十二話 目的と理由
堅一の目が、大きく見開かれた。
だが、舞は意に介する様子もなく、言葉を続ける。
「君がこの学園に入学したと知った時は、それはもう本当に驚いた。てっきり、ソルジャーを辞めたとばかり思っていたからね」
「……なんで――」
「――知ってるのか、かい? ……言ってしまえば、単なる偶然だよ」
呆然としたような堅一を前に、さも愉しげに舞は笑った。
「今から数年前、ソルジャーとしてシュラハトの大会に出ていた、とある少年がいた。大の大人の中に紛れ、大きな大会にも出場している。快挙を成し遂げ、有名となったチームの一員でもあった」
なにやら懐かしむように言いつつ、舞は堅一へと近づいていく。
その足取りは実に軽やかで、その場で固まっている堅一とは対照的だ。
「――だが、その素性は明らかにされず。唯一知ることができたのは、彼が選手名として登録していた『ケンイチ』という名のみ。しかしそれは、日本ではよく見る名前だ。ゆえに、近しい人物しかその正体を知らない。……そのはずだった」
ピタリ、と舞の足が止まった。
そこは、堅一のすぐ目の前。身体こそ触れていないものの、一歩でも前に進めば接触するであろうほどの近距離。
「本当に、偶々だ。私はある時、本来知ることのなかったその選手の本名を知ってしまったんだ。……その少年の名は、黒星堅一。つまり――」
そうして舞は、グッと顔を寄せ、破顔した。
「――君だ」
その右手が、堅一の顔めがけてゆっくりと伸ばされる。
舞のしなやかな指先が、堅一の前髪を優しく掻き分けた。
露わになる、堅一の目元。
「ほら、顔だってそう。当時の私が夢中になって応援していた彼の面影がある。あの時のことは、忘れずに今でも覚えているよ」
「……夢中?」
「ああ、つまり、君のファンだったんだよ。私はね」
クスリ、とまるで童女のような笑みを浮かべ、恥ずかしがる様子もなく舞は言った。
思わず堅一は息を呑み、気恥ずかしさゆえに視線を舞から逸らした。
「それこそ、君の入学後すぐに接触しようと思っていた。……ただ、当時ですら大人と渡り合うほどの実力を持っていた君が、1クラスではないことがどうにも引っかかっていた」
堅一から顔を離し、舞は両腕を組んだ。
それにより、堅一の前髪が重力に従って再び目元を覆う。
「そして、君の事を調べている間に――」
「――俺がゴーストの襲撃にあったと」
ようやく我を取り戻した堅一が、舞の言葉を先取りする。
そういうことだ、と舞は頷いた。
「……単純に、入学試験の内容と俺の天能の相性が悪かっただけですよ。俺の天能はまあ――少し特殊なんで」
その場から一歩下がりながら、堅一は肩を竦めて言う。
「まあ、だからといって1クラスになれたかどうかってなると、また別ですけど」
「……ふむ。それでは、何故ここに入学を?」
あっけらかんとした堅一の言葉に、舞はさして追及せず、入学の理由を問う。
ああそれは、と軽く息を吐き出し、堅一は答える。
「もしかしたら、アイツも入学する可能性があった。ただそれだけのことです」
「アイツ……君の、元ジェネラルか? もしかして、入学予定だったとか?」
「いや、アイツは今も行方知れずですよ。俺とは同い年だから、もしかしたら何処かの学校に、と思っただけで。まあ当然、いなかったですけど」
堅一は苦笑を浮かべて、言う。
そんな堅一の顔を、じっと見つめていた舞だったが。
「そうか。……ところで、君さえよければだが、私と契約を結ぶことは可能だろうか?」
唐突な、契約の申込み。
堅一はそれに目を丸くしながらも、
「……すみませんが、誰かと契約するつもりはないので」
きっぱりと自身の意思を表明した。
小さく、舞が微笑む。堅一の返答を、なんとなく予想していたのだろう。そんな、笑みだった。
「やはり断られたか。……しかし、契約しないとなると、君はどうするつもりなんだ?」
「まあ、アイツがいないと分かった今、ここにいる理由もない。4クラスの生徒として、このまま退学するつもりです」
「……君はそれで――いや、私が言っても野暮なだけか」
そんな堅一の言葉に、感じるものがあったのか。
何かを言いかけ、しかし思い直したように口を閉ざした舞は。その身を僅かに屈め、堅一の瞳を覗き込むように見つめた。
「――どうやら君の心には未だ、かつてのジェネラルが住みついているようだ」
「……っ」
その視線が、どうにも心の内側まで探られているようで。
顔を顰めた堅一は、話は終わりだ、と舞に背を向けて、部屋の扉へと歩く。
舞は、それを止めることなく、無言で見守っていた。
そうして、堅一が廊下に出ようと、扉に手をかけた時。
「時間をとらせてすまなかった。それと、ここでの話は口外しないように頼む」
明瞭な声。
念を押されずとも、そんなことは分かっていた。そもそも、実際にゴーストと相対したことのない人間に言ったところで妄言ととられるのがオチだろう。荒唐無稽とも思える話を、一体誰が信じるというのか。
「……ああ、心配しなくとも、君のことを誰かに話しはしないよ。嫌われたくはないからね」
続く舞の言葉に、一瞬だけ動きを止めた堅一だったが。
やがて無言のまま、部屋の扉を押し開けた。
「随分長かったわね。……ってあれ、アンタだけ?」
ようやく終わった、という解放感と共に、開いている壁の裂け目から外に出た堅一。
その直後、横合いからかかる声があった。
そこにいたのは、旧校舎の壁に身をもたげ、顔だけをこちらに向ける雨音。
まだ帰宅していなかったのか、雨音のすぐ側には、姫華の姿もある。
「多分、すぐ来ると思いますけど」
雨音の言葉に返答しつつ、堅一はチラと後ろを振り返ってみる。
裂け目から見える、旧校舎内部。だが、視界には舞の姿は映らない。
「そう、分かったわ」
その一言と共に、雨音は堅一から視線を外して腕組みをした。
軽く会釈をして、堅一は足早に雨音と姫華の前を通り過ぎる。
外の空気を吸い込みながら、欠伸を一つ。
そうして堅一が、旧校舎の裏側から抜けようと、角を曲がろうとした時だった。
「待ってください、黒星さん!」
そんな声と同時に、背後から走り寄る足音が一つ。
本音としては、反応したくない。しかし無視するわけにもいかず、仕方なく堅一が振り返れば。
「あの、理由を教えていただけませんか?」
そこには、並々ならぬ決意を固めたような表情でこちらを見る姫華の姿があった。
それに多少驚きつつも、疑問符を頭に浮かべる。
「……理由?」
「そうです。私と契約を結んでくださらない理由です」
堅一の顔が、怪訝なそれへと変わる。
記憶が正しければ、自分はその理由をすでに話したはずだからだ。
「……いや、俺の天能のことは言ったよな?」
「はい、聞きました」
「だったら――」
「ですが、それは私との契約を断る理由にはならないはずです」
語気を強めた堅一の言葉を遮り、きっぱりと姫華が言い切る。
それを聞いた堅一は、呆気にとられ。そして、唖然として問うた。
「アンタ、気味悪くないのか?」
呪い、という天能。
それを知ったがゆえに、堅一を避けるように離れていった人間を、彼は今まで何度も見てきた。
絶対に知られたくない、というわけではないが、堅一が自らの天能を開示したのはこの学園で姫華が初めてである。それこそ、一番親交のある毅にすら、話してはいない。
「……確かに、全く恐怖感がないとは言えません」
しかし、姫華は堅一から目を逸らすどころか、より毅然とした態度で、言う。
「ですが、それだけです。契約を結びたい、という気持ちは変わりません!」
それは、嘘偽りのない本当の気持ちを言っているように思えた。
だが、堅一はそれを信じない。――信じられない。
「い、いや、それでもだな……ほら、俺の天能には欠陥があるって――」
天能のことを持ち出しても退かない姫華に堅一は戸惑いつつも、今度はもう一つの理由を告げる。
シュラハトにおいて、体力バーというものは非常に重要なものだ。僅かな消費さえ、敗北に繋がりかねない。それに体力バーの消費が少なければ少ないほど、ソルジャーにしろジェネラルにしろ、優れた能力を有すると証明できる。完全試合――つまりノーダメージに近い勝利であるほど、それは顕著だ。
だというのに、相手の攻撃によるダメージだけでなく、天能を使用するごとに消費するソルジャーなど。普通のジェネラルであれば、契約したいなどと思えないだろう。
「それも、問題ありません。私の天能で補うことができますから」
「……補う?」
言われて、堅一は未だ姫華について何も知らないことを思い出した。
学年次席だというからには、なかなか優秀なことは分かる。だが、ゴーストとの戦闘時、姫華はその力を発揮していない。
「はい。私の天能は、回復なんです」
それを聞いて、堅一の戸惑いは驚きへと変わった。
もっとも、「呪い」などという不気味な天能を持ち、それを使用する度に体力を消費する、などというソルジャーを受け入れるというのでも充分に驚きなのだが。
――回復。
それは単純に、体力を回復させるという天能だ。
例えば、ゲームなどであれば。そう、珍しくはないだろう。アイテムなり魔法なり、とにかく体力を回復させる手段などいくらでもある。そしてどちらかといえば、回復できて当たり前、というものが多い。
だが、シュラハトではそうはいかない。ソルジャーの体力を即座に回復という便利なアイテムなどは存在せず――そして、回復系統の天能を持つ人間は、かなり少ないのが現実。
ゆえに、回復の天能を持つ、というそれだけで、他者よりも充分なアドバンテージとなる。
それほどに希少で、評価される能力。
なるほど、姫華が学年次席だというのも納得がいく。……いや、むしろ学年主席でも不思議ではないほどだ。
とするならば、学年次席は回復をも上回ると判断されるほどの能力、実力を持っているということになる。
などと、堅一は未だ知らぬ学年主席に僅かばかり興味を持ったものの。
「と、とにかく、無理なものは無理だ! 俺は、退学するんだから!」
これ以上姫華の勢いに流されないよう、堅一は慌てて声を張り上げて主張した。
姫華の毅然とした態度が、ここでようやく変化を見せた。
「……嘘、ですよね?」
「嘘じゃない」
茫然自失となった姫華に、堅一は即答する。
「3月になったら、俺は退学する。だから契約も結ばなければ、0クラスにも入らない」
そのまま畳み掛けるように、言葉を発する堅一。
姫華は、目を大きく見開いたまま、何の反応も示さない。
ふぅ、と軽く一息吐くと、堅一はそんな姫華に背を向けた。
「それに、どうせ俺達はベストパートナーにはなれない。……俺なんかより、もっと自分に相応しいソルジャーを探したほうがいい」
そうして、歩きだす。
今度は、その背を追いかけてくる者はいなかった。




