不要な固定観念
またまた授業中に書きました。
気楽に読んでください。
人の悪口を言ってはいけないと、人間はよく言うものだ。
特に、陰口に関しては教師によく怒られていたものだろう。それが人間の固定観念だ。
しかしながら私は、それに異論する。異論したいと思う。少しばかり、耳を傾けてはくれないだろうか。
きっと我らが先生方は、陰で言うなら本人に直接、などと思っていたりするのだろうが、それはそれで問題が発生するわけで。場合によっては、イジメにまで発展してしまうのだろうと、私は思うわけだ。それは皆も同意見だろう。
――が、そう言ったら言ったで彼等は、本人に言えないことを言うな、と言うのだろう。自分の中で留めておけ、と。
だが、きっとそれは不可能だと、私は思うのである。
自分の中に不満を溜め込むなど、寧ろ逆効果だろうと、私は思うのである。
溜め込むことが、日本人の悪い癖なのだ。
だから“うつ病”と称される病気が存在するのだ。そんな固定観念は捨てなければいけない。
ただ、少し弁解させて頂くと。
私も総ての陰口を許すわけではない。ただ私は。
自分の意見を持ち、相手のことを理解し、それでも自分が正しいと判断し、その理由をきちんと述べられるのであれば、陰口してよいと言っているのだ。
人の容姿を馬鹿にし、それのみで人を判断したが故の陰口は、断固許可しない。心の底から批判する。心の底から軽蔑する。
そんなもの、しても意味がないのだから。
陰口というものは、相手に罪を自覚させるためにあるのだから。
人を馬鹿にする為ではなく、馬鹿を治させる為にあるのだから。
そして私は明言する。
陰口は必要だと。ただ、人はその意義を間違っているだけで、決して悪いことではないということを。
ですから、世の皆様。
固定観念などろくなものがないということを、どうかお忘れなく。
少し、極論ですが。
陰口が必要というのは、人を正す為には必要というのが私の意見ですが。
同意してくださるかたはいますでしょうか。