四話 噂
「それにしても、噂はやっぱ本当だったんだな」
「噂?」
1クラスの生徒に絡まれたものの、問題もなくその場を切り抜けた二人は、学園を出て寮へと向かっていた。
時刻は夕暮れ前。しかし季節は夏であるため、まだ昼間のように明るい青々とした空の下。
アスファルトの道を歩くその途中で、毅がふと思い出したように言った。
「1年のジェネラルの学年次席――市之宮姫華が、まだソルジャーと契約してないって話」
「ああ、さっきの」
先程の廊下での一幕を思い出した堅一は、小さく頷いた。
「普通、成績上位のジェネラルってのは、初日からバンバン契約の交渉が舞い込むもんだ。んで、結果的に上位のソルジャーとジェネラルがくっつく。それも、かなり早い段階でな」
「そうだな」
「だからまあ、学年次席も当然そうだと思ってたわけだが……」
毅が、ぼーっと空を見上げて言う。
原則として、一年生はジェネラル一人に対し、ソルジャー一人と定められている。
二年以上になれば、ジェネラルの力量によって複数のソルジャーと契約できるようになるが、それはまだ半年以上先の話。
にも関わらず、あんなにも大勢が申し込むということは、契約するソルジャーが決定していないことに他ならない。
「学年主席なんて、入学式の日にパートナー決めたって話だぜ? それに、他の上位陣だってほとんど決まりつつある」
「……いやに詳しいのな」
「というよりは、堅一が疎いだけなんだがな。……もっとも、4クラスの俺達にはあんま役に立たない情報だけど」
疲れたように、毅がガクッと肩を落とす。
毅の言う通り、学年次席がフリーだとしても、4クラスの生徒にもチャンスがある――というわけでは当然ない。
契約が成立するには、ジェネラル、ソルジャーの双方の合意が必須であり、それを学園に届け出ることによって、学園より正式なパートナーとして認められる。
では、何を基準にパートナーを探すか、というと。
基本的な指針となるのは、やはり成績などの能力値。
その結果、1クラスのジェネラルは、同じく1クラスのソルジャーと契約するなど、同ランクのクラスでのパートナーとなることが多い。
無論、成績以外のことでパートナーが決まることもある。
例えば、相性や人柄。その他にも、入学以前からの知り合いや、男女ペアの場合は恋愛面。第一印象や外見など、とにかくそういった様々な要素も加えた上で、パートナーが決まっていくのだ。
ただまあ、ジェネラル1の生徒であれば、4クラスなどほとんど相手にされない。向こうにとってみれば、その価値すらないのだから。
毅の言う通り、4クラスの生徒にとっては、あまりどころか、ほとんど役に立たない情報なのである。
「性格、素行に問題があるわけでもなく、容姿も優れている。今はまだ決まってないってだけの話だろうさ。……俺達と違って」
毅がどこか達観した顔つきで言い放ち、そこで一先ず会話が途切れた。
と、いうよりも。
「……はぁ」
「…………」
どんよりと重苦しい空気を放つ毅を前に、堅一はかける言葉が見つからなかったのである。
パートナーが見つからないことに精神的に参っているのか、毅は深々とした溜め息を連発。
ブォォ! という重低音と共に、いくつもの車がガードレールの向こうを追い越し。自転車が、風を切って後方から二人を抜き去る。
それでも二人の間に会話はなく、ただただ足を前に運ぶだけ。
周囲には、街の作り出す喧騒だけが響く。
二人の寮は、学園から少し離れ、そして大きな通りからも離れた閑静な住宅街の側にある。
道幅は進むにつれて徐々に狭まっていき。
ついには、車一台通れるかどうか、という小さい路地に差し掛かる。
毅が唐突に口を開いたのは、そんな時だった。
「そういや噂で思い出したけどさ……出たらしいぜ」
ボソボソ、と普段の毅らしからぬ小さな声。
しかし、人通りもまばらになり、車のクラクションの音が遠く響くだけとなった中で、その声は寸分違わず堅一の耳に届いた。
「何が出たって?」
まだ先程のことを引きずっているのか、と堅一は苦笑いしつつ、毅に聞き返す。
「未契約者襲撃事件の被害者が」
「……襲撃事件?」
堅一は、チラと隣を歩く毅の顔を見た。
どんよりとした雰囲気を漂わせる、覇気のない顔だった。
「ほら、あれだ。契約するパートナーのいない、ジェネラル、ソルジャーに限定された連続襲撃事件」
「……ああ、それか」
説明されて、ようやく堅一は思い出す。
被害にあったのは、毅の言う通り未契約の生徒のみ。パートナーのいる契約済みの人間は、被害にあっていない。
犯人の正体はおろか、その動機も目的も不明という、謎の事件。
だが――。
「だけど、それってあくまで噂だろ?」
地方の細やかなニュースでさえ、全国に報道されるという世の中。毅の言う事件が本当に発生しているのならば、それこそメディアで取り上げられてもおかしくないレベルだ。
そうならなかったとしても、学園ではその話にもちきりになるだろうし、教師によって忠告及び対策なども通達されるはず。
だというのに、堅一はテレビや新聞ではおろか、学園内においてもそんな話はあまり耳にしない。何回かその噂について会話する生徒の声を聞いたこともあるが、彼らは真剣にではなく単に面白がって話をしている様子だった。
そもそもそれは、最近になって出てきたものでなく、堅一が入学するより以前からあった噂ときた。
現実味に欠ける、ただの噂話。その噂を聞いた者は、大多数がそう思うだろう。
そしてどちらかと言えば堅一も、その事件に強い関心を持っていなかった。
しかし、毅は食い下がる。
「でも、現に退学した生徒が何人もいるじゃねぇか」
毅のその指摘は、確かに事実であった。
入学してから一年経過していないにも関わらず、退学した生徒が数人。3、4クラスだけならまだしも、1や2クラスからも退学者が出たことで、以前生徒の間で様々な憶測が飛び交った。
襲撃事件の噂も、そのうちの一つなのである。
「殆どが一年だが、二年や三年も被害にあって退学してる。しかも、同じタイミングでジェネラルとソルジャーが一人ずつ。病院送りになった奴もいるらしい」
「…………」
「んで、彼らは口を揃えて言うんだ。天能がおかしいって」
「……へぇ」
聞いたことがあるような、ないような。どちらにせよ、曖昧な噂だ。
堅一の噂に対する興味はほとんど変わらず、薄い。
「そして近々、そこにもう二人加わるんだと。どうだ、偶然とは思えないだろ?」
「はぁ」
感嘆、というよりも呆れを含んだ相槌が、堅一の口からついて出た。
先のジェネラルのこともそうだが、こいつは一体何処からそういう情報を掴んでくるのだろうか、と。
「それで?」
「忠告みたいなもんだよ。単なる噂話だとしても、俺もお前も、今はパートナーがいないからさ。……それじゃ、また明日な」
話をしている間に、気付けばいつもの三叉路へと差し掛かっていた。こうして一緒に帰る時、堅一と毅が別れる道だ。
言うだけ言うと、毅は手をヒラヒラと振りつつ、路地を右折する。
徐々に遠ざかっていくその背中を、堅一はしばらく見ていたが。
「退学、か……」
脳裏をよぎるのは、その二文字。
「……どの道、このままパートナーを見つけなければ、4クラスは退学だしな」
すでに、視線の先に毅の姿はない。
堅一は、自嘲気味に笑みを浮かべると、寮への道である左の路地へ足を踏み入れた。




