不幸への願い
授業の暇な際に遊び気分で書いてみました。
これはあくまでも私の持論です。
それはわかった上で、私がどのような人間か、考えてくださると幸いです。
この世で自分に不幸というものが訪れるのか、一度は誰しも考えるものだ。
不幸といっても、友人との喧嘩や、恋人との別れなど、そんな誰もが体験するような不幸ではなく。
極論、殺人事件であったり。あるいは、あの忘れもしない大震災であったり。学校でのいじめが故の友人の自殺であったり。
ニュースでは度々見られる様々な事件。もはや、ニュースで見ても、驚く人間の方が少数であろうと思われる、あの事件。あれらの事件。そんなニュースなんて、ご飯を食べながら呑気に見ている人が多いことだろう。
しかし、私は考えてしまう。見る度に、思ってしまう。
私の周りで、こんな不幸が訪れるものなのか、と。人生の一度でも、私の周りにそれが起こる確率など、限りなく低いのではないか、と。
勿論、世の中に大多数の被害者が存在することも知っている。震災に至っては、被害者の数は何十万、何百万となるのであろう。だが、それでも。被災地から少し抜けて見てしまえば、同じ国とは思えないほどに、呑気に人間というものは生きているのだ。のこのこと、歩いているのだ。笑っているのだ。過ごしているのだ。
何も変わらない平々凡々たる日常、同じ時間に、同じ国に、あってしまうのだ。何と皮肉なことか。
そして、その人間の内の一人が、この私という人間である。佐奈璃都羅と名乗り、趣味に没頭する、この人間なのである。して、その人間は考えるのだ。私は不幸を体験することができるのかと。
こんな飽きてしまった日常から抜け出すことはあるのかと。こんな素晴らしい日常をやめなければいけない日はくるのかと。
私はそれに期待し、恐怖する。
こんな私に。こんなありきたりを吐く私に。
この世の人間の過半数が同意してくれるのではないかと、私は思っている。なぜなら。
本当の恐怖を味わった人など、本当に一部の人間だけなのだから。
本当にありきたりをありきたりと書いてみましたが、どうでしたでしょうか。
修正もせずに投稿してしまったので、どきどきです。
前書きでも言いましたが、これはあくまでも私の持論です。
この、不幸への願いを読み、自分の考えをまとめてくださったりしてみたらいかがでしょうか。案外捻くれたもので、おもしろかったりするんですよ?
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。