二話 プロ
「おっ! その反応、もしかして知ってるのか!?」
姫華の反応を見て、男が期待に満ちたような声色と共に、ずいと一歩進み出た。
首元で緩く締められたネクタイが、腰に吊るされた瓢箪が、ぶらりと揺れる。
「は、はい……」
その大柄な体躯に、そして勢いに気圧され、ジリ、と無意識の内に後退りする姫華。
手に持ったペットボトルの中の水が、動いた。
「そうか、そうか。……連絡を受けた時は耳を疑ったが、本当にいるのか」
しかし男は気にも留めず、うんうんと猛烈に頷き、フッと鼻を鳴らした。
ある種異常といえなくもない様子の男に、姫華は恐る恐る声をかけた。
「……あの、どちら様で?」
「ん? あー、そうだな……言うなれば、奴さんの昔からの知り合いってところだ」
男はニンマリと口元を歪めて言葉を続ける。
「立ち入ったことを聞いて悪いが、仲はいいのかな?」
「え? え、ええ、そうですね……」
なにせ、パートナーである。堅一がどう思っているかは別として、姫華としては良好であると思っていた。
それを聞いた男は笑みを深めると、顎に手をやって姫華をじっと見た。
「ふむ。お前さん、その胸の校章があるってことは、1クラスとかいうのだよな? ということは、奴さんも1クラスってことか?」
「……いえ、堅一さんは4クラスですが――」
「なに、4クラス? だったら、どうして1クラスのお前さんと仲がいいんだ?」
ニヤニヤと口角を吊り上げていた男だったが、姫華の返答を受けて首を傾げる。
それは、事情を知らない者にとっては当然の疑問といえよう。なぜなら、本来1クラスと4クラスに接点はないのだ。同じ学園の生徒として知っているということはあっても、仲がよいことにはならない。
――が、堅一と姫華の二人は、この弐条学園の中でも特殊な部類に当たるわけで。
「契約を結んだパートナーだからです」
逡巡することなく、姫華が言い切る。
対して、男は――その大口を開けて固まっていた。それこそ、ポカン、という形容が相応しいほどに。
男のサングラスが、ズリッと僅かにずれる。
「……パートナー? ……お前さんが?」
「そうです」
「あー、それは……冗談じゃないんだよな?」
「もちろん違います」
男のそんな不躾な問いかけに、姫華は眉を顰めつつもきっぱりと言う。
「…………」
しばらく、時が止まったかのように唖然として動かない男であったが。
「……クックック」
不意にその喉から、堪えるような笑いが漏れ始めた。
姫華の訝しげな視線もなんのその、男のその笑い声は収まることなく。逆にその巨体が震えるにつれ、徐々に大きくなっていった。
――やがて。
「ハーハッハハッハ! そうか、そういうことか! だからあの狸爺、今になって俺達に連絡を入れたな!」
何がそんなの面白いのか、男は腹を抱えて盛大に笑いはじめた。
その吼え声ともとれる笑い声が、周囲一帯に響き渡る。
サングラスの奥にある瞳を見ることは叶わないが、涙でも流しているのでは、と思えるほどの笑いだ。
「先程から、失礼ではないですか?」
どちらかといえば温厚である姫華だが、流石に目の前で大爆笑をされては、口を出せずにはいられない。
むっ、とした表情を浮かべて、姫華が声を上げれば。
「いやあ、失敬失敬。……しかし、そうか。お前さんが、奴さんの選んだ新しいパートナーか」
男は軽く手を振って姫華に顔を向けると、なにやらしみじみと呟く。
サングラス越しだというのに、その奥にある瞳がまじまじと己を観察しているようで。
姫華は無意識の内に、きゅっと体を固くした。
そんな姫華を後目に、ああそうだ、と男は声を上げると、
「パートナーなら、丁度よかった。一つ頼まれてほしいんだが……」
ヨレヨレのワイシャツの胸ポケットから紙切れとペンを出した。
さらさらとペンを走らせると、次いで男のズボンのポケットから姿を見せるのは、二つ折りにされた白い封筒。
男は先程の紙切れを封筒の中に入れると、姫華に差し出した。
「これを渡してほしい。お願いしてもいいか?」
「……はい、分かりました」
空いた手をそろそろと伸ばし、姫華は封筒を受け取る。
男は満足気に頷くと、ふむ、と顎に手をやった。
「学園にいるってことは、今は鍛錬中ってとこだよな。……なら余計な気を散らさないよう、帰り道にでも渡して、家に着いたら中を確かめるよう言っておいてくれ」
姫華がコクッと頷けば。男は何か思いついたのか、再び口元をニヤリと歪めた。
「そうだ、あと、伝言も頼む――」
その日の夕方。
鍛錬を終えた堅一と姫華は、共に帰途についていた。
隣人であることから、必然的に帰る道は同じ。用があるのを除けば、別々に寮に戻る理由もなく、いつからか二人の間では当然のことのようになりつつある。
両者の間に特別な会話はなく、あったとしても時折の世間話程度。
そうして、寮まで道半ばというところに差し掛かった頃。姫華はふと思い出したように、あっ、と声を上げた。
「そういえば、堅一さん。これを――」
鞄から取り出すのは、堅一の知り合いらしき男に渡された白い封筒。帰り道に渡してほしい、と頼まれていたものだ。
姫華の少し前を歩いていた堅一が振り返り、封筒を訝しげに見て足を止める。
「これは?」
「今日、学園内で堅一さんの知り合いだという方に渡されたものです」
「……知り合い?」
眉根を寄せながら封筒を受け取り、そのまま中を確かめようとする堅一。
それを見た姫華は、慌てて制止の声を上げた。
「あっ、待ってください! 家に着いたら開けてくれ、とのことでした」
「……家で、ねぇ」
堅一は首を傾げて手に持った封筒を凝視するが。
中を確かめることなく、律儀にも鞄に封筒をしまった。
「あと、その方から伝言なのですが――」
それを見届けて、姫華が再び口を開く。
伝言、という単語に反応し、堅一が顔を上げる。
あれから時間は経っているものの、忘れることはない。単純に、メモを必要としないほど短い伝言だったからだ。
一言一句違うことなく、姫華は告げる。
「――またな、堅坊。とのことです」
男より去り際に託されたのは、なんでもない挨拶の言葉。特殊であるとすれば、その呼び方ぐらいのものか。
だが、それを聞いた堅一の反応は、決して小さいものではなかった。
「……堅坊?」
途端に懐疑的な顔つきとなり、視線は封筒の入った鞄をじっと見下ろしている。
好意的とは言い難い、どちらかといえば剣呑な雰囲気。
ただの知り合いの一言にしては過剰な反応に、姫華はおずおずと声をかける。
「どうかしましたか?」
「ああいや、俺をそんな風に呼ぶ奴に心当たりがあって。……というか、一人しかいないんだが」
スッと眦を鋭くさせ、堅一は姫華に問う。
「ちなみに、どんな男だった?」
「えっと……サングラスをかけた大柄な男性でした。後ろで髪を束ねていて……あっ、あとは腰に瓢箪のようなものが――」
「オッケー、分かった。それだけで充分」
先程の男の姿を脳裏に描きながら、たどたどしく姫華が声を上げれば。
途中で手で制した堅一が、やっぱりか、と憮然とした面持ちで頷いた。そしてその足が、スタスタと歩みを再開させる。
突然動き出した堅一に、姫華は慌てたように続くとその隣へと並び歩き出す。
「他には何か言ってたか? 伝言とかじゃなくて、どんな話をしたかでもいい」
「そうですね……」
堅一の問いに、姫華は再び記憶を呼び起す。
「まずはいきなり声をかけられて、堅一さんを知っているかと聞かれました。それで昔の知り合いだと言われて、クラスのこととかを色々訊ねられて。あとは……パートナーだと告げたら大笑いされました」
言いつつ、その時の光景が嫌でも頭に浮かび、姫華は表情を曇らせる。
堅一はそれを無言で見ていたが、やがて「そうか」と一言だけ返して前を向いた。
チラと姫華が横を見てみれば、堅一は思案顔を崩すことなく、時折なにやらぶつぶつと呟いている。
話しかけることもできず、姫華はただただ歩を進めた。
結局、それから寮に辿り着くまで、姫華が口を開くことはなかった。
自室に戻り、夕食などを終え。姫華は、隣にある堅一の部屋に来ていた。
翌日の予定を決めるための話し合い。夏休みという特殊な期間であるため、今日に限らず毎晩行っていることである。
「適当に座って――まぁ、テレビでも見ててくれ」
恐らく夕ご飯であろうカップ麺を堅一は啜っている。それ以外に食事がないのに姫華は内心眉を顰めるが、口を出すのも憚られたため、口を噤んだ。
言われた通り床に腰を下ろし、テレビに視線をやる。
ついていたのはクイズ番組。若い女性タレントが、間違った答えを口にしながらも笑っている。
それも難解な問いではなく、わりと簡単な計算問題で、だ。
姫華はすぐに興味をなくし、その後はぼんやりと画面を眺めた。
数分して、番組はCMに入る。
「あ……」
瞬間、姫華の目はテレビ画面に釘付けとなった。
ここが堅一の部屋だということも忘れ、食い入るように流れる映像を見つめる。
画面の中で、数多の紫電の閃光がぶつかり合う。かと思えば、剣戟を響かせ、まるで舞うかのような攻防を展開する二人の女性の姿が現れ。更には、手に長槍を構え、一触即発の雰囲気をテレビ越しにも感じさせるほどに闘気を発して互いを睨みあう三人の男性の姿が映った。
次々と切り替わる画面。だが、これらはアニメではもちろんなく、映画やドラマなどといったものでもない。
あくまで、CMの一部だ。では、それらのCMなのかといえば、それも違う。
――シュラフェス。
正式には「シュラハトフェスタ」と呼称されるそれは、名の通りシュラハトのイベントである。
数ある正式種目に挑戦できるアトラクション。
シュラハトの経験者ならば誰でもエントリーできる大会や、ただの学生とは違う、現役で活躍するプロ選手同士による試合。運がよければ彼らの直接指導も受けられるなど、その他にも様々な企画が予定されている。
将来、ジェネラル、ソルジャーとしてシュラハトでの活躍を夢見る少年少女には「行かない理由」がないとまで言わしめ。また天能を持たない一般の人でも利用可能なアトラクションもあるため、彼らにとっても充分に楽しめるイベントとなっているのだ。
インパクトのある映像を背景に流しつつ、企画内容の紹介、日程、開催場所などを知らせ、シュラフェスのCMは終わった。
それでも尚、しばらく姫華は画面から視線を外さなかった。
もっとも、その目は再開したクイズ番組など見ておらず、頭にあるのはシュラフェスのこと。
開催は、そう遠くはない数日後。夏休みの期間内であり、被る予定はない。
その上場所はここからそう遠くはなく、姫華としては夏休みに入る以前から行きたいと強く思っていた。
「……あー、そんなに行きたいのか?」
突如横から聞こえた声に、はっとして姫華は顔を向ける。
そこには、すでにカップ麺を食べ終え、苦笑する堅一の姿があった。
ここが自分の部屋ではなく、また自分一人でないのをようやく思いだし、カァッと姫華の顔が真っ赤になる。
「い、いえ、その……はい」
わたわたと否定の声を上げようとするも、結局は本心が勝り、姫華は顔を赤らめたまま頷いた。
それを見ていた堅一は、ふーんと鼻を鳴らす。
「なら、行ってみるか」
「本当ですか!? ……あ、でも鍛錬とか……」
あっさりと言う堅一に、最初は頬の緩んだ姫華であったが。
鍛錬が順調に進んではいないのを思い出し、すぐさまその表情を曇らせた。
「そんな急いだって、そうすぐに上手くいかないだろ。それに、向こうでだって訓練に似たようなことができるしな」
ふぅ、と肩を竦めた堅一は、姫華の前のテーブルの上に、白い封筒を置いた。
「これは……」
見覚えのある封筒だった。さもありなん、それは先程姫華が堅一に渡したものであったからだ。
「中、見てみるといい」
言われて、姫華がおずおずと中身を取り出せば。出て来たのは、一枚の紙。
だが、ただの紙ではないのは明白。そこに書かれた文字を読み進めるにつれ、姫華の目が見開かれていく。
「これ、シュラフェスのチケットじゃないですかっ……それも、ただのチケットではなく、特別招待券……」
それがどういったものかを理解して、姫華が驚愕の面持ちで堅一を見た。
特別招待券。
記載事項には、入場券としては勿論、アトラクションにおいての優遇、イベント内の食事処が無料、一般には立ち入れない場所――例えばプロ選手の控室――などに立ち入るなどすることができるとある。
それだけでなく、イベント会場内にある宿泊施設の宿泊券としても利用できる招待券。
そして姫華の知る限り、一般の人間が入手することはできない。
極稀にオークションなどで出回ることもあるらしいが、何十万、下手すれば何百万は必至。そんな代物だ。
「……これって、イベントに参加するプロ選手の関係者に数枚しか渡らないのでは?」
「ああ、確かそうだった、かな」
呆然としたような姫華の質問だが、何の事は無いといった様子で堅一が返す。
「どうして、それを堅一さんが……」
「ん、そりゃあ貰ったからだが。というか、姫華も会ったんだろ?」
要領を得ない返事。
もしかして、と姫華は訊ねる。
「あの方は、プロの関係者なのですか?」
「いや、関係者というか……」
堅一は首筋を掻きながら、姫華が驚くべき事実を気怠げに言い放った。
「名前は、縣恭介。あんななりでも、歴とした現役のプロのソルジャーだ」




