似つかない似た者同士
昼休みに友人と話したことの感想を、ここに記します。
つい先日、ある友人と話したことを、ここに記しておこうと思う。
彼女は言った、人間を信用しないと。人間は嫌いだと。
そして私…佐奈離都羅も、それに同意した。
しかし、私と彼女の考えは、根本的な何かが違うのだ。
彼女は悲観し、そして私は楽観する。
彼女はそれに深く悩み、そして私は呑気に笑う。
彼女はそれがおかしいと自覚し、そして私は当たり前だと馬鹿にする。
彼女と私は似ていても、似つかない。
なぜなら、彼女はそれを損と感じ、私は得と感じているのだから。
私の過去話をするのは本意ではないが、しばし付き合って頂きたい。
私は昔、といっても半年ほど前。少し過言かもしれないが、人に裏切られた。
それは、私が人を嫌いになる理由になるには、充分なものであろう。
その頃は私も彼女のように悩み、嘆いていた。自分が異常だと、嘆いていた。
しかしそれは違うと、私は痛感した。
人を信用していない人間など、この世に山ほどいる。
ただそれを知らない被害妄想癖の馬鹿がこの世に多いだけだ。
本当、馬鹿馬鹿しい。
彼女はよくいう。自分は嫌われているから、佐奈離都羅である私が羨ましいと。
しかし、それは間違っている。
人を人を羨む自体、おかしいのだ。
人には多くの良さがあり、人には多くの悪さがある。
人には多くの喜劇があり、人には多くの悲劇がある。
彼女がもし私に“な”ってしまったら、きっと彼女は耐えられない。
私なあ体質に、私の悲劇に、私の病気に。耐えられないと思う。
だから今現在、生きている自分が良いのだ。結局、自分が一番なのだ。
閑話休題。
つまり私が言いたいのは、被害者面の悲劇のヒロインを気取る奴が気に喰わないのだ。
彼女が嫌いなわけではないし、これからも仲良くしていきたいという気持ちは勿論あるが、やはりそこだけは譲れない。
自分を陥れるしか能にないなら、もう少し周りの人間に目を向けて頂きたい。
貴方より苦しんでいる人など、そこら中に溢れているのだから。