一話 波乱の予感
静寂が支配する半透明の壁の内側――バトルフィールドの中央にて、堅一は両の眼を閉じて佇んでいる。
白い床に白い天井、そして白い壁に囲まれた、少人数ならば自由に動き回れる程度の広さを有する部屋。
堅一の後方、少し離れた場所には、ジェネラルたる姫華の姿。表情を引き締め、瞬きせずに堅一の背中を見つめている。
弐条学園、第一鍛錬棟。
その名前の通り鍛錬に重きをおいた建物で、数十ある全ての部屋が生徒達に解放されている。
夏休みに限らず、学園のある日でも申請すれば自由に利用できる個人鍛錬用の施設だ。
ブーッ!!
静寂を破り部屋に鳴り響く、低音にして少々長めのブザー音。
それを聞くや否や、スッと堅一が目を見開き、契約武装である銀の手甲を発現させる。
視界左隅に浮かび上がるのは、堅一の体力を示す青いバー。それより一秒ほど遅れ、二体のドールが前方に姿を現した。
堅一は腰を屈め、地を蹴って飛び出す。
瞬時に右のドールに狙いを定め、手甲による殴打。攻撃のモーションをする間もなく、堅一の攻撃を受けてドールが消滅する。
それを見届けることなく、左に向き直る堅一。すると丁度、残ったもう一体のドールがその奇怪な細腕を振りかぶっているところであった。
それが迫りくるのを見据えながらも、焦らずに身体強化を発動。
体力バーが僅かに削れ、代わりに身体に力が宿る。
その軌道を見極め、身体を捻ることによって伸ばされた腕を危なげなく回避。そしてドールが攻撃を外した直後の硬直時に、的確な一撃を叩きこむ。
最初に出現したドールが全て撃破されれば、今度は別の位置から同じように二体のドールが出現する。
それらを撃破すれば再び二体のドールが配置され、それを撃破すればまた、という繰り返し。
止めるには、体力バーがゼロになるか、バトルフィールドから出るか。それまでは、際限なく延々とこの状態が続くことになる。
撃破しても次々配置されるドールを、ひたすらに倒していく。とはいえ、ドールはそれほど強くはない。
目的もなくだらだらとやっているなら、さほど大した向上は望めない。そんな、鍛錬。
しかし、当然そんな無駄な時間を二人――特に堅一は過ごしているわけではなかった。
ゴーストとの戦闘で痛感した、自身の能力の低下。長らく日々を無為にしてきた代償は大きく、堅一は自身の思うように天能を使いこなせないでいる。感覚を取り戻すため、とにかくまずは天能を使うことが必要だったのだ。
――そして、もう一つ。
パートナーができたことによって必然的に浮上する、新たな課題があった。
「……ふぅ」
ドールの撃破から新たに配置されるまでの僅かの合間に、小さく息を吐き出し、呼吸を整える堅一。
すでに何十と撃破し、体力バーは残り70%といったところ。もっとも、それは全て身体強化の行使による反動であり、ドールからは一撃も受けてはいない。
音もなく出現し、バトルフィールド内に配置されるゴースト。
その出現位置はランダムなのだが、今回は場所が悪かったのか、ドールが出現したのは堅一のすぐ両隣であった。
挟撃される形。ほぼ同じタイミングで左右から堅一の顔面目掛けて殴打が繰り出される。
だが、身体強化を発動した状態の堅一であれば、いかに同時に多方からこられようと回避は不可能ではない。
ギリギリで屈むことによって、頭上をドールの腕が通過。堅一は攻撃を喰らうことなく、そして十中八九ドールの腕同士がぶつかりあうことになる。
なにせ、どちらとも堅一の顔を目掛けて腕を伸ばしているのだ。確立はかなり高い。ただ、本当にスレスレのタイミングだが……まあいけるだろう。続けて足払いでもかければ、撃破は容易い。
そんなビジョンを脳裏に描く堅一だったが。
『両腕を上げて、ガードを!』
どうやら、ジェネラルたる姫華のイメージは違ったようで。
回避は間に合わないと思ったのか、防御指示を出した姫華に反し。
堅一は己が抱いていたイメージ――つまり屈んでの回避行動を行う。
そして状況は堅一の予想通り。堅一は回避に間に合い、ドール同士が互いを攻撃し合うという、決定的な隙ができた。
しかし堅一は屈んだ状態で息を一つ吐くと、ドールに攻撃することなく、跳び退る。
『ストップ』
そして姫華に鍛錬停止を呼びかけ、堅一はバトルフィールドの外に出た。
呼びかけに応じ、素直に出てくる姫華。
すると中に残っていたドールごとバトルフィールドが消失し、元通り白い殺風景な部屋が戻る。
「まぁ見ての通りだが、今程度ならギリギリ間に合う」
「……はい」
姫華に近づき、堅一が確認するように声を上げる。
それに対し、姫華は目を伏せ、か細い声で返答した。
先程の状況は、一瞬の判断がダメージに直結する展開であった。
故に姫華は、堅一が回避に間に合わないと判断し、ダメージを軽減するために防御を指示した。
しかし堅一は間に合うと判断し、結果回避に成功した。態勢も大きく崩したわけでもなく、むしろドール2体の隙を引き出せたというおまけ付きだ。
正直堅一からすれば、今の姫華の指示は微妙と言わざるを得ない。
「あー……まだ組んで間もないんだから、お互いを把握してないのも、息が合わないのも仕方ない」
しかしそんな姫華の暗い反応を見て、堅一は苦笑する。
パートナーができたことによって浮上してくる、新たな課題。
つまり――連携やコンビネーション、互いの意思疎通だ。
パートナーとなれば、ジェネラルはソルジャーに指示を出したり、的確な援護をしなければならない。
ある程度の判断はソルジャーに委ねるだろうが、先程のような絶妙な駆け引きが必要な場合は、特に。
ソルジャーとしても、常に好き勝手動くのではなく、ジェネラルの指示を聞き、援護を最大限に活かして動く必要がある。
もっとも、世の全てのパートナーがそうではない。中には、ソルジャーがジェネラルの指示を無視して動くなど、両者の関係が破綻しているパートナーもいる。
だが、堅一も、そして姫華も、そんな関係は望んでいない。
特に堅一は、ソルジャーが一人で動くことの限界を知っている。
実力的に格下の相手であれば、まあソルジャーの単独行動で勝てることもあるだろう。しかしソルジャーとしての実力が上であっても、相手のコンビネーションの前に沈むこともありうる。
そして格上の相手には、ジェネラルの力は不可欠。実力で劣っていても、コンビネーションで勝っていれば、勝機はゼロではないのだ。
なればこそ、まずジェネラルは己のソルジャーの実力を正確に把握しなければならない。過大評価は当然として、過小評価も駄目。
素早さ、攻撃力、耐久力といった基本的な能力から、今の状況で言えば相手のどんな攻撃なら避けられるか、或いは避けられないか。
それを知らなければ、的確な援護などはできず、逆に足を引っ張る可能性もでてくる。
「……すみません、ありがとうございます」
堅一のフォローに、姫華は微かに笑みを浮かばせた。
「いや、まあ悪くはなかったんだがな? 実際、身体強化の状態じゃなかったら、避けれてたかは微妙だったわけだし」
「なるほど……」
続けて二人は、今しがたの状況について話し合う。
堅一の動きを把握するのに厄介なのは、素の状態と天能による身体強化の状態があること。
もっとも、それは強化系統の天能を持つソルジャー全般に言えることだが――とにかく姫華は、堅一の状態を把握した上で判断をしなければならないわけだ。
「じゃ、とりあえずここで休憩にするか」
鍛錬について短く考察し、堅一は壁に背をもたげて座り込んだ。
「あ、私、お水買ってきますね。堅一さんはどうですか?」
「いや、俺のはまだ残ってるから大丈夫」
座ったまま傍らにあるお茶の入ったペットボトルを手に取り、軽く振って姫華に見せる。
わかりました、と部屋を出ていく姫華。
バタン、と扉が閉まり、一人部屋に残された堅一は手に持ったお茶で喉を潤す。
「……やっぱり、そうそう上手くはいかないよな」
最初の方こそは、バトルフィールド内でのみパートナーの頭の中に直接意思を伝えることができるのを利用して、お互い確認しあいながら動いていた。
だが、相手と離れて余裕のある時ならともかく、秒単位で動く戦闘の最中に一々声で全行動を伝達していては、遅い。
ゆえに必要なのは、互いのイメージが重なり合うこと、だが。
堅一が姫華とパートナーを組み、本格的にソルジャーとして復帰すると決めて、凡そ二週間。
おおまかにいえば、夏休みの三分の一ほどが経過した、といったところか。
時に一人、時に二人で鍛錬し、少しずつではあるが、堅一は勘を取り戻しつつあった。
しかしやはり、まだまだ。天能発動時のタイムラグもそうだが、その効果も――そして数も。
「まぁ、二週間程度でどうにかなる問題じゃないか」
コンビネーションについては、今のところ目立った進歩はない。
先程のようなことが度々あり、上手く噛み合わないのだ。相手は人間でなく、動きの単調な練習用のドールだというのに。
だがまあ、パートナーとなる前は知り合いでもなく、赤の他人だった二人である。
よほど相性抜群でもなければ、たかが二週間でぴったり息が合うはずもないだろう。
「それに――」
お茶を床に置き、堅一は顔を上に向けた。
ぼんやりと白い天井を見つめ、ぼそりと呟く。
「――いずれは、パートナーを解消するわけだしな」
ガコン、と自動販売機が音を立てた。
姫華は腰を屈めて取り出し口に手を差し入れ、落ちてきたペットボトルを取り出した。
「…………」
それを片手に、自動販売機の前でしばし立ち尽くす。
はぁ、と口から漏れ出るのは、小さな溜め息。ややあって、踵を返す。
鍛錬棟1階へと続く渡り廊下を歩きながらも、頭にあるのは失敗の数々。
一回や二回ではない。何十と、堅一と息が合わないことがあった。
組んで間もないから、時間の問題だから。そう言って、堅一は姫華を責めないでいてくれる。
しかし、いつその目が不機嫌さを、侮蔑を伴うか。
そして、もうお前とは組めないと、今にもそう宣言されてしまうのではないか。
姫華は、学年次席として、ある程度は自信を持っているつもりであった。
確かに、回復という希少な天能も評価として加味されているだろうが、単純なジェネラルとしての評価――ドールのソルジャーを指示してのシュラハトは、上位に入る成績を収めていたのだ。
ただ、彼女は経験不足であった。他の者は割りと頻繁に行っている仮契約を、彼女はつい先日、初めて堅一と結んだのだ。
――人のソルジャーと、ドールのソルジャーは違う。
そんな当たり前の壁に、彼女はここにきてようやくぶち当たったのである。
「…………」
考えれば考えるほど、気分が沈んでしまう。
普段は――主に堅一の前では、そんなことを表に出さないよう振る舞ってはいるつもりだ。
だが、このまま失敗が続いたとしたら、いつまでそうしていられるか。
悶々とした気持ちを胸に抱きながら、ふと何気なく顔を上げる姫華だったが。
その目がある光景を捉え、はたと足を止めた。
「あれは……」
視線の先にいたのは、学園内では見覚えのない大柄な人影。
サングラスに、口元の濃い無精髭。長い黒髪は無造作に後ろで束ねられ。青いワイシャツに赤と白のストライプのネクタイ、黒のジーンズといったラフな出で立ち。
そして、その腰には――。
「――瓢箪、でしょうか?」
薄茶色の瓢箪のようなものが吊るされているのが見える。
教師では、恐らくない。もちろん、学生というのもありえない。
そんな男が、制服を着た二人組の女子学生と話していたのである。
だが、会話はすぐに終わったようで、首を捻りながらも歩き去って行く女子生徒達。
残ったのは、口元に手をやってその無精髭を擦る男のみ。
彼はしばらく髭を弄んでいたが、やがてキョロキョロと周囲を見回し始めた。
そしてその視線が――遠巻きに眺めていた姫華を捉える。
すると男は、ニカッ、と歯を見せて笑い、大股で姫華に近づいてくるではないか。
「おおい、そこの嬢ちゃん。ちぃとばかり、聞きたいことがあるんだが――」
ただの人気のない場所ならいざしらず、ここは学園内。下手なことはないだろうと、姫華は返答する。
「はい、なんでしょう?」
近くにまで来た男は、ふぅ、と大きく息を吐く。
そして徐に口を開いて、言った。
「この学園に、黒星堅一って奴がいると思うんだが――お前さん、知ってるか?」
その口から出た名前に姫華は思わず目を見開き、そしてパチパチと瞬いた。




