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ベター・パートナー!  作者: 鷲野高山
第一章 パートナー契約編
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二十一話 がらんどうな心

「アンタが、あの市之宮って子の弱みを握って無理矢理従わせてる変態野郎(・・・・)って話。あれって、本当なの?」

「……は?」


 雨音の敵意にも似た態度から、一体何を言われるのかと身構えていた堅一は、彼女が発した言葉を聞いてポカンと口を開けた。

 何だそれは、と反射的に問い返そうとしたものの、思い当る節があるのに気付きその口を噤む。


 ――変態。


 それはあの時、教室に戻った堅一を迎えた毅の言葉だ。市之宮姫華が、初めて堅一に契約を申し込んできた、あの日の。

 姫華の発言による周囲の誤解、あるいは変に勘繰った生徒の推測がクラスメートの間に事実として定着してしまったのだろうが、まさかここでそれを聞くことになるとは。

 二年の間にまで伝わっているのか、それとも偶々彼女が知っただけなのか。後者であってほしいと思いつつも、堅一は怖くて訊ねることができなかった。

 

「えっ、嘘、まさか本当に……」


 黙りこくった堅一を見て勘違いしたのか、雨音が僅かに後ずさる。


「い、いや、それは誤解だっ!!」


 そんな雨音の反応を目の当りにした堅一は、相手が上級生という認識が一時頭からすっぽ抜け、慌てて声を荒げて否定した。

 突如大声を上げた堅一に、雨音はビクッと身を竦ませ、棘のある表情を僅かに緩める。


「そ、そうよね……」


 もっともそれは、緩めたというよりかは、引き攣ったようなそれへと変化しただけだが。その口からは、堅一の言葉に納得するような呟きが小さく漏れた。


 その微かな呟きが耳に届いた堅一は、思わず拍子抜けした。

 なにせ、次はどんな言葉が飛び出てくるのかと耳を傾けていたのだ。聞いてきた割には妙にあっさり信じたな、と堅一は雨音の顔を訝しげに見る。

 確かに、堅一は声を大にして否定を唱えた。しかし、焦って声を上げたことで余計に不信を招いただろうとも考えていた。

 いくら堅一が声を荒げたからといって、そしてそれに驚いたからといって。このいかにも気の強そうな女子の先輩は引くことはないと思うのだが。


「……っていうか、いきなり大声出さないでよ!」


 そんな堅一の内心とは裏腹に、雨音は自身の驚いた様を見られたのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしつつ、怒鳴るように言う。それは追及ではなく、大声を上げたという行為に対しての非難。

 次いで、こう主張した。


「それと……べ、別に、アンタの言葉を信じたわけじゃないからね!」

「……なら、どうして?」


 甲高い雨音の怒声に片耳を押さえながらも、堅一がそう訊ねれば。

 彼女は冷静さを取り戻そうとするかのように大きく深呼吸し、息を整えて言った。


「最初は、こっちも半信半疑だったわよ。でも、アンタ達二人の様子を見てたら、どうにも聞いた話とは違うみたいだし。だから、一応アンタに聞いてみたの」


 あっけらかんと言う雨音に、堅一はげんなりする。

 同時に、得心がいった。つまり、彼女――鳴瀬雨音は、その話を事前に耳にしていたから、初対面のはずの黒星堅一を良く思っていなかったのだと。


 しかしそうなれば、疑問も出てくる。良くない噂を偽りだと思っていたならば、だ。雨音は、なぜ堅一に対して今まで以上の敵意を示すのか。


「……聞きたいことは、それだけですか?」


 そうだ、と返されたのなら。堅一はきっと、雨音から感じる敵意を気のせいとして流していただろう。

 だが、雨音は堅一の問いに対してコホン、と咳払いをすると。


「いえ、今のはあくまで確認にすぎないわ。本題は、こっち」


 再びキリリと厳しい視線を堅一に送り、告げた。


「――アンタさ、進級しないで退学するってのは、本気なわけ?」

「……どうしてそれを?」


 堅一がそれを話したのは、この学園では二人だけしかいない。

 一人は、姫華。堅一の天能を知って尚、懲りずに契約を申し込む彼女を諦めさせようと言った時だ。

 もう一人は、雨音のジェネラルでもある天坂舞。こちらも、契約を申し込まれた際に話している。


 普通に考えれば、舞が雨音に話したというのが妥当と思えるが――。


「アンタがあの子(姫華)と話してる時よ。盗み聞きするつもりはなかったけど……アンタが大声でそう言ってたのが聞こえたの」


 雨音の言葉を聞き、堅一はその時の状況を脳裏に思い返した。

 初めて旧校舎へと連れて行かれた、その帰り。堅一が旧校舎から出て帰宅の途につこうとしている所に姫華が追いかけてきて、そのまま会話を交わしたのだったか。

 確かに、旧校舎からそこまで離れた距離ではない。通常の会話は聞こえなくとも、大声ならば周囲にさぞ響いたことだろう。

 堅一が己の迂闊さを悔いるも、すでに遅い。


「で、どうなのよ? 本気でそんなこと思ってんの?」


 ジロリ、と威圧するように雨音が眼光を鋭くさせる。嘘偽りを吐こうものならただではおかない、と彼女の心の声が漏れ聞こえるようだ。


「まあ、本気ですけど」


 それに気圧されたわけではない。気圧されたわけではないのだが――彼女の瞳があまりにも真剣であったがため、気づけば堅一は渋々と首肯していた。


「……一応、理由を聞いてもいいかしら?」


 静かに、雨音が問いかけた。

 堅一はなにか妙な違和感を肌で感じつつも、素直に返答する。


「もう、俺がこの学園にいる理由がないんで」


 かつてのパートナーの手掛かり。ただそれだけが、堅一の中にあった理由である。

 それを聞いた雨音は、唇の端を歪めて、


「……理由がない? ……理由がない、ねぇ」


 天井を見上げながら口の中で転がすように繰り返した。


「まぁ、アンタにも事情はあるだろうし? 私がとやかく口を挟むことでもないんだろうけど」


 と、そんなことをしゃべっていた雨音だが、唐突にその口が止まった。

 ここで堅一は、妙な違和感の正体に気付いた。彼女の放つ雰囲気、とでもいえばいいのか。見えないはずのそれが、音もなく変わっていくような感覚。


「……でもさ、学園にいる理由がないから、なんてアンタも馬鹿にしてるわよね」

「え?」

「なに、無自覚なわけ? それなら尚更、性が悪いわ」


 天井から視線を外し、堅一を見据える雨音。

 旧校舎の、少し暗めの蛍光灯が照らし出すその顔は、先程とそう変わりはない。だが、その瞳の奥にあるのは――怒り。

 冷たく、されど烈火の如く激しい怒りを内に宿した声が、堅一の鼓膜を震わせる。


「別に、退学することを責めてるわけじゃない。パートナーが見つからなかった4クラスの生徒もいれば、家庭の事情で退学したり、それこそゴーストに天能を奪われて退学をせざるをえなかった生徒もいる。昨年だけじゃなく、過去全て合わせれば、何十人とね」


 ――でも、彼らが望んで退学していったと思う?


 雨音の静かな問いかけが、すっと堅一の心に入ってくる。

 答えは、ノーだろう。望んで退学した生徒もいるかもしれないが、恐らくは無念の思いで弐条学園を去った生徒の方が多いはずだ。


 同時に堅一は、雨音がなぜ怒気を発するかを理解した。

 ――理解してしまったからこそ、答えを分かっていながらも言葉を返すことができなかった。


「…………」

「アタシだって、必死でやることやって、それでも駄目で諦めた人間に鞭打つなんてしないわよ」


 無言になった堅一を一瞥しつつも、雨音は言葉を続ける。


「……でも、アンタは違う。契約を申し込まれてもいるし、手を抜いてるのかは知らないけど、訓練の時に見せた力もある。それなのに、学園にいる理由がないから退学する? なにそれ」


 呆れたように、雨音が声を上げた。

 進級可能な状況であるのに退学すること。理由がないのに学園に在籍していること。彼女が言っているのはそういうことだろう。


「そりゃあ、多少の思惑があって学園に通ってる生徒もいるでしょうね。でも、上を目指して入学しているというのは、誰しも少なからず共通してるはず。成長したいという理由があるはずなの。でも、アンタは理由がないから進級しない。……退学になった生徒だけじゃない。今、この学園で切磋琢磨する生徒、もっといえば全てのソルジャーやジェネラルの努力を馬鹿にする言葉だとアタシは思うけど?」


 雨音の言葉を聞いた堅一は、思わず目を伏せていた。

 確かに、雨音の言葉は正論なのだろう。しかし堅一とて、何も最初から目的がなかったわけではない。


「……っ、俺は、ただ――」


 反論しようと、声を上げる。

 だが、その先に続く言葉が、すぐには浮かんでこなかった。


「――ふむ、どうにも遅いから様子を見に来てみれば、中々興味深い話をしているな」


 そんな時だ。旧校舎の廊下に響いたのは、第三者の声。

 木の床を歩く足音と共に、通路の奥から姿を見せたのは、堅一を呼び出した天坂舞その人だった。

 舞は、堅一と雨音の二人を交互に見やる。雨音はポリポリと頬を掻き、フイと堅一から視線を逸らすと、腕組みをして壁によりかかった。


「だがまあ、私も彼に話があるのでね。ひとまずそこまでにして、黒星君は私に着いてきてくれ」


 言うやいなや、すぐさま舞は踵を返して元来た道を戻りはじめる。

 一拍遅れ、のろのろとした動きで堅一もそれに続く。

 

「――アタシはね、去年までは1クラスじゃなかったの」


 しかし背後から硬い声が聞こえ、ピタリと足を止めた。

 壁によりかかってその場から動かず、堅一から視線を逸らしたまま憮然とした面持ちで、雨音は言った。


「ああ、やっぱ今の無し。聞かなかったことにしといて」


 苛ついたような声。

 何でこんな奴に、などというブツブツとした呟きが聞こえることから、無意識の内に喋ってでもいたのだろうか。


「…………」


 返す言葉もないまま、堅一は歩き出す。背中にかかる言葉は、もうなかった。



 旧校舎の窓は、木の板で塞がれているため、陽の光はおろか、外の様子を見ることすらできない。

 それゆえ、蛍光灯のみが照らすその廊下を、舞の後に続いて、黙々と堅一は歩いていく。

 いるのは、二人だけ。雨音は、着いてきていない。


「まあ、適当に座ってくれ」


 堅一が案内されたのは、先日連れてこられた時と同じ一室だった。

 コの字のテーブルに、周りを囲うように配置された椅子。前と同じように、上座に近い席に座る。

 先に着席していた舞がそれを確認して、話を切り出す。


「いきなり本題に入るが、話したいことというのは、君と市之宮君が遭遇、撃退したと思しきゴーストのことだ」

「……ああ、そういえばここはそういう場所でしたね」


 嫌味でもなんでもなく、咄嗟に出た素の発言だった。

 なぜなら、初めて訪れた時も、そして今も、この旧校舎内で見たのは舞と雨音の二人だけなのである。

 ゴーストに対抗するための0クラスというからには、他の生徒と遭遇してもおかしくはないというのに。

 堅一の言葉に、舞は苦笑を浮かばせる。


「ああ、あくまでもここは情報共有や緊急の呼び出しを受けた時に集まる場所。放課後に必ず集まるとか、頻繁にここに来るとか、そういった決まりはなくてね。ただ、今も別の部屋とかには、何人か生徒が来ているよ」

「……それで、ゴーストに迅速に対応できるんですか?」

「いや、それが中々難しい。なにせ我々には、ゴーストがいつ、何処で出現するかを詳しく知る術がなくてね。確認するには目視が確実であり、且つ手っ取り早い。ゆえに、ここに集まってもむしろ非効率なんだ」


 道理で被害者も出るわけだ、と堅一は思った。もっとも、そういった術や道具があるならあるで、都合がいいとも言えるわけだが。

 苦笑から一転、真剣な顔つきとなった舞が、話を続ける。


「それで、だ。つい昨日、0クラスの生徒が一体のゴーストを発見したという報告があった。そのゴーストは何かを探しているようで、発見した生徒に襲いかかることなく姿を消したらしい。私はこのゴーストが、君達の撃退したものと同じ存在だと考えている」

「その根拠は?」


 すでに薄々とした予感はあったものの、堅一は舞に訊ねた。


「通常のゴーストであれば、誰彼見境なく襲いかかってくる。連中にとって天能を持つ人間は餌でしかないからね。だが、稀に狙いを持って行動するゴーストがいる。あくまでも推測だが、今回のゴーストが探しているのは、君と市之宮君の二人だ」


 推測といったものの、舞の口調はどこか確信めいたもののように思えた。

 舞の言葉の途中からなんとなく予想していた堅一は、嫌々と口を開く。


「なんでですかね?」

「報復、あるいは君達が余程上物の餌に見えたのかもしれないな。ゴーストには知性があるようだから、君達のことを覚えているのだろう」

「……はあ」


 上物の餌。

 姫華ならまだしも、しかし自分のは――。

 複雑な面持ちとなった堅一を見て、何がおかしいのか、舞が僅かに相好を崩す。


「つまり、忠告ということだ。件のゴーストに襲われたくなければ――いや、そもそもゴーストに襲われたくなければ、人気のない場所で一人にならないこと。なったとしても、その場に留まらないこと」

「……なるほど」

「ああ、一応言っておくと、学生寮に住んでいるならば部屋での心配はいらない。他の階や隣室には人の気配があるから、ゴーストに襲撃される確率は低いだろう。その点は、良心的な幽霊みたいなものだね」


 それは、軽い冗談のつもりなのか。どうにも反応に困る舞の言葉。

 とりあえず堅一が適当に頷いておけば、特にリアクションもなく、舞も頷いた。


「さて、後は……そうだな、少しばかり世間話でもしようか」

「……世間話?」


 用件は終わったのか、いきなりの話題転換。

 正直気は進まなかったが、渋々と堅一が聞き返す。


「そう。例えば……先程の雨音の言葉を聞いて、どう思った?」


 探るような瞳をした舞が、堅一に訊ねた。

 それに対し、堅一は。


「…………」


 すぐに答えることができなかった。

 ただ一つ、言えるのは。


「……それでも俺は、上を目指そうとは……」

「ふむ。それはやはり、君のかつてのパートナーがいないからかな?」


 言葉を濁す堅一だが、舞が先んじて問いを投げかける。

 そしてそれを、堅一は否定しなかった。

 そんな堅一の様子を見た舞は、軽く息を吐くと、


「これは先日、言おうとしたことなんだがね。……君のことは確かに尊敬しているが、ここは学園の先輩として言わせてもらおう」


 柳眉を逆立て、威圧感の伴った静かな声で、言った。


「ではもし、君のかつてのパートナーが二度と姿を現さなかったら? 君はずっと、腑抜けた今の姿のままなのか?」

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