二十二話 取り戻したもの
バンッ!! と思わず堅一は、両手を机に力強く叩きつけていた。
身体の芯から、熱がせり上がってくる。机に置いた両腕がわなわなと震えた。
腑抜けている、と言われた事に対してではない。もとより己が腑抜けていることなど、誰に言われるでもなく自覚しているのだから。
「そんなことはないっ! アイツは……アイツは、絶対にまた戻ってくる!!」
勢いよく椅子から立ち上がり、昂った感情のままに舞を睨みつける。普段は感情をあまり表に出さない堅一であるが、かつてのパートナーの話題となれば、別だった。
しかしそんな視線を受けた舞はといえば。
「それを信じているなら、君はなぜ上を目指そうとしない?」
動じた様子は微塵もなく、逆にゆったりとした口調で言う。
それがまた、冷静さを欠いた堅一の心に小さくはない波を立てた。
「そんなの、俺一人じゃ何も意味が無い!」
「どうしてそう思う?」
「アイツと組まないのなら、俺はソルジャーなんかやってない。アイツがジェネラルだったから、俺はソルジャーになったんだ。俺一人だけが上を目指したって仕方がない」
吐き捨てるように、堅一は言った。
だがどういうわけか、舞は眦を和らげ、僅かに頬を緩めた。
まるで微笑ましいものを見るかのような、そんな笑みだ。
「その一途さは、私としては非常に好感がもてるがね。手あたり次第に契約を申し込むソルジャーは、例えその能力が高くとも見ていて気持ちがいいものでもない」
「なら、もう口を――」
出さないでくれ。
そう続けようとした堅一だが、しかしそれを言うことは叶わなかった。
「だがまあ、状況にもよる。もし仮に、私が自身と契約していたソルジャーに伝えることなく、何らかの理由で姿を消したとしよう」
唐突に、舞がそんなことを言い始めたのだ。
なにを、と堅一が声を上げる間もなく舞は言葉を続ける。
「そのソルジャーが――まあ、君も知っている雨音にしておこうか。私が再び姿を現した時、雨音が大人しく待っているだけだとしたら……私はきっと彼女に失望するだろう」
緩めた表情を引き締め、舞はきっぱりと断言した。
それに気圧され、ぐっ、と思わず堅一は押し黙る。
「確かに、嬉しい気持ちが全くないわけじゃない。だがそれでも、失望のウエイトが大きいだろう。なぜなら彼女は、私と別れた時から何も成長していないからだ」
「…………」
「しかし恐らく雨音ならば、それでも努力を怠らずにひたすら己を鍛えるだろう。雨音も中々に強かだから、私以外のジェネラルと契約を交わすことも充分に有り得る」
「それでも俺には、アイツとの約束が……」
納得がいかない、といったように首を振る堅一だが、それを見た舞はフフン、と得意気に鼻をならした。
「なに、別に裏切れと言っているわけじゃない。人間、一人だけで鍛えるにはどうしても限界がある。言い方は悪いが、利用するんだ。恐らく、それを合意の上で契約するジェネラルは必ずいる。雨音だけでなく、双方にとって良い経験となるからな」
「……もし、そのジェネラルとの仲が進展して、そのままずっと契約を結んで戻ってこなかったら?」
口に出してしまった後で、我ながら意地の悪い問いだ、と堅一は思った。
しかし舞は目尻を吊り上げることなく、それどころか快活な声を上げて笑ったのだ。
「もしそうなったら、私は手を打って雨音を祝福しよう。それが、私達の運命であったのだと。――だが、雨音ならば戻ってきてくれると、そして成長した姿を見せてくれると、私はそう信じている」
その自信に満ちた表情から窺えるのは、紛うことなき信頼だった。
不安などこれっぽちもない、絶対の自信。
だが、それはあくまで現実のことではなく、舞の想像の話でしかない。堅一は、そう思い込もうとして。
「君は、どうだ? かつてのパートナーが戻ってきた時、胸を張って成長した姿を見せられるか?」
舞からそんな質問を受けた堅一は、愕然とすることになる。
答えが、出なかったのだ。確かに、身長や体格といった年月の経過による変化はある。が、それは誰にだってあることであり――そもそもそんな話ではなく、もっと個人の能力的な面だ。
天能の使い方は、上達したか? 体捌きは? 立ち回りは? 経験は? 人間的にはどうだ?
ポンポン、と脳裏に浮かぶが、そのいずれもが、否。
黒星堅一は、数年前から何一つ変わっていない。いや、変わらないどころか実力は劣化し、衰えている。現実に悲観し、努力もせず、無為に日々を過ごしている。
言われるまで、何も気づかなかった。そもそも、こうした話をする相手も、そして機会も。堅一は久しぶりだったのだから。その程度の人間なのだ、自分は。
そんな自分を見て、アイツはどう思うだろう。
笑って迎えるだろうか、呆れるだろうか、落胆するだろうか、それとも――。
そんなうじうじとした思考を強制的にストップさせたのは、キーン、という耳鳴りだった。
「んっ……なん、だ?」
直後に突然の頭痛を覚え、堅一は頭を押さえる。
ズキズキとするような、痛み。ザザッ、と頭の中をノイズが走った。
堅一は頭を押さえつつ、微かによろめく。その拍子に、先程まで座っていた椅子に足が当たり、小さく動いた。
「どうした、大丈夫――」
様子のおかしくなった堅一に、舞が少々慌てたように席を立つが。
直後、プルルッ、と携帯電話の音が鳴り響く。その発生元は堅一ではなく、舞だ。
「……大丈夫です」
未だ頭を押さえながらも、痛みの引いてきた堅一がそう返せば。
堅一を横目に見つつ、もしもし、と舞が電話に出た。
「なんだ、今のは……」
ようやく頭から手を離し、堅一は椅子に座り込んだ。
身体全体が脈打つような感覚。じわりと、額から脂汗が滲んでくる。
背もたれに体重を預け、両目を閉じ、大きく深呼吸。
「……ぐっ!?」
再度、ズキンと走る痛み。同時に、ピリッとした感覚が身体に流れる。
だが、二回目にして、堅一はこの現象が全く知らないものではないのに気付いた。
「――少々、マズイことになった」
いきなり横からそんな声が聞こえ、堅一はハッとしてそちらを向いた。
通話は終わったのか、携帯電話を耳から離した舞が近くにきて、座っている堅一を見下している。言葉通り、その眉は顰められていた。
「件のゴーストが発見された」
言葉だけを聞けば、それはむしろ喜ばしい報告なのだろう。
しかし、その前に発せられた言葉と、何より舞の表情がそれを否定している。
「市之宮君と一緒に、な」
「……一緒?」
含みのある言い方。もちろん、そのままの意味であるわけがない。一緒というのは、つまり――。
「ああ、彼女は襲撃を受けている」
言葉を濁すことなく、舞が言い放った。
微かに瞠目しつつも、どことなく予想していた堅一は、やはりか、とその事実を受け止める。
「一応、市之宮君にも人目のない所は避けるよう伝えていたのだが……」
顎に手をやって厳しい表情で呟く舞に、堅一はふと気になって訊ねた。
「場所は?」
「公園の一角だ。南見中央公園の」
まさか、と考えていたとおりの場所であったことに、堅一は少しばかり顔を伏せた。
もし、姫華が昨日と同じように堅一を待っていて、そこでゴーストと遭遇したのだとしたら。
自分のせいだ――とは思わなかった。
行かないと宣言したのもそうだが、昨晩は傘による無言の意思表示をしたつもりでもあった。つまり、行ったが顔は見せないと。
ならば堅一に非はなく、勝手に姫華が待っているだけ。それ以外の何物でもなく、謂わば彼女の自業自得。もはや堅一には関係のない。……その、はずなのだ。
「現場には既にバトルフィールドが展開され、中で市之宮君とゴーストが相対している」
「……そういえば、そのバトルフィールドはどうやって?」
「ああ、どうやらゴーストは独自にバトルフィールドを展開できるようだ。そしてそれは、君も知っているバトルフィールドに限りなく近い」
舞は小さく息を吐くと、頭を振った。
一度展開されれば外からの介入は難しく、消失するのは戦いの勝敗が決した時か、もしくは発生させている装置の解除するか。力による突破は不可能ではないが、それには高位の実力者を何十人と必要とし、それでも成功が確実とはいえない。
それが、堅一の知るバトルフィールドである。
「となれば、現状において我々ができることは一つ。バトルフィールドが消失した後に、ゴーストを撃破する。ただ、それだけだ」
「……すると、彼女は――」
「ああ、少しの間は抵抗できたとしても、まず間違いなく天能を奪われるだろうな。ソルジャーならまだしも、ジェネラルである彼女が一人でゴーストを退るのは十中八九無理だ。そしてバトルフィールドに介入できない我々は、その様を外から見守ることしかできない」
このままではいずれ天能を奪われると、そう舞は断言した。
それは、ソルジャーやジェネラルにとってどうしようもなく残酷な台詞――そのはずなのだが。
どういうわけか、舞の口調はそれほど哀しみに満ちていなかった。では、市之宮姫華を案じていないかといえば、そうでもないだろう。舞は、確かに姫華が0クラスに加入することを喜んでいたのだから。
「我々に、彼女を救う手はない。……我々にはないが――」
繰り返し呟いた舞は、強い光を瞳に宿し、よく通る声で言った。
「――君なら、彼女を救うことができる。彼女と仮契約を交わし、彼女と唯一の繋がりを持つ、君なら」
「……俺、が?」
堅一は、呆然として呟いた。
――自分が、誰かを救う?
そんなこと考えたこともなかった。むしろ黒星堅一は、常に救われてきた側の人間だった。
「…………」
では、そこから変わることができるのならば。それは果たして、成長への一歩といえるのだろうか。
――分からなかった。
何が正しくて、何が間違いなのか。何をすればいいのか。
「俺は、どうしたら……」
苦悶の呟きが、無意識の内に堅一の口から零れた。
「それは、これから見つけていくんだ」
穏やかな、声だった。
顔を上げれば、微笑を湛えた舞が堅一を見下していた。
「誰でもない、他ならぬ君自身が。もとより学園とは、そういう場所なのだから」
堅一の脳裏をよぎるのは、ここに来るまでにすれ違った生徒達。夏休みだというのに、自ら進んで学園に足を運んでいた、彼らのその顔。
焦燥があった。疲労があった。充足感に満ちた顔があった。
それこそまさに、昔の己が浮かべていたものではなかったか。
――そして。
先程から感じていた、身体の違和感。微かに、仮契約の時の名残が残っているのだろう。いずれ切れるものだからと堅一が放置していた、繋がりが。つまり、姫華と堅一の仮契約は完全には切れていないのだ。
一般的に共鳴現象と呼ばれるそれは、契約している片方が危機に陥った時、残りの片方に異変を知らせる現象である。
しかしそれは――相性の悪い者同士の契約では、決して感じることはない。
「……っ!」
それはどちらかといえば、理性ではなく本能的なものだった。
拳をギュッと握りしめ、堅一は力強く立った。あまりの勢いに、座っていた椅子が大きく揺れた。
舞の笑みが、深まる。
「さあ、行くのなら急いだ方がいい。彼のゴーストが市之宮君の天能をすぐに奪わないのは、君の存在があるからだ。いい気はしないだろうが、ゴーストにとっては君も充分に魅力的な餌なのだろう。しかしいつまでも君が来ないとなれば――ゴーストは彼女の天能を本気で奪いにいくはずだ」
ゴーストは、姫華を囮として堅一を釣り出そうとしている。
タイムリミットは、ゴーストの気分次第。気が短ければ、堅一が公園に辿り着くまでにゴーストは姫華を処理するだろう。
止めるなら、今の内だ。走り出してしまえば最後、もう足を止めることはできない。止まれそうもない。
それならば。
俺は……俺は――。
「彼女なら、君を受け入れることだろう。――もっとも、私でも構わないが?」
舞がおどけたように言った、直後。
一陣の風が、彼女の頬を撫でた。クーラーこそあるものの、窓もない室内だというのに。
バタンッ!!
一拍遅れて、まるで蹴り開けられたかのように、ドアが開閉された大きな音が室内に響き渡る。
人影が一つとなった部屋。舞は一人、風が撫でた頬に手を当て、意味無く天井を仰ぐ。
「ねえ、あの黒星って奴、凄い勢いで飛び出して行ったけど、どうしたの?」
しばらくして、舞のいる部屋に入ってきたのは雨音だった。
彼女は、訝しげな表情で天井を見上げる舞に訊ねる。
「ん? ……ああ、どうやら私は振られてしまったようだ」
意図をはかりかねる返答。
はあ? と疑問顔になる雨音を横目に、舞は苦笑を浮かべた。
しかしすぐさま、その表情は面白がるような笑みへと変わる。
「だが、相対するのも面白い。今の私が、瞳の輝きを取り戻した君に何処まで通用するか。――楽しみにしているよ、黒星堅一君」




