父に会いに行く
市街地の真ん中にある駅に、特急列車が停車する。車掌が停車位置を確認してドアを開けると、列車からスーツケースを片手に一人の女性が、駅に降り立った。
(ここが、お父さんが住んでる街か・・・・・。)
彼女の名は稲本博美。彼女にとってこの街は、出身地でも一度住んだわけでもない、縁もゆかりもない土地である。そんな彼女がなぜこの地に向かったのか。
博美は物心付いた時には父はおらず、母と祖父、祖母に育てられてきた。大きくなるに連れ、なぜ自分に父がいないのか疑問を持つようになり、母を問い詰めることもあった。
博美が母から一人暮らしを始めるにあたり、母から自分の生誕の秘密を聞いた。母の相手、即ち自分の父との出会い、そして、自分の名前に込められた母の思いを知った。だが、この時はそれ以上のことを知ろうとは思わなかった。
しかし、半年前に最愛の母がこの世を去った。ずっと身近にいた母を失ったことが、博美をこの地に向かわせるきっかけとなったのである。
自分に父がいるのならば、一度会ってみたい。そして、母が亡くなったことを伝えたい。その思いを胸に、博美は時間があれば父の居場所を調べ始めた。時間は掛かると思っていたが、意外なところに手掛かりを見付け、目途が立った。
こうして、父親が暮らす街に降り立った。ここまで来たら、自分が調べたことが正しいと信じるしかなかった。博美は駅前でタクシーを拾い、父親が住んでいるアパートに向けてひたすら先に進んだ。
博美はタクシーの中で、胸ポケットから一枚の写真を取り出した。誕生したばかりの博美を抱く人物、それこそが二十年前の母だった。
(お母さんも、本当はお父さんに会いたかったんじゃないのかなぁ・・・・・。)
タクシーは最寄りの場所に止まった。ここからは歩いてパートに向かう。近付くに連れ、心臓の鼓動は高まっていく。何度か足が立ち止まる。それでも確実に歩を進めた。
「ここが、お父さんが住んでるアパート・・・。」
博美は緊張で震える指先で呼び鈴を押そうとした。しかし、指先がボタンに触れない。心臓の鼓動はこれまでに体感したことのないほど最高潮に達していた。
「だめ、押せない。でも、ここを超えないと、お父さんに会えない。」
ここまで来た以上、簡単に引き下がるわけにはいかず、博美はボタンを押そうにも指が震えていた。ちょうどその時、配送の人が博美の後ろを通ろうとして、背中に荷物が当たってしまった。
「おっと、ごめんよ!」
「キャッ!」
“ピンポーン!”
背中を押された反動で前へ傾き、指が呼び鈴に触れ、音が鳴った。
(鳴っちゃった・・・こうなったら押すっきゃない!)
博美は吹っ切れたかのように呼び鈴を押した。
“ピンポーン!”
普段鳴ることが少ない呼び鈴が鳴った。この部屋に住む寺垣隆博は、久々の休みで寝ていたかったので、敢えて無視することにした。来客は少なく、どうせ何らかのセールスぐらいしか来ないのは分かっているからだ。
(しつけぇな・・・こっちは売り込みお断りなんだよぉ。)
“ピンポーン!”
“ピンポーン!”
“ピンポーン!”
こちらの予想に反し、帰る気配がない。なんてしつこいセールスだろう。無視しきれなくなった隆博は布団から起き出し、ドアを勢い良く押し開けた。
「うっせぇなさっきからよぉ。一回鳴らせば分かるっつうの。何様のつもりだ・・・・・。」
目の前に見えたのは女性の姿だった。そばには大きなスーツケースを持っていた。もちろん隆博はこの女性を見るのは初めてであり、面識はない。
「あ、あの、どちら様で?」
女性は隆博の顔を見た後、とんでもないことを口にした。
「間違いない、お父さんだ!」
(は、はぁ?俺が親父だと?)
女性は、涙を浮かべて隆博にいきなり抱き着いてきた。
「お父さぁん。やっと見つけたぁ~!」
「おい、コラコラコラコラコラ!何やってんだい!離れろ!俺はお前の親父じゃねぇ!」
「だって、あなた私のお父さんでしょ?ね、ね?そうでしょ?」
「そうでしょって・・・あのな、俺は独身で結婚なんかしていないんだ。どう考えてもお前が俺の子供な訳がない!」
女性は見た目は二十歳くらいであり、彼女が産まれた頃まで遡っても隆博は十一歳となる。どう考えても三十一歳の隆博がこの女性の父親なわけがない。仮に子供がいたとしてもせいぜい五歳ぐらいが妥当である。
「勝手に押しかけてきやがって。何様だ!」
隆博は女性の顔がどこかで見覚えのある顔に似ていることに気が付いた。
(待てよ。この顔は・・・あの人に似てる。でも誰だ?)
隆博は記憶を遡って思い出そうとしたが、誰とも一致しなかった。それだけではなく、なぜだか頭の中でモヤモヤとしたものが渦巻いていた。
(そういえばあの時、何かあったよなぁ。うう、思い出せない・・・・・。)
「そうだ、お母さんの写真があるから、見れば思い出すかも。」
女性は胸ポケットから写真を取り出した。タクシーの中で見た自分と母親が写った写真である。
「この隣が私のお母さんよ!」
「フン、こんなの見たくらいで何ともなるわけないだ・・・・・はぁっ!」
隆博は愕然とした。その写真に写っていた人物は、隆博にとって重大な人物だったからである。これですべてが繋ぎ合った。隆博は女性に指差して聞いた。
「お前、きょ、京香先生の・・・。」
隆博は写真の女性と目の前のじょ女性は満面の笑みで答えた。
「私、稲本京香の娘、博美です!」
「う、嘘だろ。そんなぁ。あああ・・・。」
隆博は気を失い、後ろに倒れ込んだ。
「お、お父さん?お父さん?」
隆博は頭の中のモヤモヤが映像化された。話は二十年前に遡る。