二十話 呼び出し
昔の夢を見た。
都会、とはいえないが、まったく寂れているわけでもない田舎町。その道端に、堅一は立っている。
交通量は、それほど多くはない。が、道行く人々は堅一に気づくと、途端に目を逸らしそそくさと避けるように足を早めるか、ヒソヒソと陰口を叩きあい遠巻きにする。
時折通り抜ける車の窓ガラス越しからも、好意的とは言い難い嫌な視線。
幼かった堅一でも感じ取れるほどに、あからさまだった。
手のつけられない悪童だったわけではない。恨まれるような行動をとったわけでもない。
ただそこにいるというだけで、黒星堅一という少年は疎まれた。
呪い、という堅一の天能が発覚してからだ。名も知らない赤の他人に睨まれるようになったのは。比較的仲の良かった近隣の住人からさえも避けられるようになったのは。
堅一自身が、意図的に何かをしたわけではないというのに。
田舎の景色がすうっと遠のき、まるで映画を見ているかのように、場面が切り替わる。
雨が、降っていた。
ザーザーと激しく地面に叩きつけられる雨を前に、堅一は建物の陰に佇んでいる。
冷たいコンクリートに背を預け、ぼんやりと虚空を仰ぐ。周囲には人影一つなく、まるで自分一人だけの世界。
降りしきる雨の音を聞きながら、ただただ待ち人を待つ。
待ち人はおろか、誰一人この場に現れることなく。長い時間をかけ、やがて雨は上がった。それでも堅一は微動だにせず、虚空を見続ける。
待てども待てども、来ない。――誰も、誰も。
寝覚めは、凡そ心地良いとは程遠いものであった。
窓より差し込む朝日。季節によっては和やかともなるが、しかし今は夏である。
暖かい、というよりは暑い陽射しに包まれ、堅一の意識は浮上した。
無言のまま、薄目を開ける。
全身に感じるのは、びっしょりとかいた寝汗による不快感。それは暑さゆえなのか、はたまた別の要因か。
そういえば、昨日は雨の中を走ったためにずぶ濡れとなったが……まあそれは関係ないか、などとぼんやり考える。
しかしすぐさま顔を顰めて額に浮き出た汗を拭い。そうして、目を細めたまま窓の外を見やる。
雲一つ見あたらない、快晴であった。昨日までの曇りや雨が嘘に思えるほどの、抜けるような青空。太陽が燦々と輝き、室内を明るく照らしている。
――晴れるのは明日からではなかったのか。
昨夕の雨といい、今こうして快晴であることといい、堅一の聞いた予報は外れている。
まあそんなことを愚痴っても仕方がない、と堅一はのろのろとベッドから身を起こした。
服を着替え、簡単に朝食をすませる。
そうして何をするわけでもなく、だらだらと寮で寛いでいると。
携帯電話が鳴った。2コールほどで手に取り、電話に出る。
「もしもし」
「おー、今日は起きてたな」
どことなく感心したような、それでいて面白がるような毅の声が、堅一の耳に届いた。
時計をチラと見れば、午前十時。昨日より二時間以上早いとはいえ、充分に起きてて可笑しくない時間だ。
「……当たり前だろ」
「いやー、どうだろうな。案外今日だけだったり――」
「切るぞ?」
茶化すような毅の口調に、堅一はただ一言淡々と返す。
その声が本気であるのを感じ取ったのか、毅は慌てて声を張り上げる。
「待て待て、冗談だって! いやぁ、堅一君は起きてて偉いなぁ!」
「……で、用件は?」
まるで年下の子供に対する賛辞。わざとらしいとも思えるそれに大きく溜め息を吐きながらも、堅一はさっさと話を切り替える。
「ん、ああ。いつ学園に来れるか、決まったか? 一応昨日は連絡待ってたんだけどよ」
学園? と堅一は一瞬毅の言葉に疑問符を浮かべ。そしてすぐさま、昨日の毅との会話を思い出す。
電話で交わした、学園での鍛錬の約束。すっかり忘れてしまっていた。
「あ、あー、それか。……悪い、まだ決めてなかった」
「おいおい、頼むぜ。今日も来てんだけど、やっぱ一人だと、な」
たはは、と電話の向こうで困ったように笑い声を上げる毅。
「そりゃ、何と言うか……夏休みなのに、ご苦労なことで」
まだまだ夏休みに突入したばかりだというのに、今日も学園に行っているとは。
ほぅ、と僅かに感嘆の声を漏らし、言葉を返す。
「遅くとも、今週中には決めて連絡するから」
「おう、分かった。今度は忘れんなよ? じゃあな、堅一!」
そうして、毅の活き活きとした声を最後に、電話は切れた。
堅一は軽く息を吐くと、携帯電話を持ったまま両腕を上に突き上げ、ぐっと伸びをする。
「予定、ねぇ……」
はっきり言えば、堅一には予定らしき予定がない。
毎日、それこそ今すぐにでも学園に行くことは可能だ。
だがあくまで堅一としては、毅に付き合うのと、気晴らしが目的。
午後にでも決めるか、と先延ばしにして、堅一はひとまず携帯電話を置こうとしたのだが。
ヴヴ、と手の平に感じる震動。プルルッ、と鳴り響く着信音。
見れば、手中にある携帯電話が再び鳴動を始めていた。
今度は誰だ、と画面を見やる。
そこにあったのは、先程と同じ「荒山毅」の文字。胡乱な目でそれを確認し、緩慢な動作で電話に出る。
「まだ何か用か?」
言い忘れでもあったのだろうかと思い、何の気なしに口を開く。
「――おはよう、黒星堅一君」
しかし返ってきたのは、女性にしては低めの、それでいて凛とした声だった。
驚いた堅一は、目を瞬いて携帯電話の画面を見る。だが、そこにあるのは紛れもなく、毅の名前。
「……どちら様で?」
「おや、もう忘れられてしまったとは、悲しいな」
訝しげに堅一が訊ねると、電話の相手はおどけたように言った。
どことなく聞き覚えのある声に、その口調。昔の知己とかではなく、かなり最近聞いたものだ。
確認するように、おずおずと堅一は声を上げる。
「……天坂、先輩?」
「ああ、そうだ。しかし君に先輩と呼ばれるとは、少し嬉しいものがあるね」
電話の相手――弐条学園の二年生である天坂舞は、言葉の通り僅かな喜色を含ませて肯定した。
何と反応してよいやら、ひとまず「はあ」と曖昧な相槌を打つと、堅一は頭に浮かんでいる疑問を口に出す。
「それで、何で先輩が毅の携帯を?」
「なに、私が彼の近くを通りかかった時、偶然にも君の名前が聞こえてね。彼に聞いてみたら、案の定電話相手が君だと分かったので、少し拝借した次第だ」
「…………」
そういえば、毅は学園にいると言っていたか。舞も学園にいたとしたら、まあ有り得ない話ではない。
「それで、俺に何か用でも?」
若干の警戒を込めて、堅一が用件を問えば。
ああ、と舞は返答し、
「今日の午後、学園に来られるだろうか? 君にとっても大事な話があるんだ」
そう堅一に言った。
「大事な話?」
「そう。可能であるならば、来てほしい」
行くことは不可能ではない。なにせ、堅一にはこれといった予定がないのだから。
だが、どうにも嫌な予感しかなかった。
「電話じゃ駄目なんですかね?」
とりあえずそう聞いてみるも、できることなら直接伝えたいとのことだった。
しばし逡巡し、不承不承といったように了承する。
「……分かりました」
「そうか、ありがとう。それでは、午後五時に旧校舎に来てくれ」
舞は、静かな声で礼を述べると。続いて、声を潜めるようにそう言った。
旧校舎、という単語を聞き、堅一は思わず眉を顰める。だが、了承してしまった手前、取り消すことなどできない。
それではまた後で、と言って舞は電話を切った。
「……偶然、ねぇ」
ベッドに腰掛けつつ、堅一は考えこむ。
連絡できたのは偶然というのに、今日直接話したいという大事な話。どうにも変な話だが、旧校舎に来いという時点で、まともな話ではないのは明白。
だが、からかいや嘘といった類ではないのだろう。舞の声色は、確かに真剣なそれだった。
ともかく、行くしかあるまい。
あまり気乗りはしないものの、堅一にはその選択しか残されていなかった。
約束の時間より少し余裕をもって、堅一は弍条学園の校門を潜った。
寄り道などせず、そのまま真っ直ぐ旧校舎へと向かう。
対面からは、鍛錬が終わったのであろう生徒が歩いてきて、堅一とすれ違い校門の外に出ていく。
中には制服の胸元に校章を着けた1クラスの生徒もおり、それに気づいた堅一は、夏休みなのにまあよくやるものだと感心した。
4クラスの生徒ならまだしも、1クラスの立場であれば遊びまわっても問題はないのだから。
旧校舎への道中も、ポツポツと生徒とすれ違う。
あまり上手くいかなかったのか、焦燥を浮かべる生徒。それとは対照的に、充実感ゆえか晴れ晴れとした顔で談笑する生徒達。
そんな彼らを横目に、毅はまだ残っているのだろうか、などとぼんやり考えつつ堅一は歩を進める。
そうして、約束の時間に遅れることなく旧校舎に辿り着いた。周囲に人影はなく、誰の声も聞こえない。
となればあの入口だろう、と堅一は旧校舎の裏に回る。果たして予想通り、天坂舞のソルジャーである鳴瀬雨音が、旧校舎に身をもたげて立っていた。
堅一が近づくと、その姿に気づいた雨音が、視線を鋭くさせる。
どうも、と堅一が軽く会釈をすれば。雨音は無言のまま件の隠し入口へと手を押し付けた。
旧校舎の壁が左右に開き、出現する割れ目。
そのすぐ横に立つ雨音は、しかし入るでもなく、ただただ堅一を睨むように見ている。
先に行けということだろうか、と堅一は雨音の横を通って旧校舎内へ入った。
堅一の後に続いて、旧校舎に入ってくる雨音。
その背後で、割れ目が閉じる。
「…………」
しかしそれでも尚、雨音は動こうとする気配もなく、堅一を睨み続ける。
てっきり雨音が先導して歩くのだと思っていた堅一は流石に困惑した。
そもそも、初めて会った時からどうにも雨音は堅一をよく思っていないようだったが、今はその時以上に好意的でない。
だが、堅一にはそんな態度をとられる心当たりがないのだ。
4クラスを蔑んでいるというのなら分かるが、彼女の視線はその類ではない。4クラスそのものではなく、堅一個人に対しての悪感情。なんとなく、そんな気がするのだ。
いつまでもこうしてはいられない、と仕方なく堅一が雨音に話しかけようとした――その時。
「ちょっと、アンタに聞きたいことがあるんだけど」
ここにきてようやく、鳴瀬雨音が口を開く。
その声は、彼女の表情と同じくらいに棘のあるものだった。




