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博美の誕生

「お前、博美と言ったな。ところでだ。俺がお前の親父だってことを、どうやって知ったんだ?」

「お母さんが私に付けた名前のおかげよ。そうじゃなかったら、苦労してたんだからね。」

「へぇ、どんな字なんだ?」

 博美は戸籍謄本の写しを見せた。

「そんなの持ってきたのかよ・・・・・紙に書けば良かったのに。」

「これがないと信じてもらえないと思ったのよ。」

 漢字を見ると、隆博の博の字が付けられている。

「おっ!博と言う字が入ってるな。」

「お母さんがね、お父さんのことを忘れないためだって言ってたんだ。」

「なるほどね。それで俺を見つけることができたってことか。」

 母の欄はもちろん京香と記載されているが、父の欄は空白となっている。当時十一歳の隆博が父になれるはずもなく、博美が京香の私生児として生きてきたことが窺える。

「親父もいなかったのに、苦労したんだろうなぁ。」

「お母さん大変だったんだからね。お父さんには分からないだろうなぁ。」

 話は、二十年前に戻る。


 京香は吐き気を催した時、“もしや”と思い、薬局へ向かった。手にしたのは妊娠検査薬。家に帰って試してみると、印が出た。翌日、京香は産婦人科に出向き、検査を受けた。

「おめでとうございます・・・。」

 医師からそう告げられ、京香は涙を流した。

「悲しいんですか?」

「いえ、嬉しいんです。もう、今を逃すともうできないんじゃないかと思ってたもので。」

 医師は気になる点があった。

「しかし、三十半ばの独身で保健の先生をしてらっしゃるあなたがなぜ、妊娠を。」

 京香は理由を話した。

「好きな人が出来たんです。でも、その人と結婚はしませんけどね。いや、今はできないんです。するとしても、十年後ぐらいかな。結婚しないで妊娠しちゃいけないって、おかしな話ですか?」

 医師は口を開けて京香先生を見ていた。

 京香の妊娠は、すぐさま両親にも伝えられた。

「京香、話って何だ?」

「私、妊娠したの・・・。」

 両親は驚いた表情を見せた。結婚相手も探していないと言うのに、妊娠したと聞かされれば驚かないわけがない。

「な、何だと!再婚するつもりじゃなかったのか?」

「あんた、なんで再婚相手を探さないのよ?」

 実は、京香は二十五歳で結婚していた。しかし子供ができず、そのことに対する夫の激しい暴力に耐え兼ね離婚した。離婚してからは実家に身を寄せ、両親と共に暮らしていたのである。再婚という考えはなかった。結婚してもまた同じように夫から暴力を奮われるのが嫌だったからである。しかし、子供は欲しい願望は捨てることはできなかった。ただし、現実は思うようにいかず、三十半ばを迎えたのである。

 会社役員を勤める父の金四郎は、慌てた表情で京香に聞いた。

「相手は・・・相手は誰なんだ?そいつと話せねばならんだろう。この事態を収拾しなければ、わしの進退にも関わるからなぁ。」

「誰が相手でも・・・いいじゃない。私が望んでしたことなんだから。」

「バカモン!そんな身勝手なことが許されるわけないだろう!このことがわしが勤める会社に知れたら、どうなるか分かるよな。」

 金四郎は社長の座を狙っていた。ここで娘が結婚せずに妊娠したことが周囲に知られると、昇進に響いてしまうと思ったからである。

「その人とはもう別れたし、連絡先も分からないわ。でも、その人とは本当に結婚するつもりでいたのよ。ちゃんとお父さんとお母さんにも紹介しようと思った。けど、裏切られたの。」

 もちろんこれは嘘である。京香は決して、隆博の名前を出そうとしなかった。小学生を相手にしたと言ってしまえば強制わいせつの罪に問われてしまう。隆博の将来にも影響を及ぼしかねないので、明かすわけにはいかなかった。

「そんなワシの知らん奴のチンコで妊娠した子が、孫になるなんぞ許さん!探してここに連れてくるんだ。それが出来ないなら堕ろせ!金は出してやる!」

「この子を堕ろすつもりなんてこれっぽちもない。ここで堕ろしたら、もう二度と妊娠できないかも知れないのよ。相手が誰でも産むのは私。絶対、産んで育てるんだから!幸せにして見せるんだから!」

 京香は頑なに堕胎を拒んだ。普段は父のいう事に逆らえなくても、こればかりは譲らなかった。

「ふざけるでない!お前がそう言うなら、わしがいないところで勝手に産みやがれ!二度とワシの前に姿を現すな!」

 京香は自分の部屋へ駆け込み。まだ見ぬ我が子を宿したお腹をさすりながら呟いた。

(この子は絶対、不幸にはさせないんだからね・・・。)

 しばらくして母の雅子が部屋に入ってきた。

「京香。入るわよ。」

「うん」

 雅子は、にこやかな表情をしていた。

「おめでとう、京香。やっとこれでお母さんになれるじゃないの。」

「えっ?」

 京香は、母も自分の妊娠に反対しているものと思っていた。

「でも私、結婚してないのよ。それでもいいの?」

 雅子は、京香のお腹に手を当てて話した。

「誰が相手でも、この子はあんたの子に変わりないじゃない。私もやっとお婆ちゃんになれるのよ。いつになったら孫の顔が見られるのか気になってたんだからね。」

「でも、お父さんが反対してるのに・・・。」

「何言ってるのよ。あんたが望んでしたんでしょ?だったら反対する理由はないわよ。子供を産むのは女の特権よ。産むか産まないかを、男どもに強要される権限なんかないの。あの時の京香、かっこ良かったわ。お父さんも本当はあの時の京香にビビッてたのよ。」

「そうなんだ・・・。」

「実はね、京香がいない時にお父さん言ってたのよ。“早く孫の顔が見たい。”って。だから本当は京香が妊娠したことを喜んでるのよ。」

「ぶぇっくしっ!ああ~っ。いつになったら孫ができるんじゃぁ~!」

 金四郎は居間で大の字になって寝ていた。

「ほらね。私も応援するから、頑張るのよ。」

「うん!」

 翌日、学校に向かった京香は、校長に退職することを伝えた。

「急にまた何を言い出すんだ。」

「学びたいことがあるんです。このままでは終われないから、もう一度やり直そうと思って。」

 もちろんこれも嘘である。腹が目立たぬうちに引き下がれば、周囲に妊娠を気付かれないと考えたからである。

 急であったものの、何とか代理で勤める保健医も決まり、引き継ぎを行った。そして迎えた最終日、生徒の下校時間になると、全校集会で退任を知った生徒が集まってくる。ただし、その中に隆博の姿は無かった。京香は時折、周囲を見回しては、隆博の姿を探した。

「先生、誰を探してるんですか?」

「えっ?ううん。何でもない。」

 結局、最後まで隆博が来ることもなかったので、教師陣に挨拶をして帰ろうとした際に、隆博が京香の元へ走ってきた。京香にとって、これが隆博を見た最後だった。

 京香は帰りの車の中で涙を流していた。

(ごめんなさい。本当はこの子のお父さんが君だってことをちゃんと伝えるべきだった。こんな馬鹿な私を許して・・・・・。)

 

 それから京香は出産に向け、準備を整えた。出産のためにできることはしてきた。しかし、近所の人々は、その様子を不思議がっていた。

「ねぇねぇ、稲本さんところの娘さん?妊娠したらしいわよ。」

「ええっ!だってあの子ってバツイチじゃない?結婚して旦那の暴力が嫌で別れて帰ってきたんだよね。」

「でも再婚しないのに、何で妊娠なんかしたわけ?」

「相手は誰か教えてくれないそうよ!」

 井戸端会議をしているその脇を、京香が通り過ぎた。

「こんにちは。」

「あ、あら京香ちゃん。元気にしてる?」

「ええ、おかげ様で。」

「あんたママになるんだって?結婚してないんでしょ。」

「はい。今、六ヶ月なんです。」

「旦那がいないのに大変だねぇ。」

「ええ、でも両親も初孫だと喜んでいますから、不安はないです。」

 京香は笑顔で答え、歩いていった。

「やっぱり、誰が相手か気にならない?」

「なるなる!」

「もしかしたら勤めてた学校の教師だったりして!」

 京香は周囲が自分を噂していることを知っていた。当然、結婚せずに妊娠したのだから噂されても文句は言えなかった。しかし、それらに屈することなく、自分が信じた道を貫くだけだった。

(誰に何を言われようが、この子は私の子。私が好きな相手との間にできたんですもの!誰にも邪魔される筋合いないわ。)

 この間、京香に協力的だった雅子に対し、金四郎は、堕胎ができなくなったと知ると、京香と口を聞くことはなく、雅子から京香の話があっても黙っているだけだった。

 そして月日は流れ、運命の時を迎えた。産気付いた京香は襲い掛かる陣痛に苦しみながら、我が子を外の世界へ送り込もうとした。京香の隣では、雅子が手を握って見守っていた。

「ううっ。まだ、出てこないのぉ?」

「最初はこんなものよ。すんなり出てこられたら、感動が薄まっちゃうわ。」

 一方で、金四郎は分娩室の外で座っていた。 心の中で、京香を妊娠させた相手に対し怒りを露わにした。金四郎は京香が妊娠したことに対し諦めはついていたが。自分に挨拶も謝罪もないことが不満のようである。

(京香を妊娠させといて、産まれる時に来ないとは、どういう神経をしとるんじゃ!仕事の途中でも、飛び付いて来んか!)

 分娩室に入って数時間後、産声が響いた。

「う、産まれたか!」

 分娩室では、京香と我が子の対面が行われていた。

「はぁ、はぁ、やっと出会えた。」

 京香は、我が子に頬を寄せると、涙を流した。

「ごめんね。私のわがままで産まれてきちゃって。でも私は、あなたを守ってあげるからね。」

 病室に戻り、子供は金四郎にも見せた。

「ほら、待ち望んでたお孫さんですよ。」

 金四郎は気味悪がって抱こうともしなかった。

「フン!何が待ち望んだだと?誰のチンコか分からんような子なんぞ認めるかってんだ・・・。」

「汚いこと言わないの!本当はそう思ってないの知ってるんですよ。」

 金四郎は渋々、子供の顔を見た。

「チンコが汚いって馬鹿にしよって。ちゃんと洗っとるわい!・・・お、おお!京香が産まれた時と似とるなぁ!はっ!わ、わしはこいつを孫と認めたわけではないからな!」

「もう、隠さなくてもいいのよ。正直じゃないんだから。」

 次は子供の名前を決める必要があった。

「わしが、名前を決めてやろうか。」

「ダメですよ!あなた京香に繁蔵(しげぞう)と男の名前付けようとしたでしょ!だから、私がこの子の名前を決めるからね。」

「頼む!わしに決めさせてくれ!」

「ダメです!あの時、親戚を巻き込む騒動になったんだから。また同じ過ちするつもり!」

 金四郎の尊厳は、瞬く間に消えてしまった。父母の言い争いが終わり、京香は声を発した。

「あのね、名前はもう考えてあるの。」

「へっ!」

 京香は、子供の名前を書いた紙を両親に見せた。

「ジャーン!“命名 博美”。」

 両親は目を丸くさせた。

「これは、何て意味なんだ?」

「博学に富んだ、美しい子に育って欲しいとの願いで付けました!」

 しかし、本当の意味は違っていた。両親には伝えなかったが、隆博の“博”の字を我が子の名前に含めた。これにより京香も隆博を忘れずにいられる他、将来、博美が父親を探す時のヒントにもしたかった。

「いいじゃない。この子にぴったりよ。どこかの誰かさんに変な名前付けられなくて良かったわね。」

「おい、わしがいないところで言ってくれよ。」

 こうして、京香は待望の自分の子供、博美が誕生した。

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