二十四話 契約
響いたのは、鈍い衝突音。
姫華を斬らんと振り下ろされた漆黒の長刀だが――しかしそれが彼女の身体に達することはなかった。
逆に、長刀は弾かれたように勢いよくゴーストの手を離れ。放物線を描き、ザッ、と姫華より右方の地面に突き立つ。
その光景を、半ばぼんやりと見ていた姫華だったが。状況を理解するにつれ、徐々にその目が見開かれていく。
掠れるような呟きが、漏れた。
「……黒星、さん?」
姫華の瞳に映るのは。横合いから足を蹴り上げ、長刀を弾き飛ばした人影。
まさに、突然現れた、としか形容できないその人物は。――恐らくは今、最も市之宮姫華が待ち望んでいた姿で。
「どう、して……」
信じられない、と言わんばかりに、姫華が声を上げた。
驚愕は、ゴーストも同様だったのか。しばらく手を弾かれた態勢で硬直していたゴーストだったが、ここでようやく、バックステップで地に突き立った長刀の元へと向かっていく。
「ああ、全くどうしてだろうなぁ」
それを横目に見つつ、姫華の前に立つ人影――黒星堅一は、ポリポリと頭を掻いて、口を開いた。
ハッキリ言ってしまえば、今以ってこうすることが正しかったのか、堅一には分からない。もとより黒星堅一という人間は、思い切りのよい性格ではない。迷いを即断できる人間ではない。
だが――気づけば、身体が動いていた。
姫華を救けるために。この場所へと、全力で。
「とにかく、大丈夫か?」
堅一は振り返ると、地に手をつきながら未だに驚きの面持ちで己を見上げる姫華に手を差し出す。
「は、はい……あの、どうしてここへ?」
おずおずと、姫華がその手を取る。
堅一は力を込め、彼女を引っ張り立たせると、
「あー、つまり……俺とアンタとの仮契約は、まだ完全には途切れてなかったってことだ」
何の事は無い、というような口振りで返答した。……もっとも、表面上は、だが。
どうしてか、と問われれば、身体が動いていたと言うより他ない。
しかしこの時、堅一が脳裏に思い起こしていたのは。公園へと走っていた道中、頭の中に響いてきた言葉。
『――私の回復なら、あの人の呪いを和らげることができるからっ……』
それは、ゴーストには聞き入れられず、あまつさえどうでもいいと一蹴された姫華の決意。
しかし彼女の宣言は、決して無意味ではなかった。
仮契約が完全に途切れていなかった堅一には、確かにその声が届いていたのだ。嘘偽りのない、姫華の心からの決意が。
そしてその決意が――堅一に、最後の一歩を踏み出させたのだ。
「……んんっ、ひとまず、詳しい話は後だ」
堅一は咳払いをすると、姫華の目をじっと見据えた。
「ゴーストを倒す。仮契約じゃなく、本当の契約で」
「……っ! それではっ!」
「もちろん、いくつか条件はつけさせてもらうぞ。ただ、まずはゴーストに勝ってからだ」
「はい……はいっ!」
堅一の言葉に、姫華がパッと顔を輝かせる。
夕陽に照らされたその顔は、本当に喜色に溢れているようで。思わず見惚れてしまいそうなほどに、綺麗な笑みだった。
「……勝ってからとは、随分と余裕ですネ」
沈黙を保っていたゴーストが、堅一の言葉に反応してか、口を挟む。
長刀をすでに手にはしているものの、様子を窺っているのか、今の所襲いかかってくる気配はない。
「俺も、市之宮も、天能を奪われるわけにはいかないからな」
そんなゴーストをチラと見やりながら、堅一は姫華に片手を差し出した。
姫華が、大きく頷いて堅一の手をギュッと握る。優しく、そして包み込むように。すぐに離れてしまわないように、両手で。
堅一は驚いたように目を見開いたが、しかし振りほどくことはしなかった。
繋がれた手から、二人の体温が互いに流れ込む。
仮契約の時のような、ピリッとした感覚。だが、それも最初だけ。仮契約では感じることのできない温かさを、二人は感じた。
「よし、契約完了。……ん? もう手を離して大丈夫だぞ」
契約が完了したのを感じ取り、手を離そうとする堅一だが。
姫華がいつまでたっても両手を解かないため、声を上げる。
「……す、すみませんっ!」
堅一に促されて、ハッとしたように姫華は両手を離した。
それに苦笑しつつ、さて、と堅一は周囲を見渡す。
舞の話から察するに、この状況を見ている誰かが何処かにいるはずだが。
「……まぁ、そんなのはどうでもいいか」
見られていたところで、やることは変わらない。
堅一がぼやいた、瞬間。
視界に表示されるのは、二本の体力バー。
右に映し出された無傷の青い体力バーは、ゴーストのもの。
対して、左にある堅一の体力を示すバーは――。
――既に、半分近くまで削られていた。
もっとも、いくらか体力バーが削れていることは、堅一にとって予想外でもなんでもなかった。
体力バーとは、あくまで体力を可視化したもの。戦いを始める際、常にフルの状態とは限らないのである。例えば体調不良であったり、直前に軽い怪我をしてしまったりすると、その具合に応じて体力バーが削れてしまう。戦いとは、必ず万全の状態で臨めるとは限らないのだから。
堅一の場合、弐条学園からより速く到着するために、身体強化を行使していた。それにより、到着の時間が普通に走ってくるより大幅に短縮されたわけだが。
しかし、堅一が天能を行使するためには、体力の消費を引き替えにすることが絶対。
つまりバトルフィールドの外で天能を使おうが、その後すぐに戦いに入れば、必然的に体力バーは削れた状態となってしまうのである。
だが――。
「勝てないわけじゃない」
自信を持って堅一は言えた。
そうして堅一が、姫華を振り返る。
「指示があれば、頼む。……学年次席のジェネラルの実力、見せてもらうぞ」
「は、はいっ!」
緊張が伴った、しかし明瞭な声で、姫華は返答した。
それを聞いた堅一は、一度軽く頷くと、契約武装である銀の手甲を構えてゴーストへ向かっていった。
フィールドに響き渡るのは、甲高い金属音。
堅一が殴打を繰り出せば、ゴーストは長刀でそれを防ぎ。ゴーストが剣戟を振るえば、堅一が手甲で弾く。
一人、離れた位置でそれを見守る姫華は、今の所指示は出していない。
ジェネラルは確かにソルジャーに指示を出す存在だが、一々攻撃しろ、だの防御しろ、まで指示するわけではないのだ。
かといって、姫華は何もせずに立ち尽くしている、というわけではなかった。
姫華は戦闘を視界に収めながら、その頭の中ではソルジャーとして契約した堅一の情報の確認をしていたのだ。
つまり、堅一の天能である呪いの詳細。
仮契約では終ぞ詳細不明であった堅一の天能だが、正式に契約を交わせば、それも知る事が可能となるのである。
そうして、姫華の脳裏に浮かび上がってきた情報は。
『――身体強化の呪い。対象の身体能力を強化する。効果時間、効力の高さは、消費する体力及び負の感情により増減する。
――天能封じの呪い。対象の天能(契約武装を除く)を封じる。効果時間、効力の高さは、消費する体力及び負の感情により増減する』
それを認識した姫華は、ほぅ、と思わず息を吐いていた。
身体強化は比較的ありふれた天能であり、かつ事前に堅一より聞いていたため、まだいい。だが、天能を封じるという能力。これは、滅多にある能力ではない。
その上驚くべきは、この二つが全く別のタイプであること、そして対象を設定できることだ。
例えば、身体強化。使い手が多いのは事実だが、実際その多くは自分にのみしか効果を発揮できないとされている。しかし、それが他者にも影響を与えられるともなれば。効果の内容は同一であっても、ソルジャーとしての価値は違ってくるのである。
姫華は、改めて堅一の凄さ、そしてその異質さを肌で実感した。だが、そこに感嘆はあれど、恐怖はなかった。
すぐさま頭を切り替え、次いで姫華は体力バーに意識をやる。
依然として、両者の体力バーにさして変動はない。ゴーストはほぼ無傷で、堅一は半分ほど。
開始直後、堅一の体力バーが半分であったことに、当然姫華は驚いていた。
驚いたのだが――それでは何故、となる前に、別の感情が心を満たしていったのを感じたのだ。
――つまり、そうした状態にあっても、堅一は来てくれたのだと。
嬉しさから、頬が緩みそうになる。
しかしなんとか表情を引き締め、姫華は現状を分析した。
度々攻守が入れ替ってはいるものの、姫華から見て、今の所戦況は大きく動いていない。
互いに攻撃を繰り出しつつも、ひとまず様子見といったところだろう。なにせ、戦闘はまだ始まったばかりだ。
しかし、それもいつまで続くか。姫華は些細な変化も見逃さないよう、より一層眼前の戦闘に意識を集中させた。
「……この前より、強くなってるな」
様々角度から、風を切って迫り来る漆黒の長刀。手甲で弾き、あるいは冷静に回避しつつ、堅一はぼやいた。
前とは違い、武器を使っていることからなんとなく予想はしていたが、実際に交戦してそれを確信する。
明確な敵意、とでも言えばいいのだろうか。以前にはなかったピリピリとした空気が、肌に突き刺さるのを感じていた。
「……っ!」
上段から襲いくる長刀。瞬時の判断で、堅一は両腕をクロスさせて手甲にて受け止めた。
ギリギリ、と拮抗する力。
長刀を両手で持ったゴーストが強引に押し込もうとすれば、堅一はその場に踏ん張り、逆に押し返そうと両腕に力を込める。
ギィンッ! と長刀が弾かれ、どちらからともなく、両者が飛び退いた。
「……やはり、中々やるようですネ」
長刀を構えながらも、ゴーストが声をかけてくる。
「ですが、アナタの体力は半分。こちらが優勢なことに変わりありませン」
「……それはどうか、なっ!」
身体強化の呪いを自身にかけた堅一は、一瞬の内にゴーストの懐へ入ると、殴打を繰り出した。
しかし間一髪、漆黒の長刀により防がれるが。
「オオオオオッ!!」
堅一は攻める手を止めず、二撃、三撃と手甲をゴーストに向けて叩きこんだ。
「……グッ!」
初撃こそ、辛うじて防がれてしまったものの。堅一の怒涛の連打により、徐々にゴーストの守りが崩れ、ジリジリとゴーストの体力バーが削られていく。
好機、と更に畳み掛けようとする堅一だったが。
苦悶の声を上げながらも、長刀の刃先を堅一ではなく地面へと向けたゴーストの行動を見て、スッと目を細める。
『――離れてください!』
その直後、頭の中にそんな姫華の声が響き、反射的に堅一は後方へと地面を蹴った。
ブォッ!
刹那、堅一の眼前の地面から噴き上がったのは、漆黒の壁。
しかしいち早く察知していた堅一は、それに当たることなく。バックステップで距離をとり、攻撃範囲から外れたのを確認して立ち止まる。
ほんの数秒で、漆黒の壁は消え去った。その向こうには、大地に長刀を突き立てたゴーストの姿。
身体強化をかけていなければ、そして反応が遅れていたら。恐らく、反撃を喰らっていたことだろう。
堅一はゴーストを警戒しつつ、姫華の場所まで下がった。同時に、身体強化が解ける。
「……流石、学年次席なだけあるな」
「ありがとうございます。でも、黒星さんも気付いていたからすぐに動けたのでしょう?」
堅一の賛辞に姫華がはにかみつつ、問い返す。
まあ、と堅一が小さく頷けば、姫華は笑みを深くして、手を持ち上げた。
「回復します」
その手が、堅一の背中にそっと添えられる。
姫華の手から緑色の淡い光が放たれ、堅一の全身を包んでいく。
ふよふよ、と漂い、纏わりつく輝き。
それが消えていくと共に、堅一は自身の中に心地よい感覚が流れ込んでくるのを感じた。
グン、とおよそ30%ほど回復する、堅一の体力バー。
しかし残存の体力バーでいえば、未だゴーストの方に分がある。
「ごめんなさい、これだけしか回復できなくて……」
「いや、充分」
申し訳なさそうに頭を下げる姫華に、簡潔に返す。
もとより、全回復など期待はしていない。回復と一言でいえど、どのくらい回復できるかは、その人次第だ。むしろ30%なら充分といえるだろう。
「……時間をかけて慎重にいくか、一気に力技で押し切るか。どっちがいい?」
試すように、堅一が姫華に向けて問うた。
すると姫華は、一切迷う様子もなく、
「後者がいいと思います」
堅一の目を見てきっぱりと言った。
思い切りのいい彼女に、堅一は苦笑しつつ。
「それじゃ、一気にやるとしますか」
それでも反対することはなく、両の拳を突き合わせる。
ガチャン、と銀の手甲が音を立てた。




