十六話 本気で怒らせたくない男
そも、呪いとはなにか。
その定義は明確にできずとも、恐らく誰しも漠然とした答えはその胸中にあることだろう。
すなわち、怨みや祟り。物理的ではない手段により、不幸や災厄が訪れること。
神話や伝承などにも記述がある通り、その存在は「魔法」などと共に、古より現代に語り継がれている。
例えば、「アーサー王物語」における13番目の席。キリストを裏切ったイスカリオテのユダの席であるため、魔術師マーリンによって呪いをかけられた危険な座。もっともこの呪いは、円卓の騎士の一人であるランスロット卿の息子、ガラハッド卿により打ち破られたとされているが。
そして近代にまで残るものであれば、イギリスのサースク博物館の天井に吊り下げられているという、バズビーズチェアも有名だろう。死を招く椅子とも呼ばれ、座った者を殺す。これもまた、呪いの類である。
魔法は消え、天能という力が人々の身に宿るようになった。
しかし呪いは、忘れられることも、また変わることもなく現代まで残り、そしてこれからも続いていくだろう。
さて、それでは。
それらと黒星堅一の身に宿る天能は、同種であるか?
答えは、否だ。しかしそれと対なる答えもまた、正解となる。
同種であるともいえ、同種ではないともいえる。
つまりは、堅一本人でさえ不明。とにかく、これが正解だ、と明言できるものではないのだ。
しかし、一つ。
共通している、と明言できる点がある。
呪いは、その怨恨の念――つまり想いが強ければ強いほど、強力であるとされる。
そしてそれは、黒星堅一の天能である呪いも同様。
負の感情が強ければ強いほど、その効果は発揮されるのだ――。
――――――――
恐らく、観覧席にいるほとんど生徒が、その光景を理解できなかったことだろう。
漆黒に変色した炎の壁が突如爆発したと思えば、黒星堅一のフィールドに残っていた9体のドールが、間を置かず次々と撃破されていくのだ。9体の距離はそれぞれ離れ、決して近くはないというのに。
一体何がドールを撃破しているのか。それに意識を向け、その姿を捉えることができたのは、ほんの一握りに違いない。残りの者は理解することを放棄し、爆発した炎を前にただただ目を瞠るのみ。
「うっ……」
呻き声と共に、轟朱門の体躯が、突然糸が切れたようにガクリと崩れ落ちた。
轟が感じるのは、全身から急激に力を抜かれていくような、そんな喪失感。――しかも、それだけではなかった。
「……な、んだ? ぼ、僕の……僕の天能がっ……」
轟朱門は、自らの能力を過信し、また誇りを持っている男だ。
格上の相手ならいざ知らず、相手は散々馬鹿にしてきた最低クラス。
無様に地に横たわるなど、許容できるはずがない。普段であれば。
だが、自身がそんな状態であるのも忘れ、轟の口から震えるような声が紡ぎだされる。
「天能が……発動、しないっ!?」
それは、脅え。それは、絶望。
己に宿り、その一部でもあった特別な証。それが――露ほども感じられない。
知らず、身体が痙攣するように震える。
当たり前にできていたことが、できなくなる。
「な、なんだ……なんなんだ、これはっ!?」
そんな現実に直面して、轟朱門の「誇り」に亀裂が入り、粉々に砕けていく。
――ウソだ。
――こんなの、ボクじゃない。
――そうだ。こんなボクは、ボクじゃない。
こんなボクは――シラナイ。
「腕ぐらいなら、動かせるだろ」
シン、と静まり返った闘技場に響く、無機質な足音。
頭上から振りかけられた声に、轟は顔を上げる。
まるで、天に救いを求めるかの如く、思わずといったように。
その視線の先、二人の間を区切る半透明の壁の向こう側で。堅一は、チラと轟の傍らに転がるドールを見やり、無表情のまま言った。
「それ、さっさと撃破しろよ。そうすれば、お前の勝ちで訓練は終わりだ」
……勝ち? 一体何を言っている?
愚鈍になった頭が、ゆっくりと動き始める。
そうしてようやく轟は、思い出す。今が訓練中であることを。
そして、気づく。堅一の体力が、半分まではいかなくとも、大幅に削れていることに。
堅一に言われるがまま、轟はのろのろとした動作で紅色の鞭を振るい。
そうして、最後の目標は消失した。
訓練が終了し、解除されるバトルフィールド。
闘技場のフィールドには、地に転がったままの轟と、それを立って見下す堅一の姿が残る。
「あ、あ……」
縋るように、虚空に伸ばされる轟の手。
黒い靄が僅かに纏わり付いたそれを見た堅一は、小さく眉根を寄せると、
「別に、時間が経てば元通り使えるようになるさ。ご自慢の天能が、な」
そう言って、轟に背中を向けて歩き出した。
それを聞いた轟朱門の手が、トサッと力を失くして床に落ちる。まるで安堵したかのように。
「ああ、そうだ」
闘技場の出口に向かっていた堅一が、ふと立ち止まった。
それは、何でもないことを告げるような声色。
にも関わらず、ビクリ、と轟の身体が震える。
しかし背を向けている堅一はそれに気づかず――もっとも気づいても無視しただろうが――言った。
「訓練を持ち掛けてくるだけなら、まあいい。だが、次にアイツを愚弄するような発言をしたら――」
――俺はお前を、一生恨んでやる。
そうして今度こそ、黒星堅一は闘技場から出ていった。
――――――――
堅一が去り、異様な沈黙に包まれた闘技場。
「なによ、あれ……」
鳴瀬雨音の呆然としたような呟きが、小さく響いた。
轟朱門の勝利に終った、訓練。だが、それが終了しても尚、席を立とうとする者はいない。
呆然と呟きを漏らした雨音のように、皆が皆、轟朱門が倒れ伏しているフィールドを見下している。
そしてそれは、市之宮姫華も例外ではない。
「……なるほど。本気で怒らせたくない男、か」
唐突に、そして何やら神妙な面持ちで、天坂舞が二、三度頷いた。
「……舞? なに、それ?」
それを聞き咎めた雨音が、舞に振り返る。姫華も同様に、舞を見た。
二人の視線を受け、ああ、と舞が表情を和らげる。
「いや、なに。昔聞いた彼の――そう、渾名のようなものだ。……彼が、シュラハトで戦っていた時の、ね」
「……え? 黒星さん、パートナーがいるんですか?」
姫華が目を見開き、驚きを露わにして舞に尋ねる。
すると舞は、苦笑と共に返答した。
「ああいや、今は契約していないはずだよ。あくまで昔の話さ」
それを聞き、舞の脳裏に浮かぶものがあった。
――どうせ俺達はベストパートナーにはなれない。
黒星堅一が、姫華に告げた言葉である。
「……あのさ、舞。もしかして、あの黒星って奴と知り合いだったの?」
「ああ。ただ、知り合いといっても、私からの一方的な、がつくが」
会話を交わす二人を横目に、姫華は考える。
少し、不満だった。
組む前から、どうして断定されねければいけないのか。どうして否定されなければならないのか。
だが、かつてパートナーがいたなら。
舞の口ぶりからなんとなく感じる、正体不明の違和感。
なにより、訓練中に豹変したような、堅一の声。
それは、つまり――。
――既にベストパートナーと成り得る存在を知っているから?
「天坂先輩っ!」
気がつけば、姫華は声を上げていた。
舞と雨音が会話を中断し、姫華を見る。
「黒星さんの……黒星さんのパートナーだったジェネラルは、どんな方だったのですか?」
そんな姫華の質問に、舞は渋面を作った。
「それは、私の口から言っていいことではないな」
「……そう、ですよね」
消沈したように、姫華が項垂れる。
それを見て、困ったように笑った舞が、姫華に囁いた。
「……気になるか?」
「……はい」
「ならば、直接本人に聞いてみるといい」
もっとも、と眼光を鋭くさせ、舞は言い放つ。
「――先程の光景を目にして尚、その気があるのなら、だが」
その言葉は、スッと姫華の心に入ってきた。
先程の光景。姫華は、決して落ち着いていられたわけではない。見たこともない現象に、確かに市之宮姫華は恐れを抱き、そして身体を震わせた。
――理解を超える者と相対した時。人は、どんな行動を取るだろう?
恐れるだろうか。離れるだろうか。迫害するだろうか。
それとも――。
「はい……はい!」
静かに、されど確かな意思を込めて。
姫華は席を立ち、急ぎ建物の外を目指す。
――そもそも、だ。
どうして市之宮姫華は、黒星堅一にこれほど関わろうとするのだろうか。
契約を断られた時、呪いという天能を告げられた時、ベストパートナーになれないとあしらわれた時、そして理解不能な力を見せられた時。
離れる理由は、それこそいくつもあった。
確かに、姫華は少し変わった――というより、古い考えを持っている。
仮契約を始めて結んだ相手と、パートナーになりたい。
だが、それは絶対ではなく、強制でもない。言ってしまえば、諦めて別のパートナーを探すのが賢明だ。
しかしなぜ、黒星堅一という男子生徒がここまで気になるのか。
姫華自身、それは分かっていなかったのだが。
今日ここに来て、ようやく姫華は理解した。
黒星堅一は強い。ゴーストを容易に退け、判定負けといえど1クラスに充分に――いや、それ以上に対抗できる実力を持っている。
それでも、彼女には。
闘技場から去りゆく堅一の姿が――どうしようもなく不安定で、今にも壊れてしまいそうに見えたのだから。




