十八話 一学期の終わり
金曜日。
学園においては週の末日にあたり、明日明後日と休みを前にした日。
本来ならそれだけで生徒達の顔により一層の生気が満ちるというものだが、今日に限っては同時に一学期の最終日でもある。
生憎の曇り空ではあるが、そんなのおかまいなしに、目前に控えた夏休みへの期待感に顔を輝かせて登校する生徒が多い中。堅一は表情を緩めるわけでもなく、むしろしかめ面を隠さずに通学路をのろのろと進んでいた。
その耳には、夏休みの計画をさも楽しげに話す声が、周囲からいくつも入ってくる。
やれパートナーとシュラハトのイベントに行きたいだの、やれパートナーと旅行に行くだの。
その内容からも、声色からも、これから訪れるであろう日々にいち早く興奮しているのが窺える。
友達や家族云々という会話もあるが、彼らの話のどこかには必ず「パートナー」という単語が入っていた。
だが、堅一にとってはそんな夏休み前特有の雰囲気も、普段の朝の通学路で聞こえてくるお喋りと同様でしかない。我関せず、といった様子で歩を進める。
――そのはずなのだが。
しかしどうしてか、彼らの話し声が耳に付いた。
ついつい脚に力が籠り、地面が一際大きい足音を立てる。
「……何やってんだ、俺は」
周囲にではなく、自らの感情に苛立ち、呻くように一言。
聞き流せばいいだけのはずだった。夏休みだからといって、彼らの会話に感じるものがあるわけでもないというのに。
――今更、何に感情が動かされるというのだ?
そう思っても、しかし堅一の内心とは反対に歩調は乱れはじめる。
視界に映る生徒達は、あっという間に堅一を追い抜かし、また新たな生徒が背後から来ては、抜かしていく。
時には、堅一を鬱陶しげに見る者もいたが、すぐに友人達と談笑を再開して道の先に消えていった。
「よお、なにトロトロ歩いてんだよ、堅一!」
不意に、そんな快活な声と共にバシンッ、と背中を叩かれた。
のろのろと振り返ってみれば。一体いつからいたのか、にへらっ、と気の抜けるような笑みを浮かべたクラスメートの姿があった。
「なんだ、随分と小難しい顔してるな、おい」
「……そうか?」
面白おかしい、といったふうな声を上げながら、荒山毅は堅一の隣に並び立つ。
そんな様子の毅に、堅一は短く言葉を返すと、向き直って歩みを再開した。
「しかし、昨日の訓練は惜しかったな?」
そうして、いつものような調子で堅一に会話を振る毅。
昨日、轟朱門とのいざこざから発生した、残存体力の差で堅一の負けという判定となった訓練。怒りのままに天能を行使してしまった訓練でもある。
その記憶を思い起こした堅一は。
「別に、そんなこと――」
ない、と言おうとして――足こそ止めなかったものの、横を歩く毅をまじまじと見た。
すっかり頭から離れてしまっていたが、そういえば今こうして呑気に隣を歩く毅も、昨日の堅一の異常性を目の当たりにした一人なのである。
避けられるか、そうでなくとも何らかのアクションがあると思っていた。
妙な感覚に苛立っていたというのもあるが、あまりに普通に毅が接してきたため、うっかり忘れてしまっていたのだ。
そんな、堅一の視線に気付いたのか。
「ん? ……ああ、昨日のことか? まあ、確かに驚きはしたけどな」
事も無げにカラカラと笑い、大した動揺もなく毅は言った。
「お前さ、普段から妙に達観してるっていうか、浮いてるっつうか……パートナーがいないくせして、とにかく落ち着きすぎなんだよ。だからなんとなく、ああ、コイツ何かあるなってな」
やれやれ、と言わんばかりに肩を竦める毅。
堅一は、無言のまま毅から視線を逸らさず、その言葉に耳を傾ける。
「俺達4クラスは、パートナーが見つからなきゃ一年で退学だ。にも関わらず、お前にはパートナーを探そうとする気がこれっぽっちも見られない。それは余程自意識過剰な馬鹿か――それとも、何らかの理由があるか、だ」
堅一の方を見るでもなく、毅は空を仰ぎながらただただ前に足を運ぶ。
その横顔は、真剣のような、しかしそうでもないような。とにかく、掴み所のないものであった。
「が、見てる限り前者ではない。それだったら、市之宮姫華からの契約の申込みに飛びつくはずだからな」
「…………」
「となると、後者。……言っちまえば、2、3クラスってのは平均であり、あくまで普通の領域だ。理由アリの奴ってのは大抵、上か下――つまり、1クラスか4クラスにいるもんだ」
「……なんで、そんなこと言い切れるんだ?」
「そりゃあ、俺もその内の一人だから」
そんな毅の言葉に、堅一は思わず、足を止めた。
「――なんてのは、冗談」
堅一の反応に気づいたのか、悪童めいたような無邪気な笑顔で、毅は振り返る。
してやったり、と言わんばかりの笑みだ。
「ま、人にはそれぞれに事情があり、その大小も人それぞれ。互いの詮索は無粋ってもんだろ」
「…………」
あっけらかんと言う毅を横目に、堅一は無言のまま歩みを再開する。
意外ではあったが、今まで同様に接してくれるなら、それはそれで構わなかった。呪いとは知らずとも、少し変った天能、という程度の認識なのだろう。
互いの詮索は無粋。いかにもその通りである。所詮は、学園に通う間だけの短い付き合いでしかないのだから。
ふと、堅一は考えこむ。
確かに彼の言う通り、堅一はパートナー探しなどしてない。してはいないのだが――。
「俺、そんなに浮いてたか?」
「……お前、俺のこと馬鹿にしてんだろ。他の奴は知らねぇが、お前と話してりゃ気付くっての」
疑問の声を上げる堅一に、毅は心底呆れたように言葉を返した。
「それでは、皆さん。良い夏休みを」
1年、ソルジャー4の教室。
その壇上から、教師の淡々とした事務的な言葉が発せられた。
本来、学生にとっては歓喜すべき長期休暇。そのはずなのだが、言葉を受ける生徒の顔に、明るいものは少ない。
学園は午前で終了し、今この時から事実上の夏休みに突入した。だが、教師が退室してもなお、はしゃぎだす生徒はごく少数であった。
それは勿論、堅一も例外ではない。
「堅一は、夏休みの予定どのくらい埋まってんだっけか?」
「……全く。別に、行きたいところもないし」
教室の最後尾、窓際。堅一の机に腰掛けた毅が、足をぶらぶらさせながら問いかければ。
席に座り、頬杖を突く堅一が素っ気なく応対する。
「なんだよ、つまんねぇ夏休みだなー。……もっとも、俺だってあんま人の事言えないけどよ。時々学園にも行かなくちゃなんねぇし」
初めこそ、堅一の答えを一言のもとに切り捨てる毅だったが。徐々にその言葉は勢いを失くし、やがては肩をガックリと落として大きく溜め息を吐く。
その体勢のまま、毅は顔だけを堅一に振り返った。
「堅一は、どうすんだ?」
どうすんだ、とはつまり夏休み中に学園に行くのか、ということだろう。
弐条学園には、夏季講習や補習といったものはない。しかし学内への立ち入りは可能であり、夏休み期間にも関わらず、自主的に学園へと来る生徒は少なくない。
彼らの目的は、主に学園の施設利用。
昨日、堅一が轟朱門と訓練を行った闘技場含め、学内の施設は生徒用に開放されており。彼らは都合のいい日に学園にやって来ては、鍛錬に励むのである。
堅一もそうだが、毅のような未契約の生徒――つまりパートナーのいない生徒とて、それは同じである。
確かに、4クラスの生徒はパートナーが見つからなければ進級できずに退学扱いとなる。が、パートナーを見つけられなくとも退学とならない方法は、ゼロではないのだ。
その方法の一つに、昇級能力試験というものがある。申請すれば、各学期末に一回のみ――つまり一年で最大三回受けることのできる試験で、それにて一定以上の成績を出せば、その結果に応じて3クラスや2クラスといった上のクラスに所属することができるというものだ。
ちなみに、1学期末と2学期末のそれは強制ではないが、3学期末は最終試験も兼ねているため毛色が異なり全生徒の受験が必須。最終試験の場合は、成績次第で上のクラスに行くこともあれば下のクラスに落ちることもある。無論、現状維持の可能性も然りだ。
つまり、クラス変更のチャンスは実質三度となる。
あくまで退学条件は、4クラスに所属するパートナーのいない生徒。はっきり言ってしまえば、例えパートナーが見つからずとも、自力での回避が可能なのだ。
それゆえ、夏休みという貴重な時間でどれほど自身の能力を高められるか、ということが重要となってくる。
開き直って遊び倒すか、遊びながらも己を鍛えるか。夏休みをどう過ごすかが、己の明暗を分けることになるのだから。
ただ、それは個人の自由意思であり、強制ではない。
ともなれば、堅一が行く理由はなかった。
「行かないよ」
「ま、そう言うと思ったぜ」
堅一の返事を聞いた毅は、やれやれ、と訳知り顔で机から下りる。
「とりあえず俺は、この後も残って身体を動かすことにするが……堅一は、もう帰んのか?」
そうして毅の問いかけに、ああ、と堅一が頷けば。
「じゃ、途中まで行こうぜ」
という毅の言葉で二人は教室を出た。
廊下に出てみれば、校舎内は興奮のざわめきに包まれていた。
通路の脇に集まり、夏休みの予定などを談笑する生徒。教室前でクラスメートと別れの挨拶を交わし、軽やかな足取りで帰途へつく生徒。
同じ建物内であるのに、まるで4クラスだけが切り離されているような感覚に襲われる。
もっとも、本来これが夏休みに対する正常な反応であり、おかしいのは4クラスの方なのだが。
「……うっ!?」
そんなことをぼんやり考えていると、なんとなく聞き覚えのある声が堅一の耳朶を打った。
思考を止め、現実に意識を戻す。
前方、すぐ近く。そこには、明らかに顔を青ざめさせて立ち竦む昨日の訓練相手――轟朱門の姿があった。
だが、それも僅かの間で。堅一が視線を向けたのに気付くと、轟は顔色を悪くしたまま、二人の横を通り抜けて足早に立ち去って行った。
「はは、よかったじゃねぇか。あっちは、お前が相当苦手になったようだぜ?」
それを見ていた毅が、茶化すように軽口を叩く。
声にこそ出さなかったが、それには堅一も同意で、内心胸を撫で下ろした。
その後は特に何もなく、昇降口に着いた二人は靴を履き替える。
トントン、と履き替えた靴のつま先を地面に叩きながら、毅はふと思い出したように口を開いた。
「ああそうだ堅一。予定がないんなら、時々どっか遊びに行こうぜ」
「んー、まあ別にいいけど」
予定がないとはいえ、流石に夏休み中ずっと寮に引きこもっているわけにもいかない。
靴を履きながら、堅一は毅の誘いに特に考えることもなく了承する。
「じゃ、適当に電話するわ。じゃーな!」
「それじゃ」
二人は校舎を出ると、互いに手を軽く上げ、言葉を交わす。
毅は、予め言っていた通り学園の施設へ。堅一は、帰宅する生徒に混じって校門を目指す。
――そういえば今日は、好奇や敵意の視線をあまり感じなかったな。
毅と別れた堅一は、歩を進めながらぼんやりと学園での時間を振り返った。
昨日までは、ヒシヒシと感じられていた視線。全くなくなったわけではないが、明らかに激減していた。
夏休みに浮かれているのか、それとも単純にその話題に飽きられたのか。
特に4クラスの生徒は、皆、自分のことに精一杯で他者に気をやる余裕などないのかもしれない。
訓練の話もさほど広がってはいないようだし、轟朱門は突っかかってくる様子はない。
なにより、市之宮姫華の接触もなかった。
全てが元通り――とは言えないだろうが、着実に元の何でもない学園生活に戻りつつあるのは確かである。恐らく夏休みという長い時間を経れば、再び淡々とした毎日が訪れるだろう。そうして、当初の予定通りに退学する。
オールオッケー、万々歳。
それは、黒星堅一にしてみれば、諸手を上げて喜ぶべきことなのだ。
生徒の波に沿って、弍条学園の校門を潜る。
夏休みに入ったというのに、頭上には一面鈍色の雲が広がっていた。もっとも、今朝から――というよりも、昨日からそうだったわけなのだが。
しかしまあ堅一にしてみれば、ギラギラの太陽が照るよりかは曇天の方がまだマシである。
じとっとした灰色の空の下。これまた灰色のアスファルトを進み、堅一は寮へ帰るのだった。
こうして何の問題もなく、弐条学園一学期最後の登校日は、あっさりと幕を閉じたわけだが。
ただ、どうしてか。
どうにも気分は晴れなかった。
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