三話 最低と最高
「はぁー……あんな事言われたら、正直気が滅入るぜ。なあ、堅一?」
教師の話が終わり、放課後となった教室。
帰り支度をして席を立った堅一に、声をかけてくるものがあった。
顔を上げると、そこにいたのは眼鏡をかけた背の高い茶髪の男子生徒。
堅一がいつも見る、普段の活発そうな表情は鳴りを潜め。今にも溜め息を吐きそうな憂鬱さを醸し出している。
「……あんな事?」
しかし、その言葉に心当たりのない堅一がそう返せば。
男子生徒――荒山毅は、ガクッと脱力した。
「だーかーらー、パートナーがいない奴は夏休みがどうのって話だよ!」
「ああ、そのことか」
大半は教師の言を聞き流していた堅一だが、なんとなく耳に残っている。
「そのことかって、お前……いや、もういいわ、帰ろう」
そんな堅一の薄い反応を見た毅は、これみよがしに大きく溜め息を吐き。
何かを言いかけようとするも、結局は諦め、教室の扉へ向かって歩き出した。
堅一もそれに続き、二人はソルジャー4の教室を出る。
「あーあ、にしてもパートナーなんてそう簡単に見つかるもんじゃないって。特に俺達のクラスは」
廊下を歩く堅一の横で、毅が愚痴を零すと。
毎日のように聞くそれに、堅一は苦笑を浮かべた。
毅はこの学園に入学してからの知り合いであるが、同じクラスというのに加え、寮が近いため、堅一からすれば最も仲の良いクラスメートにあたる。
この弐条学園は、シュラハトに関わる育成機関のトップレベルに位置しているため、高校生という年代であるに関わらず、入学希望者はそれこそ全国から集まってくる。
学園に近い寮は人気のため、希望者が殺到。当然、そこからあぶれた者達は学園より少し離れた寮にならざるをえない。
二人もそれに該当し、そして偶然にも互いの寮がそう遠くないことが判明したため、度々こうして帰りを共にしているのだ。
「1のクラスの奴らが羨ましいぜ、まったく」
不満たらたらに口を尖らせた毅は、隣をすれ違った男子生徒をチラと盗み見た。
夏服である、白いワイシャツ。それを着用する男子生徒の胸元には、満開の花を模した精巧な金色のブローチが存在を主張している。
そのブローチは、弐条学園の校章でもあり、花の中央には『弐』という金文字が躍っている。
そしてこの校章、学園より貸与されるものなのだが――しかし全ての生徒の手に渡るわけではない。
支給、そして装着する権利があるのは、どの学年においても、ソルジャー、ジェネラル共に、1クラスに在籍する生徒のみに限定される。
つまりそれは、最上位のクラスに在籍している、という証なのだ。
更に、その校章があれば、学園の設備の優遇、及び優先的に使えるなど、成績上位クラスのための特権も与えられる。
もちろん、その対極に位置する4クラスである二人の胸には、それがない。
他のクラスの生徒にはない、まさにトップクラスの所以たる輝きを放っているのだ。
「そっちはどうよ? 誰か狙ってるジェネラルいんのか?」
通り過ぎて行った1クラスの生徒から目を離し、毅が堅一に問いかける。
「いや、別に」
「別にって……お前、入学してからまだ一度もジェネラルに声かけてないだろ? ちゃんと知ってんだぜ、俺」
堅一の短い返答に、毅は心底呆れたように言い放った。
「そろそろ本格的に動かないと、マジで退学になっちまうぞ?」
「……わかってるよ」
そんな話をしつつ、二人は角を曲がる。
その先に広がるのは、シュラハトに関する教育をとりいれた学校ならではの光景。
廊下のあちこちに集まる生徒達。
放課後の校舎に響く、彼らの話し声。
ただしこれは、廊下で生徒が雑談をしている、という単純なものではない。ここにいる大半の生徒は、契約の交渉をしているのだ。
特に人が集まっているのは、ジェネラル1のクラスの周辺。
ともなれば、集まっている生徒達は、契約の話を持ちかけたいソルジャーの生徒であると推測できる。
というのも。
世界的に見ても、ソルジャー、ジェネラル、どちらの数が多いといえば、ソルジャーの絶対数が多い。この学園でも、無論それは例外でなく。
故に、契約の件は生徒数の多いソルジャー側からジェネラルに働きかけることが多い。
もちろん、ソルジャー1に在籍する生徒であれば、待っているだけでジェネラルが誘うこともあるが――それでも、ソルジャー側からすれば、少しでも実力の高いジェネラルと組みたいというもの。
結果、契約していないソルジャー達が、こうして放課後などにジェネラルの生徒を待ち伏せする、という構図が生まれる。
もっとも、それを理解している二人であるから、眼前に広がる光景は見慣れたものであり。いつものごとく、生徒達の隙間を縫うように、廊下を通過していく。
ジェネラル1の生徒からすれば、ソルジャー4など眼中にないことは明らか。交渉するだけ無駄なのだ。
そして、生徒達の間を通り抜けていけば、当然その会話内容も耳に入ってくるわけで。
交渉のため、自己紹介をする生徒や、頭を下げて直球で契約を頼み込む生徒。
他にも、交渉に失敗して項垂れたり、反対に喜びの声を上げる生徒の姿も見られる。
「やっぱ皆、パートナーを一刻も早く決めたいってのがあるんだろうなー」
そんな様子を見て、毅が呟く。しかしその声色に、焦りはない。
もっともそれは、余裕というわけではなく、諦めのようなそれだった。
その呟きに同意し、堅一が頷いた、直後。
「――今日こそ契約してもらえませんか、市之宮さん!」
真横から、妙に気迫の籠った大声が、耳朶を打った。
思わず身を竦めた堅一は、そちらを見やる。
そこにあったのは、周囲よりも一際大きい、人の輪。
他のところはせいぜい数人止まりなのだが。この人の輪は、ゆうに十は越えている。
話の内容からして、契約の交渉なのだろうが――しかし、これだけのソルジャーが集まるとは。
何の気なしに、堅一は人垣の隙間から顔を覗かせてみる。
――すると。
輪の中心、ぽっかりとした空間に、一人の女子生徒がいるのが見えた。
艶やかに光る、紺色の長髪。それを纏める紫色のヘアバンド。
制服を押し上げる大きな胸の膨らみには、上位クラスの証たる金の校章が輝いている。
高校生であるのに、どこか大人びた雰囲気を漂わせる美貌の持ち主。
そんな彼女の名前は、確か――。
「いや、俺と契約してください、市之宮さん!」
「ふざけないで、姫華さんは粗野な男子なんかと契約しないわよ!」
「そうよ、男子は引っ込んでなさいよ!」「なんだとっ!?」
――市之宮姫華。そう、それが彼女の名だ。
そして、そんな彼女に向けられる、まさに告白まがいの契約申し込みの嵐。
かと思えば、ヒステリックな女子生徒の声も飛び、男女の言い争いに発展するという謎の始末。
男子に限らず女子にも人気があるのは、その美貌もそうだが、彼女の成績にある。
ジェネラルにおいての、学年次席。当然、クラスはジェネラル1。
それだけでも生徒の間、ひいては学内でも有名になるというのに。それに加え、どこぞのお嬢様、などという真偽の定かではない話も堅一は耳にしたことがある。
容姿に実力、そして噂通りなら家柄も。
そんな三拍子揃った人間であるから、お近づきに、あわよくば契約したいというソルジャーも多い事だろう。
――だが。
そんな周囲と、輪の中心たる市之宮姫華の反応は大きく異なっていた。
堅一のいる場所からでも、人垣に囲まれた彼女は、その美貌に明らかな困惑の色を浮かばせているのが見える。……しかし、ヒートアップしていく周囲の生徒は、どうやらそれに気づいていないらしい。
何がなんでも、契約したい。
その考えが前面に出ていて、冷静さに欠けているのだろう。
「市之宮さん! あなたと釣り合うのは、この僕しかいません!」
本人をよそに、勝手に盛り上がっていく生徒達。
それがまたなんとも滑稽に見えた堅一は。
――無意識の内に、自らの考えが口から衝いて出てしまっていた。
「……アホらし」
ただしそれは、とてもではないがヒートアップしている彼らには聞き取ることができないほどの小さなそれだったのだが。
「ぶふっ!」
しかし、隣にいた毅には聞こえてしまったらしい。そのストレートな表現を聞いた毅が、思い切り吹き出してしまう。
間近でそんな声を聞かされれば、いかに交渉に躍起になっていようと、二人の近くにいる生徒は気づくわけで。
「い、いま、僕のことを笑ったのは、誰だ!?」
馬鹿にされた、とでも感じたのか。男子生徒が肩をわなわなと震わせつつ、廊下に響くような大声と共に振り返った。
それは、今しがた熱烈な告白――もとい交渉の言葉をかけていた生徒。
彼の視線が、自身の背後を通過しようとしていた二人を捉える。
「い、いやいや、今のは違くて――」
「うるさい、うるさいっ! さては君達のどちらかだな!?」
毅が首と手を振って釈明しようとするも、男子生徒は完全にこちらを補足したようだ。
堅一と毅は見合わせ、
「「こいつ」」
そして、互いを指さした。
「ふざけんな、堅一! 人のせいにすんなよ!」
「人のせいもなにも……笑ったのは、俺じゃないだろ」
憤慨した毅が、堅一に詰め寄るものの。しかし、堅一の的確な指摘。
「……ぐっ、そりゃ……まあ。でも、そもそもお前が不意打ちしなきゃな――」
反論できない毅は押し黙り、拍子抜けするほどあっさりとそれを認める。しかしその瞳は、吹き出す原因となった堅一を恨めし気に見ていた。
「ふ、ふん、よく見ると、校章もなければ、顔に見覚えもない。つまり君達は、1クラスではないようだねっ?」
すると、二人に突っかかってきていた男子生徒が、嘲りを伴った声で告げた。
一見冷静になったようにも見えるが、しかしその言葉尻は微かに震えており。怒りを隠しきれていないことが窺える。
そしてどういうわけか、あれほど過熱していた交渉合戦は、いつの間にか中断しており。
人垣と化していた生徒達が皆、こちらの騒ぎに着目していた。
彼らの胸には、金の輝き。むしろ、つけていない生徒などいない。
つまり、ここに集まっていた生徒は皆、1クラスに所属しているということになる。
「まあ、確かに俺達は4クラスだけどよ……」
ずり落ちてしまった眼鏡を手で直しつつ、毅が返答した、刹那。
成り行きを見守っていた1クラスの生徒達から、クスクス、と失笑が漏れた。
その内の何人かは、あからさまに堅一と毅の胸元に視線を向けるようにして、そこに校章が無いのを見るや優越感に浸るような笑みを浮かべている。
「……なんだ、2、3どころか、4か。いいよ、許してあげるからさっさと消えなよ」
4クラスということによほど拍子抜けしたのか、男子生徒の声は一気に冷めた。
そして、しっしっ、と羽虫でも払うような仕草をして、二人に言う。
「本当なら、僕の火の天能でボロボロにさせてあげるところだけど。――あいにく、今は君達みたいな最低クラスなんかに構っている暇はないんだ。運が良かったね」
その瞳は、まるで無価値な物を見るかのよう。
「……堅一、行こうぜ」
毅が堅一を促し、二人は何事もなかったかのように、その場を歩き去る。
そして遠く離れたのを確認して、毅がぼやいた。
「あいつら、下位クラスの話なんかまともに聞く気ないからな……」
クラス1の生徒が、それ以外のクラスを馬鹿にするなど今に始まったことではない。
もっとも、1クラスの全員が全員そう、というわけではないが。それでも、大多数のクラス1の生徒は、自分達よりも下位にあたる他クラスを見下しているのだ。
この弐条学園において、なにより重視されるのが実力。トップクラスのみ装着を許された校章の存在が、その証拠であり、そういった風潮を助長している。
嫌味や罵倒は一々素直に受け取らず、反論は呑み込め。
無駄な荒事や、余計な問題を起こさないためには、それが一番の対処法なのだ。
――1クラスと関わると、碌なことにならない。
それが上位クラスを除いた――2、3、4クラス共通の認識なのである。