二十四話 開眼、第三の呪い
「だ、抱っこ……」
「……あんの馬鹿、嬉しいのは分かるが、少しは周囲の目を気にしやがれ。いい年した大人だろうに」
一方、特別招待券専用の観客席。
そこには、頬を上気させる姫華に、頭を抱える恭介の姿があった。
「ええい、くそ、まあいい。……いいか嬢ちゃん、あれがポイントその一、だ」
「ポイント、ですか?」
「ああ。俺は何も、ただ試合をのんびりと観戦するためにここにいるんじゃない。解説役と、嬢ちゃんへのアドバイスを兼ねてだ」
「あ、そういえば……」
控室で、解説役を送るとルアンナに言われたのを、今更ながらに姫華は思い出した。
「ええと……抱っこ――」
「違う、違うそこじゃねぇ! いいか嬢ちゃん、あれは気にするな、忘れろ。あの二人の――というか、ルアンナの、昔の癖のようなもんだ」
「あ……はい……」
姫華の勘違いに、恭介は全力で否定する。
彼女がどこか残念そうな表情となったのは、気のせいだろうか。
ともかく、と恭介は咳払いを一つして、解説を始める。
「そもそも、堅坊は個人戦――つまりは、一騎打ちのような競技を得意としていない。というか、相性が悪い。なぜなら堅坊には、他のソルジャーにはない、明らかなディスアドバンテージが存在しているからだ」
「ディスアドバンテージ……天能の発動条件ですね?」
「そうだ。これは攻撃だろうが、防御だろうが関係ない。行使しただけで、問答無用。相手によっては、ただ回避のためだけに、使わざるをえないこともざらじゃねぇ。となると、体力バーの減りは一方的になる可能性が大だ」
「そう、ですね……」
「が、だ。それがタッグ戦など、味方ソルジャーがいる場合だと、話が変わってくる。要は、己と敵以外の第三者――つまり、味方のソルジャーに助けてもらえばいい。無論、味方のソルジャーがそれを可能とする実力があるってのが前提だが」
今しがた、ルアンナは堅一を助けた。
ただ、堅一が身体強化を行使すれば、自力で切り抜けられる可能性はあったのだ。
「例えば、他の奴が同じ状況化にあった場合、自力で切り抜けられれば、それは味方の援護は不要だ。何か狙いがありゃあ別だが、余計な一手間だからな。自力で避けられるなら、自力で避けろって話だ」
「はい」
「だが、堅坊にとって、味方の力で避けたというのは大きな意味を持つ。天能を行使してようやく避けられるならば、自力で切り抜けられるのと同義だが、そうなると発動条件の反動がくる。どの道、ノーダメージでは切り抜けられちゃいねぇ。しかし、それが味方による介入ならば、ダメージもなく反動もない」
「なるほど……」
「ただ、本来不要なはずの一手間が加わるわけだから、余計な隙を晒すのは間違いないだろうが……まぁ、そこはその後の対応しだいで如何ともなる」
マスクなどの変装道具を鬱陶しげにしつつ、恭介は右手で指を二本、立てた。
「んで、次にポイントその二。これが、重要だ――」
「――それじゃ、攻めるわよ! 私と四十川がサポートするから、堅ちゃんは必要なところだけ使いなさい!」
言うや否や、ルアンナが手甲鉤を頭上に掲げた。
「発射っ!」
発射されるは、またしても四本の鉤爪。しかし今度は自陣側ではなく、相手側へと飛んでいく。
「やらせるかっ!」
無論、それを指を咥えて見ている相手ではない。
山形一臣が両手剣を振れば、それより発せられた閃光が、飛行する二つの鉤爪をまとめて弾き飛ばした。
妨害を受けなかった二本の鉤爪は問題なく飛び、相手側に突き立ったものの。弾き飛ばされたもう二本の鉤爪はくるくると舞い、あらぬ方向へと飛んでいく。
しかし、それをチャンスと見てとった堅一が、ダッシュ。
重量のある両手剣を振りきった体勢の山形一臣は、すぐには対応できない。
――体勢を立て直す前に、撃ち込む。
接近し、引き絞られる堅一の手甲。
それを見た山形一臣は、焦るでもなく、ふんっ、と鼻で笑った。
――ガァンッ!
刹那、フィールドに響く、重い金属音。
「そう簡単に、抜かせはせんぞ」
間に差し込まれたのは、大きな円盾。
堅一の手甲と、山形三造の円盾がぶつかり、火花を散らす。
「……っ!」
手には、かなりの衝撃。押し負けたのは、堅一だった。
手甲は振り抜くことなく弾き返され、堅一の体勢が崩される。
「おらぁっ!」
そしてそこに、円盾の後ろから躍り出た山形一臣の斬撃。
「連結、連結、連結っ!」
が、またしてもその刃は堅一に届くことなく、空を切った。
一手、ルアンナの糸が早かったのだ。山形一臣の間合いを逃れ、堅一は後ろに引っ張られていく。
「――まだまだぁっ!」
しかし、彼の攻撃はまだ終わっていなかった。
第二刃。もっとも、既に間合いからは外れているので、それすらも堅一に届くことはない。……剣のみならば。
眩い色を閃かせ、飛んできたのは光弾。一直線に引っ張られた堅一には、直撃コースだ。
堅一は咄嗟にガードしようとして……それを止めた。
「四十川、シールドっ!」
ルアンナの鋭い声と同時に、堅一の眼前に立ちはだかる、一枚の壁。
阻まれた光弾は、堅一にまで届かず。壁に少しの亀裂を入れるに止まり、霧散する。
「解放!」
堅一と繋がる糸を離したルアンナは、光弾を防いだ四十川の壁の上に跳び乗った。
「堅ちゃんっ!」
そして呼ばれる、堅一の名。自らの両足を地面に着けて頭上を見た堅一と、壁上に立つルアンナの視線が交差する。
その間、一瞬。
無言で頷いた堅一が、ルアンナに向けて手を翳した。
消費されるのは、堅一の体力バー。行使したのは、身体強化の呪い。しかして、その対象は堅一ではなく――ルアンナ。
「うぉらぁああああっ!!」
そこに、静寂を破り、山形一臣の突進。四十川の防壁――ルアンナの立つ壁に向けて両手剣が振り下ろされる。
ピシッ、とより深く刻まれる亀裂。なんとか、二撃目も持ち堪えた。
しかし、山形一臣はそこで止まることはなく。亀裂の入った壁に向けて、両手剣と共に全力の体当たり。
――パリィンッ!!
そこで耐久の限界を迎え、甲高い音と共に、立ちはだかっていた壁が粉々となって散る。
それと、ほぼ同時に。
「はっ!」
堅一に身体強化の呪いをかけられたルアンナが、壁の上から大きく跳躍した。
「ちぃっ!!」
悔しげな山形一臣の頭上を飛び越えつつ、唱えるは鉤爪への命令。
「――帰還!」
瞬間、山形一臣に弾かれて地に横たわっていた二本の鉤爪が一人でに動き出し、宙を駆ける。
そして、数十秒とかかることなく元あったルアンナの手甲へ。これで、それぞれの片手に二本、鉤爪が残る状態となった。
その鉤爪の狙う先には――盾を構えた山形三造。
彼の頭上、真上から飛びかかる形で、ルアンナは鉤爪を振り下ろす。
円盾と鉤爪の、激しい衝突。
しかし、単純な筋力の時点では、成人男性である山形三造に分がある。
それに、もとより盾は護りに特化した武装。大きく、そして重く。機動力には欠けるが、その分堅牢さは半端ではない。
だが、ルアンナは堅一の呪いを受けており、加え頭上からの急襲。
「くっ……む、むぅっ!?」
なんとか盾での防御を間に合わせた山形三造であったが、その一撃の重さに耐えきれず、膝をつく。
ここにきてようやく、山形三造に入ったダメージ。だが、完全に崩れきったわけではない。
その隙を見逃さず、もう一押し、と横に回って追撃にかかろうとするルアンナであったが。
「きゃっ!?」
ゴウッ、と突如として吹いた強風に、空中でバランスを崩してしまった。
敵のジェネラル、山形景二による、風の妨害だ。
それでもなんとか立て直し、若干流されながらも着地。ペースを乱されたはしたが、まだ行ける。
崩れかけた山形三造を完全に崩すため、ルアンナは肉薄しようとするものの。
「よく耐えた、弟よ! でりゃぁああっ!!」
しかしそんな彼女に、戻った山形一臣が走り寄る。
「あら……私ばかり、見てていいの?」
「ぬっ!?」
ルアンナの言葉に、まさか、と思わずチラと背後を確認してしまう山形一臣。
だが、もう一方の敵たる堅一はまだ遠く、ここまで来るには距離があった。
「ええい、ブラフかっ! 小賢しい真似をっ!!」
その一瞬の隙に。
「連結、連結、連結っ!」
唱えつつ、ルアンナは山形一臣の両手剣を、片手の鉤爪で受ける。
が、ルアンナにかけられた呪いは、山形三造の防御を崩した段階で切れていた。
そして純粋な力比べという点においては、ルアンナは山形一臣に劣っている。
ルアンナは、苦しい表情を浮かべつつも、跳び退ることでなんとか躱した。
「パワー勝負なら、俺の方が上のようだなぁっ!?」
そんな彼女の精一杯な状態を見て、山形一臣は勝ち誇った顔で。再度斬撃を繰り出そうと、両手剣を振り上げた。
だが、ルアンナもまた、余裕のある顔で。
「――残念だけど、相手は私じゃないわ」
「……あ?」
瞬間、彼女の姿がぶれ、そして消えた。
言葉の意味を理解できず、山形一臣は両手剣を振り上げたまま硬直し、ルアンナの姿を探して視線を彷徨わせる。
『兄者っ! 後ろだっ!!』
そんな彼の頭に響くのは、ジェネラルとして後方に陣取る山形景二の警告。
バッ、と勢いよく振り返った目に、飛び込んできた光景は。
遠のいていく、ルアンナの背中。――そして。
「……ま、た」
彼女と入れ替わるように、すれ違い。
「解放!」
高速で近づいてくる、堅一の姿。
「また、テメエかぁぁあああああっ!!」
抵抗する間もなく、堅一の手甲が山形一臣の頬に突き刺さり、その身体を吹き飛ばした。
タン、と軽やかに着地した堅一だが、しかし無理に深追いはしない。
立ち上がった山形三造が、盾を構えて立ちはだかっていたからだ。
「ふふん、やっぱり、私と堅ちゃんの連携は最高ね」
一先ず止まった堅一の横に、ルアンナが並ぶ。
彼女は輝かんばかりの笑顔で、隣の堅一を見下した。
そんな彼女に、堅一は数瞬、思案顔となり。
「……まあ、確かに悪くない」
そして返ってきた堅一の言葉に、ルアンナはきょとんとした後、凍りつく。
「……え?」
「ん、どうした?」
「……け、け――」
「…………?」
堅一としては、単にルアンナの言葉に同意しただけである。
ゆえに、堅一は首を捻ったのだが――次の瞬間、いともたやすくそれは氷解した。
「堅ちゃんが、デレたーっ!?」
横で騒ぐルアンナを無視して、堅一は思考に耽る。
すっ、と抵抗なく出た、言葉。それは、紛れもなく堅一の本音であった。
なんというかこう、表現が下手で、そうとしか言い表せないのだが。
悪くない。そう――悪く、ないのだ。
「…………」
堅一は、ふと。無言のまま、改めて。
両手を、見る。
あるのは、鈍く光る銀の輝き。変わることのなく、ずっと共に在った、もう一つのパートナー。
フィールドを、見る。
戦闘の影響で、所々変形した地形。それは、確かに戦いを物語り。
相手を、見る。
立ち上がり、こちらを睨みつける眼。ギラギラとした、戦意の宿る、眼。
後ろを、見る。
ここに来て、初めて会ったジェネラル。ただ、味方として、俺を信じて、そこにいてくれる。
隣を、見る。
空気を読んでか、ただただ己を見る瞳。優しく、見守るように。かつて何度も共に戦場に立ったチームメイト、味方。
ぶるり、と四肢が震えた。
ぞくり、と心が震えた。
恐れでは、ない。あるわけがない、恐れなど。
だとしたら、これはなんだ?
これは、一体――。
その正体を、考え。
しかしすぐさま、ふっ、と無意識に笑みが零れた。
――そうだ、これだ。
冷静であったつもりだった。冷静に、戦えていたつもりだった。
しかし、身体は熱い。まるで、血液が、心が暴れているかのように、全身が熱い。
「これ、なんだ……」
動いていたのだから、当たり前。そう言ってしまえば、お終いだ。
しかし、これはそんな単純ではない。……いや、ある意味、それ以上に単純なのかもしれない。
「…………」
数十分前まで座っていた観客席を、仰ぎ見る。
観客として観戦しているはずだった自分の席に座っているのは、一人の大男。この場を、機会を与えてくれた、かつての仲間。
変装に身を包み、その表情は全く見えないし、分からない。だが、その下にある顔が、いつものようにニヤリと笑ってこちらを見ているような気がして。
「これ、が……」
――そして、その隣に。
知り合ったのは最近で、しかし見慣れてしまった、少女。
市之宮姫華。
俺の、黒星堅一の。パートナーの、ジェネラル。
彼女は、何を思ってこの試合を見ているのだろう。そう、考え。しかし、当然分からなくて。
ただ、目と目が、合った。――合った気が、した。
そして、最後に。
『――やあ、堅一。やっぱり、シュラハトは――楽しいだろう?』
どこかへ消えてしまったアイツの、幻聴。
「これが……」
すっかり、忘れていた。忘れてしまっていた。
この、光景を。この、感覚を。この、想いを。
「……これがっ!」
ゆっくり、眼を閉じる。
自分らしくない。そう思いつつも、堅一は口角が吊り上るのを抑えられない。
――これが、シュラハトッ!!!
燃え上がる。もはや残っていたかどうかも定かではなかった心の種火が、強く、大きく。
感情を、解き放つ。制御していた、負の感情では、ない。
まるで、子供のような。いや、大の大人でも時折抱くであろう、ワクワク感。それは、かつてのように、純粋な――。
――歓喜。
ガラリ、と堅一の放つ空気が変わる。
その変化に、幾人の観客が気付いただろうか。いや、それほど多くは気付かなかったかもしれない。ただの傍観者としてこの場にいる、彼らでは。心のどこかで、確実に彼の者を侮っているであろう、彼らでは。
――ただ。
得体の知れない某かを感じ取った者は、期せずしてその目を見張り。明確に捉えることはできなくとも、勘の良い者は首を傾げ。
「なんだ、あのガキ? 急に、雰囲気が……」
「……この感じ、どこかで」
「ん? どうした、弟よ?」
「いや、なんでもない、兄者……思い過ごしかもしれん」
相手たるソルジャー二人は、その変化をプロとしての直感で察知し。
「「……っ!」」
隣にいたルアンナ、そして観客席の恭介は。
そんな堅一の姿に――確かに、かつての彼の姿を見た。
「ふ、ふ……」
口の端から零れ出る、笑い。止めることが、できない。
渦巻く。次から次へと溢れ出る想いが、渦巻き、重なる。重なり、高く積み上げられていく。高く、高く。
絶えることなく、枯れることなく。
やがて、それは――。
両眼を、ゆっくり開く。映り込んだ景色は、しかし何かが変わっていたような気がして。
それは――。
「……きたっ!」
――失ってしまっていた、第三の呪いへと、昇華した。
「……っ!?」
ゾクリ、と悪寒のようななにかが、山形一臣の身体を貫く。
急激な空気の変化に思わず様子見に徹し――その対象たる黒星堅一が両眼を開き、そして己の眼と交差した、その瞬間のことである。
あったのは、漆黒の瞳。まるで、見る物全て呑み込んでしまいそうな、暗い、黒。
とはいえ、戦闘が開始されて数分。山形一臣は黒星堅一の顔を一度も見ていないわけではなく、幾度かその眼も見ている。
だが、今この瞬間となっては、断言できる。
間違いなく、数分前のコイツとは――何かが違う。
散々侮っていた相手に悪寒を覚えた屈辱などもはや抱かず、山形一臣は両手剣を握りなおした。
それと、ほぼ同時に。
――ドクン!!
姫華の心臓が、一際大きい脈を打った。
「……っ!」
いきなりのそれに驚き、姫華は咄嗟に胸を押さえる。
しかし、自身の身体を見下ろしてみても、別段変化はない。
――気のせいだったのだろうか。
そう思い、フィールドへと視線を戻した姫華は。
ただただ、目を大きく見開くこととなった。




