十三話 苦悩、そして
「……何やってんだろうな、俺」
寮に戻った堅一は、制服を着替えることなく、ドサリとベッドへ倒れ込んだ。
意味もなく天井を見上げて、一言。ぼーっとして、思案に耽る。
安穏としていたはずの学生生活。それが気づけば、たかだか一日二日で、崩れようとしている。
天能を奪うゴースト、それを撃滅する0クラス。
倒し、倒される関係。もっとも、ゴーストが悪、と断定するわけではないが。
――それにどのみち俺は、正義の味方になどなれない。
童心には、それは憧れはあった。特別な力を使い、敵を倒すヒーロー。
天能が、それだ。誰もが使えるわけではない、特別な力。
だが、実際に黒星堅一の身に宿ったのは。呪いという、輝きとは真逆に位置するような天能。
多くの人間が堅一の周囲から離れていった。堅一自身、契約してくれるジェネラルなどいないと思っていた。
――だが、一人。
堅一に手を差し伸べた人物がいた。同い年の少年であった。
「だから俺は、アイツのパートナーになった」
何処かで生きているのか、それとも死んでいるのか。それすら分からない、突如姿をくらました唯一の相棒。
ある時、ふと思い立った。
――もし生きているのなら。自分同様、学園に入学する年だ。
それは賭けともいえないような、無謀な思いつき。
弐条学園を選んだのに理由はない。
あるとすれば、シュラハトの教育機関であったということだけか。
そして入学後、早々に目的が潰えたのを悟った。4クラスとなったのは、狙ったわけではない。だが、パートナーがいないことで強制的に退学となるなら、それでいいと思った。
「……まさか、契約を申し込まれる状況になるとは思ってもみなかった」
ゴロリ、と身体の向きを変えて、苦笑する。
しかも、今日一日だけで、二つの申込み。
入学してからおよそ半年間、一度として申し込まれることはなかったというのに。
……もっとも、天坂舞が本気だったのかは定かではない。
彼女は、堅一の過去を全てではないが知っている。しかし、天能の詳細までは知らないだろう。姫華が口外していなければ、の話だが。
反対に、姫華は堅一の天能を知っているものの、過去を知らない。
「……回復、か」
そして知った、市之宮姫華の天能。
――奇しくもそれは、アイツと同じ天能で。
「ああ、くそっ!」
堅一は、ブンブンと頭を振り、思考の外に追い出そうとする。
だが、そうすれば今度は、別の気にかかることが思い浮かんできてしまった。
『……君はそれで――いや、私が言っても野暮なだけか』
天坂舞の言葉。
あの時彼女は、何を思い、そして言おうとしていたのか。
いつまでも過去のパートナーを引きずる、女々しい男。と心の中では軽蔑していたかもしれない。
アイツがいるかもしれないと、この学園に来た。そして、アイツがいないからと、退学しようとしている。
それは固執――いや、依存といっても過言ではないか。
退学後は、シュラハトに関わりが無い普通の高校に行く心算だった。
そしてそれは、今でも変わることはないのだ。
……どうやら、契約を申し込まれるという想定外の事態に、自分は思っている以上に動揺しているらしい。だから、こうして余計なことなど考えてしまう。
いずれにせよ、姫華との契約はもう断ったのだ。恐らくはもう、堅一をパートナーにと思うジェネラルは現れないだろう。
誰に聞かせるわけでもなく、ぼそりと呟く。
改めて、確認するかのように。
「……アイツ以外に、パートナーを組むことはない」
それが、黒星堅一の出した答えなのだから。
――――――――
夏休みに入るまで、あと二日となり、残すは今日、そして明日の午前のみとなった。
来たる休みに向けて、興奮気味の学生の多い中。いつにも増して鬱々たる気分で堅一は学園の廊下を歩いていた。
やはり昨日の姫華との話は広がっているのか、どうにも時折視線を感じる。その上、姫華を手を引いて屋上に向かった姿も、何人もの生徒に見られているのだ。自意識過剰などではなく、一昨日までとは確かに違うと断言できる。
実際、堅一が近くを通った瞬間に、これ見よがしにヒソヒソと話し始める生徒もいるほどだ。
そのどれもが好奇か、あるいは見下すよう視線で。当然といえば当然だが、好意的な目で堅一を見る者など、誰一人としていない。
ならば、学園に来なければいい――などという安易な選択はしない。不名誉な噂が出回った翌日に休んでしまえば、それこそやましいことがあったと認めるようなものである。
毅然とした態度で過ごしていれば、すぐに噂などなくなる。堅一は、そう思いたかった。
やっとの思いでソルジャー4のクラスに辿り着き、扉を開ける。
「……うっ」
途端、クラスメートの剣呑な視線が一斉に突き刺さる。
気圧されつつも、堅一はなんとか自分の席に向かう。
それを見咎めた毅が、ニヤニヤとして近づいてきた。
「どうした、随分参ってるな?」
「……そりゃ、な」
向けられる視線に辟易しながら、堅一は言葉を返す。
「ま、時期が時期だからな」
毅は肩を竦め、続けて言った。
「夏休みは、パートナーとの絆を深める絶好の機会だ。より仲を深めれば、鞍替えされる確率も減る。まぁ、仲違いする可能性もあるが。……とにかく、夏休み前にパートナーがいるいないの差は大きいもんだ」
通学時には、夏休みを心待ちにする生徒を何人も見かけたが、それとは反対にこのクラスでは夏休みの話題で盛り上がっている生徒など極僅かである。
なにせこのクラスでは、3月までにパートナーのいない生徒は退学なのである。夏休みを過ごすということは、退学までのタイムリミットが迫るということであり、気楽に休みを謳歌するなど神経の太い人間でなければ無理だろう。
そんなことも相まって、パートナーに関する話は彼らにとってかなりシビアなのだ。
退学する心づもりである堅一は、それに関する心配はないものの、そこまで夏休みを楽しみにしているわけでもない。
いいことがあるとすれば、今朝から向けられる視線を含め、悩みの種となりつつある市之宮姫華のことを気にしなくてよくなることぐらいか。
とにかく、あと二日間。たったの二日だ。そうそう問題など起こりうるものではない。
堅一はそう高を括り、夏休みを待つ。
――だが。
思えば、二日前の今は、確かに何事もなく過ごしていたのだ。
問題が起きたのは、一昨日。堅一の頭を悩ませているのは、そのたった二日間の中で起きた出来事なのである。
つまりそれは、堅一の見通しが甘かったということでしかなかった。
「――黒星堅一とかいうのは、誰だっ!?」
何の前触れもなく、勢いよく開かれる教室前方の扉。一拍遅れて響くのは、男の怒声。
さほど五月蠅くなかったソルジャー4の教室は、すぐさま水を打ったかのように静まりかえる。
その注目が集まる箇所――つまり開いた扉の先にいたのは、一人の男子生徒だった。
彼は集中する視線を気にも留めず、堂々、というよりかは、ズカズカといった傲岸不遜な態度で、教室に入ってくる。
「出てこい、黒星堅一!」
彼の登場に呆気にとられていた生徒達は、再びの怒鳴り声で、言葉の中にあった人物――つまり堅一へと一斉に視線を向ける。
「……なんか、変なのが来たな。……まぁ頑張れ、堅一」
皆と同じように、怒鳴り込んできた男子生徒を一瞥した毅は。次に堅一を見ると、そそくさとこの場から離れていく。
「お、おい、逃げ――」
「君が、黒星堅一だな?」
それを阻止しようとしたわけではないが、思わず虚空に手を伸ばす堅一。
しかしそれは、近くから聞こえた声により、ピタリと止まった。
一瞬動作が停止した後、ゆっくりと堅一は振り返る。
どうして分かったのかは、まあクラスの視線が一人に集中すれば、予想は難しくない。
しかしいつの間に移動したのか、堅一から数歩ともかからない位置まで、男子生徒は近づいていた。
「……ん? よく見たら、君はこの前僕のことを虚仮にしてくれた一人じゃないか」
どんなことを言われるのかと思いきや、しかし相手の口から出たのはそんな言葉。
いきなり何の話だ、と思案すること数秒。目の前の彼が、数日前に毅と堅一に突っかかってきた1クラスの男子生徒だということを思い出す。
市之宮姫華に熱烈に契約を迫っていた、あの生徒だ。
言われてみれば、嫌味を含んだような特徴的な声も、なんとなく聞き覚えがあることにここで気づく。
「……いや、だからあれは違うと――」
堅一は、うんざりとして再び釈明する。
しかし意外だったのは、彼が堅一の顔を覚えていたことだ。4クラスだなんだと、散々言っていたのだから、記憶になど留めていないと思っていたが。
「まあ、それはこの際どうでもいい。……というより、それなら話は早い」
そちらが振ってきた話だというのに、どうでもいいと切り捨てる男子生徒。
刹那、彼は尊大な表情で、堅一を見る。教室に入ってきた時も充分偉そうだったが、より一層といった感じだ。
「君みたいな最低クラスが、市之宮さんと契約しているなど看過できない。いいかい、彼女と君なんかでは住む世界が違うんだ」
……脅して契約を迫っている、がいつの間に契約していることになったのだろうか。
小馬鹿にしたような声で、まるで子供に教えるかのように言う男子生徒。
それは違う、と堅一が声を挟む間もなく。
「その思い上がり、僕が虚仮にされた分も含めて叩き潰してあげるよ。放課後、闘技場に来るがいい」
逃げるなよ、と最後に堅一を睨みつけ、荒々しく男子生徒は教室を出ていった。
「…………」
唖然、といったふうにそれを見送る堅一。
他のクラスメートも動きを見せない中、唯一人、毅だけが堅一の元に近づいてくる。
「その、なんだ。……ご愁傷様?」
そう言って、ポンと堅一の肩に手を置く毅。
どうすればよいか分からず、とりあえず堅一はストンと崩れるように椅子に座った。
それから数十分ともせず、朝のホームルームを迎える。
チャイムが鳴り、入室してくる教師。
起立、礼、から始まり、その後は連絡事項を伝え、授業の準備。それが、いつもの朝の風景。
だが、この日は違った。
連絡事項の最後、教師は堅一の方を向いて、何でもないようにさらりと言ったのだ。
「ああ、それと黒星堅一。練習相手として、1年、ソルジャー1の轟朱門から申請が出されています。競技科目は<妨害>とのことです。放課後、闘技場へ向かうように」




