年を見下ろしたことで、終わる。
「ん? だって女って、蝶みたいなのが好きなんだろ?」
「えーと、まあ……蜘蛛よりは好きだろうね」
「俺は嫌だぜ、蝶は。ヒラヒラと鬱陶しいわ、なにかの役に立つわけじゃないわ……離れて見れば別として、近くなら見た目的には蜘蛛とそう変わらないだろ。目とか、足とか」
「……いや、言いたいことは分からなくもないけど。うん、うーん?」
「その点、蜘蛛は静かにしてるし、虫は食ってくれるらしいし。ほら、蝶なんかよりよっぽど蜘蛛の方がましだ」
仏頂面が嘘のように、突如饒舌に喋り始めた、黒の少年。
対し、白の少年は言葉こそ肯定しつつも。自信満々といった黒の少年の様子に、苦笑いを浮かべて首を傾げ。
――それが、なんでか。
「……フフッ」
おかしくなって。嬉しくなって。
笑ってから、ルアンナは自分が笑ったことに気付き、驚く。
最後に笑ったのはいつであったかと。まだ己は、笑えたのかと。
気付けば、少年達の会話は終わり、彼等は揃ってルアンナを見ていた。
「その契約武装が――天能がなんであったとしても。僕は、絶対に笑わない。こんな態度だけど、この堅一だって、絶対に笑わない。今ここにはいない僕達の仲間も、絶対に笑わない」
力強い、宣言であった。信じようと思える、約束であった。
白の少年は、気持ちの良い笑みを浮かべ。
そうして。
「もし笑う奴がいたら、そんな奴は実力で黙らしちゃおう。お姉さんなら、きっとできる。僕達なら、できる」
白の少年は、ルアンナへ――毒蜘蛛の女王と嗤われた彼女へ、その手を差し出した。
「改めて、お姉さん。――僕達のチームに、入ってくれるかな?」
――――――――
「準備はいいかい、二人とも?」
発案は、白の少年だった。
問われたルアンナと堅一は声を出さず、しかし互いを見て頷きあう。
「よーし、じゃあ、ルアンナ!」
楽しそうに、合図を出す白の少年。
それを受けて、ルアンナは契約武装をその両手に纏わせた。
現れるは、毒々しい紫色の手甲鉤。
それは、相も変わらない。変わるはずもない。
だが、別によかった。
忌避感は、劣等感は、全く無い。……と言ったら、ちょっぴり嘘になるけれど。まだ、今は。
「えっと、連結、連結、連結――」
爪の先を堅一に合わせ、唱える。
ビュッ、と発射される糸。それは、幾重にも堅一の胴体へと巻き付いていく。
「うんうん、じゃあ僕が今から堅一に向かっていくから、僕を敵だと思って、ルアンナは上手く堅一を回避させるんだ!」
言うや否や、全力で堅一へと突撃していく、白の少年。
つまりは、これが白の少年の発案。
ルアンナの糸を以て、相手の攻撃から味方を強制的に回避させる、チームプレイ。
ルアンナは、腕にグッと力を込め、堅一を見る。
彼のことは、聞いた。
自分の悩みなんて、いかにちっぽけなものかを思い知らされた。あの時の言葉は、ただの少年の大人ぶった背伸びではなかった。
そんな堅一だって、頑張っている。自分より年下の、彼が。
なら、自分だって頑張らないと。
だって、自分のこの力は、
「えーいっ!」
――きっと、そんな彼の助けになれるから。
白の少年が堅一の目前に迫ったのを見て、ルアンナは大きく両腕を振り上げる。
力加減も分からず、全力で。
すると、ポーン、とまるで跳ね上がるかのように、堅一は勢いよく宙に舞った。さながら、逆バンジーのように。
「あ、あわわ……」
その光景に泡を食ったのは、何を隠そう、ルアンナ本人である。
思いのほか高く堅一が飛んでしまった。
しまった、力を入れすぎたと後悔するも、堅一は既に上空にいる。
「ルアンナー! 解放、解放だよーっ!」
そんな彼女であったから、白の少年の声にも遅れて気付いた。
「あ、い、いけないっ! 解放っ!」
糸を繋ぐ逆、対象から糸を放すよう、唱える。
だが、遅すぎた。堅一の身体は、落下を始めて既に数秒が経過している。
どうにも彼女は、その事実にあまりに焦ってしまい、冷静さを失っていたようで。
「わ、わわわ……」
何を思ったのか、落下してくる堅一を受け止めようと、その着地点に走り寄る。
――身体強化を使えるから、着地はなんとかなる。
そう、事前に堅一自身に言われたのも忘れて。
結果。
「お、おいっ!」
「きゃあっ!」
ドシーン、と。
堅一をなんとかその腕に収めたはいいものの、勢いを止めることができず、受け止めたルアンナ諸共、地面に倒れこむ。
かなりの痛みを覚悟していたが、ほとんどそれは訪れなかった。
どうしてだろう、とルアンナが不思議に思っていると。
「……おい、ルアンナ」
胸のあたりから、声。
視線を少し下ろして、ルアンナはドキリとした。
超至近距離に、堅一の仏頂面があったからである。
それこそ、もう少しで、顔と顔が触れてしまいそうな距離に。
「何考えてんだ? 俺が咄嗟にお前にも身体強化をかけなかったら、ただじゃすまなかったぞ」
「……ごめんなさい」
年下の子供とはいえ、高所から人間が降ってくるのである。
いかにソルジャーの身体が常人より強靭だとはいえ、ルアンナとてまだ子供に分類される年齢。それなのに直接受け止めようとするなど――なるほど、無謀にもほどがあった。
「……次から、気を付けろよ」
ルアンナが素直に謝ったからか、堅一はそれ以上は追及せず、そっぽを向いた。
よくよく見れば、その横顔は、若干赤みを帯びており。
それを、ボーッとしたようにルアンナが眺めていると。
「だーっ! いいから早く腕を離せ! 乳飲み子か、俺は!」
腕の中の堅一が、身を捩る。
ここでようやくルアンナは、彼を胸に抱きしめていることに気付いた。
咄嗟にパッと腕を広げ、堅一を解放する。
ババッとすぐさま立ち上がる堅一。
「あ……」
胸に感じていた温もりが消え、ルアンナは思わず切なげな声を漏らした。
「大丈夫かいっ!? 凄い音がしたけれど……」
と、そんなことをしていると、白の少年が、二人の元へ駆け寄ってきた。
「俺は、大丈夫だ。あー、ルアンナも大丈夫……だよな?」
堅一の問いかけに、コクコクと、ルアンナは首を上下させる。
ただ、堅一はそれを見てポリポリ、と頬を掻いたかと思うと。
「……まぁ、念のため、回復をかけてやってくれるか。一応、俺を庇ってくれたみたいだし」
そう言って、くるりとルアンナに向き直り。
未だ地面に倒れたままのルアンナに向けて、ほら、と手を差し出した。
反射的にルアンナはその手を掴もうとし、しかし未だ契約武装を纏ったままであったことを思い出すと。
慌てて契約武装を解除し、再度手を伸ばした。
堅一の手がルアンナの手を掴み、引っ張り上げられる。
「あ、ありがとう、堅一君」
思えば、久しぶりの人肌だった気がする。
白の少年の天能――回復の光を受けながら、ルアンナは思案した。
今まで密着するほどの身体的接触があったのは、例えば、仲のよかった女友達とのスキンシップの一つであったり。昔でいえば、両親との触れ合いだったり。
異性に限って言えば、同年代はもちろん、年の近い人物との触れ合いはない。
ただ――この力が発現してからは、密着はおろか、誰かと触れ合うことも、話すこともほとんどなくて。
そう思うと、さっき感じたドキドキ感が、まるで息を吹き返したかのように強くその主張を始め。
回復が終わった後も、ルアンナは、白の少年と話す堅一の背中を、ぽーっと見つめ。
無性に、先程の温もりが恋しくなった。
……どうしよう。
心臓が早鐘を打つ。
鏡を見なくとも、頬が紅くなっているのが分かる。
……もう一回やったら、怒られるかな、嫌われるかな。
そうは思いつつも、しかしその足は進み。
いつの間にか、堅一の背後に立っていて。
ん? と接近したルアンナの存在に気付いた堅一が、顔だけを見上げて、振り返る。
が、ルアンナは気にせず、飛び込むように、その背に抱き着いた。
「んなっ……な、なにすんだ、いきなり!?」
困惑は、一瞬。すぐさま、ばたばたと、背中のルアンナを振りほどこうとする堅一であったが。
がっちりと、ルアンナはそれを押さえ込み。
「――ねえ、堅一君」
呼びかけて、しかし何を言おうか、決めていなくて。
腕の中の感覚、さっきと同じように、ルアンナの腕から逃れようとする堅一の感覚に。あっ、と思い出す。
――乳飲み子か、俺は!
あの時、堅一が叫んだ言葉。
これだ、と思った。
「……堅ちゃん、って、呼んでもいい? ――ううん、呼んじゃうねっ!」
ルアンナは、破顔した。
ふざけんな、と抗議する堅一の声すらも、むしろ心地よく。
そんな二人を、白の少年は微笑ましそうに見つめていた。
……初めて会った時は、仏頂面で、冷たくて。少し、怖かったけれど。
それでも、そんなぶっきらぼうでも。
その中に、確かに優しさはあって。私なんかより辛いものを背負っていて。
直接手を差し伸べてくれたのは、白の少年であったけれど。
言葉を差し伸べてくれたのは、貴方でした。
この感情の正体はまだ、答えが出せないけれど。
もしかしたら、あの時から。私は、貴方を――。
抱き着き癖はここから始まったり。
ポンコツですが、普通に強キャラです。まあ、トップリーグのプロなので当然ですが。
二章はあくまでショーの意味合いと、堅一を目立たせるためで、本気は出してなかったり。
次は、第三章になります。
学園に戻り、夏休み明けからのスタートです。
よろしくお願いします。




