森と少女
緩やかに、意識が戻ってくる。
切り株にもたれて、まどろんでいた少年、岩木とまが目を覚ましたのは、太陽が沈みかけた頃だった。
「もう、夕方」
その声に答えるものはないと分かっていても、言葉は無意識に零れ落ちた。
そろそろ帰ろうか、それとも完全に日が落ちるまでここに居ようか。そんなことを思いながら、少年は繁った葉の間の夕焼けを眺めた。
リン
不意に、音がした。
人工的なのに、ひどくこの場所に馴染んだ音だ。そして、何故だか懐かしい。
音の源を求めて、少年の視線が彷徨う。そして10mほど離れた大木の後ろに佇む、小柄な人影を見つけたのだった。
軽やかに、鈴の音をまといながら、その人が近づいて来る。
少年は、その姿に目を奪われ、異端の眼を閉じることすら忘れていた。
間もなく目の前に立ったのは、華奢な少女だった。病的なくらいに真っ白な肌と、中世ヨーロッパを思わせるフリルワンピース。印象は華やかだかデザインは簡素で、白い生地だけで出来ていた。部屋着のように見える。そして、細い肩をすぎて流れる、緑の黒髪。少年の短い人生の中で出会った、どんな人間よりも美しい少女だった。
少女が、体重を感じさせない、妖精めいた身のこなしで膝を折った。
少し上目遣いに、少年の瞳を覗き込む。
少女の大きな瞳が、さらに見開かれる。
怖がられる……!
瞬間、恐怖が少年を支配した。
どうして目を閉じなかったのか、どうして立ち去ってしまわなかったのか。
後悔と恐怖で、少年は少女を見つめ返すことしかできなかった。
「その眼、きれいね」
少女の可愛らしい唇に、驚きと微笑みが宿った。その声は、まさに鈴を転がすようでいて、しかしその幼げな外見からは意外なほど落ち着いていた。
「は…?」
少女の予想外の言葉に、少年は間の抜けた声しか出せない。
この子は、何と言ったのだ。
この、気味の悪い憎悪の色を、美しいと言ったのか。
「あなた、どうしてそんな眼をしているの?
深海の色ね。本当に美しいわ」
どこかから、女性の声がした。その声は、ユーナ、ユーナと繰り返していた。
この少女の名なのだろうか。
答えることもできない少年を前に、彼女は大人びた口調で続けた。
「あなた、お名前は?」
「岩木、とま」
「岩木とまさんね。ここには、よくいらっしゃるのかしら。私、あなたにまたお会いしたいわ」
そういうと、黒髪の少女は、ふわりと花が咲くように微笑んだ。