目覚めと愛しさ
百合子は、音も立てずに僕のなかに溶け込んでいた。
悪夢から目覚めたとまは、唐突にそのことを理解した。百合子を受け入れるのに、ほとんど抵抗は無かったのだ。彼女が纏う灰色の空気は、不思議な温かみを持ってとまの胸に宿った。
「惚れたとか、そんなんじゃない」
その言葉は、少年が“惚れる”という感情を知らないがゆえだった。
確かに、愛しさは彼のなかに息づいているのであった。自覚するのは、まだ、もう少し先だろうが。
気づけば、とまは洋館の森に足を向けていた。これほど身体が軽いのは初めてで、嬉しいのか怖いのか、妙な気分がしていた。
心地よい、夕方。
あの鈴の音色が、橙の光と共に踊った。
「あら、御機嫌よう。岩木さん?」
「とまでいい。こんな苗字、捨ててやりたいくらいだから」
「そうなの。じゃ、とま。お会いしたかったわ」
百合子の言葉に、我知らず涙が込み上げた。あの悪夢のせいか、驚くほど涙もろくなっていた。
「百合子」
「なあに?」
「百合子、会いたかった。いや、会いに来てしまったわけだけど」
「嬉しい。とまと私、きっと似た者どうしよ。仲良くなれるに違いないわ」
以前より砕けた口調と表情で、美しい少女はいたずらっぽく微笑んだ。
とまの胸が、どくんと鳴く。
ユーナとは何なのか、身体のどこが悪いのか、聞きたいことは沢山あったが、その笑顔を見ていると全てどうでもよくなってしまった。
「お近づきの、しるし」
その言葉が終わらないうちに、とまの手の甲に艶やかな黒髪と、清らかな頬が触れた。
百合子が、その可愛らしい頬を、少年の手の甲にすり寄せていたのだ。
どこの国の作法だろうか。しかし、人形のような百合子に、その動作はひどく似合っていた。
「改めてよろしく、百合子」
確かめるように名を呼んで、とまは少女の黒髪に、激情で震える指先で触れた。