↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

――バッドエンド――

失われた巫女の光

掲載日:2026/08/21

※転載、翻訳禁止です。


 ヨルンナビル王国は、山と海に囲まれた緑豊かな国である。


 その国の中央には神殿がそびえ立ち、数百年の昔から妖精の巫女が国を守り続けていると語り伝えられていた。


 巫女とは、女神アーネルスティから特別な加護を受けた者のことだ。

 生まれながらに聖魔法を宿し、妖精の声を聞くことができるという。

 そして十六歳の誕生日を迎えた時、神殿によって正式に巫女として公開される。

 その巫女は、七人の騎士とともに国中に張り巡らされた結界を維持するための儀式を執り行う。

 神殿のクリスタルに力を与え、魔物が人間の領域に入り込まないようにする。

 それがこの国の平和を守る最も重要な使命であった。






 その日、神殿のクリスタルが静かに輝いた。

 神殿でその光に気づいたのは、ゼスティス・カルベース神官長ただ一人だった。

 ゼスティス神官長がクリスタルの前に立った瞬間、女神の声が頭の中に直接響いた。


「ルンネスラ家に、巫女が生まれた。彼女には代々の巫女の知識が備わっている。自分の役目も分かっている。十六になるその時まで、静かに見守りなさい」


 ゼスティス神官長は、ゆっくりと跪いて答えた。


「……承知いたしました、女神様」


 クリスタルの光が静かに収まった。






 ソルティーナ・ルンネスラ子爵令嬢は、今代の巫女として生まれた少女だった。

 銀色の長い髪、澄んだ空色の目をしている。

 幼い頃から誰の目にも見えない小さな光の存在と語らい合った。

 よく誰もいないところで笑ったり独り言を言う不思議な少女として知られていた。


 彼女が話しかける誰かの正体は、妖精達だった。

 ふわふわと光を放ちながら彼女の周りを飛び回る小さな精霊達は、ソルティーナにとって幼い頃からの友達であり、家族のような存在だ。


「ソルティーナ、また一人でお話ししてるの?」


 幼馴染の少年イグル・アルハネスが首をかしげながら言った。

 彼は薄緑色の癖っ毛と薄茶の目をしていて、人懐っこい笑顔をする。


「一人じゃないわ。ここにテールがいるもの」


 ソルティーナは空中の一点を指さした。


「俺には、見えないんだけどなあ」


 イグルは苦笑しながら頭をかいた。






 ソルティーナには、弟のエリクス・ルンネスラがいた。

 エリクスは姉より二つ年下で、活発な少年だった。

 金色の髪と空色の目をしている。

 姉とは対照的な見た目を持つ彼は、幼い頃から姉を慕っていた。


「姉上、また妖精さんと話してたの?」

「今日はね、エリクスは騎士に向いてるって妖精さん達が言ってたのよ」


 エリクスの目がキラキラと輝いた。


「ほんとに? じゃあ僕、絶対騎士になる! それで騎士になったら姉上を守るんだ!」


 ソルティーナは笑って、弟の金色の髪をくしゃりと撫でた。






 神殿では神官長ゼスティス・カルベースが陰ながら護衛をつけ、ソルティーナのことを見守っていた。


 彼女の周りには常に妖精達が集う。

 彼女の聖魔法は特別な光を放ち、代々受け継がれている巫女の知識を所持している正真正銘の巫女。


 強い聖魔法が扱える貴族令嬢は十二歳からは神殿預かりとなり聖女として勤めをかさせられる。

 ソルティーナもその年になると神殿に迎えられた。

 神官長はソルティーナだけを神殿の奥深くへ招いた。


「ソルティーナ嬢、よく来てくれました」


 そこには、大きなクリスタルが鎮座していた。

 内側からやわらかい光を放っている。


「これが……」

「この国の結界を保つ根源のクリスタルです。歴代の巫女達が力を与え続けたものです。あなたが十六歳になった時に正式に儀式を行い、このクリスタルに力を注ぎ込みます」


 ソルティーナはクリスタルに手を触れた。

 触れると優しい温もりがあった。


「……先代の巫女様の力を感じます」


 神官長は目を細めた。


「そうですか、巫女は、代々の巫女の知識を受け継いで生まれるとされていますからね。あなたにはやはり分かるのですね」






 ソルティーナが神殿に入った年、同じくクルベーネ・ガロリカという少女もいた。

 彼女は、侯爵令嬢で聖魔法を使えることから神殿に迎えられた。

 亜麻色の髪と青い目を持つ少女は、一見すると穏やかで儚げに見えた。

 だがその目の奥には、野心が潜んでいた。


 神殿で働き始めてすぐ、クルベーネはゼスティス神官長に特別視されているソルティーナに近づいた。


「ソルティーナ様、これから一緒に頑張りましょうね!」


 ソルティーナは素直な少女だった。

 人の悪意を疑うことを、まだ知らなかった。


「ええ、クルベーネ様。これからよろしくお願いします」


 この時から二人は表面上、仲良くなった。


 クルベーネと一緒にいる内にソルティーナには、気になることがあった。

 クルベーネのそばには、妖精が寄り付かないのだ。


 妖精達は通常、聖魔法を持つ者のそばに集まる習性がある。

 ソルティーナの周りには常に複数の妖精が飛び回っていたし、神殿の他の神官達のそばにも一体か二体は寄っていることが多かった。


 しかしクルベーネのそばには、一体も来ない。


「テール、なぜクルベーネ様のそばに妖精はいないのかしら?」


 テールはぶんぶんと首を振った。

 そして短い手足でクルベーネの方向を指さし、何かを伝えた。


「……え? 気持ち悪い? どういうこと?」


 テールは深刻な顔で頷いた。


 ソルティーナはそのことをゼスティス神官長に伝えた。

 神官長は眉をひそめ、「まだ確信は持てませんね。少し様子を見ましょう」と言った。






 クルベーネは、賢い少女だった。

 表向きは従順で礼儀正しく、神官達からの評価も高かった。

 そんな彼女には、ある野望があった。


 巫女になること。


 それは単なる名誉欲ではなかった。

 巫女になれば巫女選任の七人の騎士に守られ、国の中で最も神聖な存在として崇められる。


 クルベーネは、実は聖魔法を込めたアイテムを使用していた。

 それを自分の力だと偽り神殿に入った。

 それから彼女は協力関係にある叔父、神殿の幹部神官であるグラントン・ガロリカと計画を練った。


 そこで、ある魔道具を手に入れた。

 遠い異国から密かに取り寄せた聖力吸収の魔導具。

 これは他者の聖魔法の力を吸い上げ、一時的に使用者のものとして発動できるという禁忌の道具だった。

 そしてクルベーネは、密かに行動を始めた。

 弱い聖魔法を持つ平民の少女たちを一人、また一人と……。






 ソルティーナが十五歳のことだった。

 神殿の廊下を歩いていたソルティーナは突然、複数の足音に囲まれた。


「ソルティーナ・ルンネスラ嬢。止まれ!」


 振り返ると、そこには巫女騎士の制服を着た男達が立っていた。

 総勢七人。


 そしてその中でソルティーナは目を見張った。

 幼馴染イグル・アルハネスがいた。

 巫女騎士の制服を身に纏っていたが、その顔には見覚えのない険しさがあった。

 そして更にもう一人、弟のエリクス・ルンネスラがいた。


 ソルティーナは自分の目を疑った。

 騎士見習いとして訓練をしていたことは聞いていたが……なぜここに。


「エリクス……?」

「姉上、……本当のことを話してくれ」


 エリクスの声は震えていた。

 しかしその目には、明らかな動揺と何かを信じようとする苦しさが滲んでいた。


 隊長のロクト・ホルゼスが前に出た。

 厳格な顔をした男だった。


「ソルティーナ・ルンネスラ嬢。そなたがクルベーネ・ガロリカ嬢に対して行ってきた所業について、弁明の機会を与える」

「……所業?」


 ロクトは一枚の書状を読み上げた。

 その内容は、ソルティーナにとって耳を疑うものだった。


 ——ソルティーナ・ルンネスラ嬢は、巫女候補であるクルベーネ・ガロリカ嬢を、陰で執拗にいじめていた。食事に異物を混入した。神殿内で孤立させるよう他の神官達に働きかけた。妖精が見えないと嘘をついていると騒ぎ立て、精神的に追い詰めた。これらの行為により、クルベーネ・ガロリカ嬢は体調を崩し、現在も神殿内で苦しんでいる——


「……そんなこと、しておりませんわ」


 ソルティーナの声は落ち着いていたが、内心困惑していた。


「しかし、クルベーネ・ガロリカ嬢はそなたから受けた被害を事細かに証言している。神殿内の複数の者もそれを裏付ける証言をしている」

「どなたが? どんな証言を?」


 ロクトは眉をひそめた。

 イグルが一歩踏み出した。


「……ソルティーナ嬢、本当のことを言ってくれ……俺は、お前がそんなことをするとは思いたくない。だが、これだけの証言がある!」


 ソルティーナはイグルを見つめた。

 長年の友人の目に、迷いの色があるのがわかった。


「イグル様、私は何もしていないわ。クルベーネ様が嘘をついているよ」

「……証明できるか?」


 できるわけがなかった。

 ソルティーナは何もしていなかったから、証拠がない。

 逆に、クルベーネはしっかりと証拠記録を出していた。


 その証拠書類には、傷痕があるクルベーネの腕。

 ソルティーナへの恐怖を滲ませたクルベーネの涙の証言。

 神殿内の複数の者による証言——それらはすべて、クルベーネが周到に用意したものだったが、ソルティーナにはそれを証明する術がなかった。


 エリクスがぼそりと言った。


「……姉上、変わってしまったの?」


 その弟の言葉に痛みを感じた。


「変わっていないわ。私は何も——」


 ロクトが遮った。


「ソルティーナ・ルンネスラ嬢。そなたの本神殿への立ち入りを禁じる。調査が終了するまで、旧神殿での生活を命じる。これは神官長の命でもある」

「ゼスティス様が……?」



 ソルティーナが知らなかったことが、その時すでに起きていた。

 神官長、ゼスティス・カルベースが三日前に急死していた。

 公式には、老齢による心臓発作とされた。


 だが実際は違った。

 神殿の奥深くのクリスタルの間で、倒れているところを発見された。

 誰かに毒を盛られた痕跡があった。

 しかしそれは握りつぶされた。


 新しい神官長として就任したのは、グラントン・ガロリカ。

 クルベーネの叔父だった。


 彼は神学の知識は乏しかったが、政治的な駆け引きには長けていた。

 先代神官長が急死したという混乱の中で素早く根回しをし、正式な神官長の手続きを踏まず権力で神官長の座をものにした。

 そしてグラントンが神官長となって最初に行ったことの一つが、ソルティーナの本神殿追放だった。



 その夜、父アハセク・ルンネスラがソルティーナのもとを訪ねていた。


「ソルティーナ……神殿の件は聞いた」

「お父様も、クルベーネ様の話を信じているのですか?」


 父は長い沈黙の後、目を伏せる。


「……お前は心優しい人間だ。爵位の下の令嬢が出来ることでもない。だが……私は宮廷顧問官だ。神殿の決定に公に逆らうことは——」

「わかりましたわ」


 父の辛そうな姿を見て、ソルティーナは静かに遮った。


「お父様の立場はわかっています。無理しないで下さい」


 アハセクは何かを言おうとして言えなかった。

 娘の背中を見つめながら、拳をぐっと握りしめるだけだった。






 旧神殿は、現在の神殿から少し離れた丘の上にある、古い石造りの建物だった。

 かつては巫女がここで修行を行ったというが今は使われておらず、ほとんど廃墟同然だった。

 ソルティーナはここに送られた。


 一人だった。

 荷物は最低限だけ。

 食料は神殿から週に一度届けられた。

 外への外出は許可されていたが、本神殿への立ち入りは厳しく禁じられていた。

 そんな中で妖精達は、ついてきてくれた。


「ソルティーナ、泣かないで」


 テールがソルティーナの頬のそばで浮かんで、小さな手でそっと触れるような仕草をした。

 実際には触れられないのだが、その仕草がソルティーナには嬉しかった。


 旧神殿の窓から、遠くに本神殿が見えた。

 夕焼けに染まった空に、その白い尖塔が黒い影を描いていた。


 ソルティーナは窓枠に手をついて、その光景をしばらく眺めた。


「……エリクスも、イグルも、みんなクルベーネ様の言葉を信じたのね」


 テールが悲しそうに頷いた。


「あっちには捏造した証拠がある。捏造したなんて疑ってないから信じちゃったんだよ……」


 それでも、信じてもらえなかったことが悲しかった。

 幼い頃から一緒に育ってきたイグルが。

 ずっと、姉上を守ると言っていたエリクスが。

 ソルティーナは唇を噛んだ。


「……でも、泣いてばかりいられないわね」






 ソルティーナが旧神殿に謹慎されている間、神殿内では別の騒動が起きていた。


 先代神官長の直属の部下達が、声を上げ始めていた。

 神官のオルストフ・マイセリス、シェーネ・ソルビエ、そしてカルロッソ・ラシールの三人は、先代神官長から直々にソルティーナが真の巫女であることを教えられていた。

 彼らはグラントン新神官長の就任とクルベーネを巫女と発表する動きに、強く反発した。


 オルストフ達は神官長室に直談判に行った。


「巫女は代々の神官長に神託で名が下されています! その神託に背くおつもりですか!」


 しかしグラントンは冷たく笑った。


「先代の言葉を根拠に、今更何を。先代は亡くなられた。今の神官長は私だ」

「ソルティーナ様こそが真の巫女です! これは大きな過ちです! あなた方は事の重大さが分かっていない!!」


 シェーネは強くグラントンを非難した。


「それに、儀式の本質をご存じですか! 巫女の聖魔法の性質は、通常の聖魔法とは違う。もし巫女でない者が儀式を行えば——」


 カルロッソも必死で説得しようとした。


「心配無用だ。クルベーネの聖魔法は本物だ」

「ですから! 巫女の力は本来の聖魔法とは別の性質を持っていると言っているのです!」

「それに妖精が見えるかどうか確認されましたか!? 巫女には必ず妖精が——」


 シェーネは神官長に詰め寄った。


「見えると本人が言っている」

「巫女は代々の巫女の知識を受け継いでいます。ソルティーナ様はその記憶を持っている証拠を示せます。クルベーネにはそれができないはずで——」


 オルストフは食い下がった。


「もうよい」


 グラントンは手を振った。


「これ以上騒ぐなら、職を解く」


 しかし三人は引かなかった。

 何日も、彼らは神官達の集まりの場で声を上げた。


「ソルティーナ様が儀式をしなければ、大変なことになる!」

「クルベーネ様には結界儀式を行う資格がない!」

「お願いです、もう一度考えてください!」


 グラントンは、その声を力で封じた。

 オルストフ、シェーネ、カルロッソの三人は揃って神殿秩序を乱したという名目で、王国の辺境にある小さな神殿への強制的に左遷を命じられた。






 ソルティーナが十六歳の誕生日を迎えた数日、神殿では大々的な発表が行われた。

 グラントン神官長が神殿の正面階段に立ち、集まった貴族、騎士、民衆の前で高らかに宣言した。


「ヨルンナビル王国の守護者たる巫女、それはクルベーネ・ガロリカ様である!」


 広場に歓声が上がった。


 クルベーネは白い神聖な衣装を纏っている。

 謙虚に頭を垂れながら、しかし口元には微かな笑みを浮かべていた。

 その場にソルティーナはいなかった。

 旧神殿の窓から、遠くの景色をみていた。


「……」


 テールが怒った顔でぷりぷりと空中を飛び回った。

 他の妖精達も、憤慨した様子で騒いでいた。


「もう仕方ないのかもしれないわ」


 ソルティーナは静かに言った。


「私にできることをするだけよ」


 ソルティーナには、代々の巫女から受け継いだ知識がある。

 その中には万が一のときの方法も含まれていた。






 クルベーネが巫女として儀式を行う準備を進める中で、彼女は秘密裏に続けていた行動があった。

 国内の平民の中に、聖魔法を持つ少女が数人いた。

 彼女達は普通の家庭で育っていたが彼女達の聖力は確かで、それをクルベーネは魔導具で吸い取ることができた。

 クルベーネは少女達を神殿の見習いとして迎えると言って招き、そして姿を消させた。

 行方不明者の数は、いつの間にか三十人を超えていた。


 彼女達はガロリカ侯爵家の地下深くに作られた秘密の部屋に閉じ込められていた。

 食事と水は与えられたが、それ以上の施しはしなかった。

 ただ、定期的にクルベーネが訪れ、魔導具を使って彼女達の聖力を吸い取っていく。

 少女達は日に日に衰弱していった。

 しかしそんな事実を周囲は知らなかった。






 儀式の当日。

 神殿のクリスタルの間に、クルベーネと七人の巫女騎士が集まった。

 それぞれの騎士には、儀式用の特殊な妖精剣が渡されていた。

 この妖精剣はもともと巫女が一本一本に魔力を込めたものだが、今回の妖精剣はクルベーネが魔導具で吸い取った他者の聖力を込めたものだった。


 騎士の中には、ロクト・ホルゼス隊長、イグル・アルハネス、そしてエリクス・ルンネスラもいた。


 エリクスは緊張した面持ちで、妖精剣の柄を握りしめていた。

 儀式が始まった。

 クルベーネが祈りの言葉を唱え、クリスタルに手をかざした。

 最初は、うまくいっているように見えた。

 クリスタルが淡く光り始め、騎士達の妖精剣も微かに輝いた。


 だが——


 テールをはじめとする妖精達は、旧神殿からその様子を感じ取っていた。

 ソルティーナにも伝わってきた。


「……やっぱり、無理よね」


 ソルティーナは悲しみを帯びる。

 感じる……。

 クリスタルが苦しんでいる。

 巫女の儀式は、その者の内側から湧き出る性質によって引き出される。

 それは生まれ持った根源的なものだ。

 クリスタルにその性質は偽れない。


 クルベーネの性質は、聖とは真逆のものだった。

 それがクルベーネの根源にあるものだった。

 そのような性質を持つ者が儀式をすれば——






 爆発的な音とともに、クリスタルが割れた。

 神殿の壁が震え、天井から石屑が降り注いだ。

 クリスタルの光が一瞬膨れ上がり、そして——消えた。

 騎士達の妖精剣から光が失われた。

 神殿の外では、人々が空を見上げて絶句した。

 国中に薄く広がっていた結界の光がゆっくりと、確実に消えていくのが見えた。

 結界が崩壊した。






 ソルティーナは感じた瞬間、走り出していた。

 旧神殿の奥、古い祭壇の前へ。



「ソルティーナ! 何しようとしてるの!」


 テールが叫んだ。


「儀式をするのよ!」

「何言ってんの! クリスタルも妖精剣もない今、そんなことしたら——」

「テール」


 ソルティーナは立ち止まり、振り返った。


 小さな妖精が、ソルティーナの目の前で激しく首を振っていた。


「……知っているわ。でも、やらなきゃいけないのよ」

「嫌! 絶対嫌!! この国なんてどうでもいい! ソルティーナの方が大事!!」


 他の妖精達も集まってきた。

 妖精達が涙を流してソルティーナの周りを飛び回り、やめてと叫んでいた。

 ソルティーナは、妖精達の顔を見た。

 長年、一緒にいた友達の顔。


「みんな私のことを思ってくれて、ありがとう」


 彼女は微笑んだ。

 その笑顔は穏やかで、迷いがなかった。


「でもね、この国の人達が魔物に殺されるのを、黙って見ていることはできない。たとえ……その人達が私を信じてくれなくても」


 エリクスのことを思った。

 姉上、変わってしまったの? と言ったあの顔。

 イグルのことを思った。

 証明できるか? と言ったあの目。

 それでも彼らを見捨てることはできなかった。


「これは私の選んだことだから」


 ソルティーナは祭壇の前に跪いた。

 目を閉じ、両手を胸の前で組んだ。

 そして、自分に眠る力を最大限に解き放った。

 古代の言葉が口から溢れ出した。

 新たな光が生まれた。






 旧神殿が、輝き始めた。

 その光は建物の外にも溢れ出し、丘の上から放射状に広がっていった。

 空に金色の光の筋が走った。


 本神殿では、神官の一人が窓の外の光に気づいた。


「な……!?」


 彼は走った。

 廊下に出て、他の神官を呼んだ。


「旧神殿で結界が構築されています!!」


 その叫びは神殿中に広がった。


 儀式に参加していた者達が旧神殿へと走った。


 エリクスは、まっさきに飛び出した。

 胸には嫌な予感がした。


「姉上!」






 丘の上の旧神殿に、人々が集まってきた。

 しかしそこに辿り着いた者達は、全員が足を止めた。

 言葉を失った。


 旧神殿の中央の古い祭壇の場所に、巨大な光の柱が立ち上っていた。

 そしてその光の中心に。


 かつてソルティーナが立っていたはずの場所には、透き通った輝きを放つクリスタルがあった。

 人の形をしたクリスタル。

 手を胸の前で組み目を閉じて、跪くような姿勢で静止している。


 その周りには、無数の花が咲き誇っていた。

 そして、クリスタルの周りに光の粒が舞っていた。

 妖精達だった。

 そのほとんどは声もなく、ただ小さな体を震わせて泣いていた。

 一体の妖精だけがクリスタルの傍らに座って、じっとそれを見つめていた。

 テールだった。



「姉上……っ」


 エリクスが走り出した。

 クリスタルに駆け寄り、手で触れた。

 温かさを感じた。

 エリクスは崩れるように膝をついた。


「い……やだ……なんでこんな……嘘だ、こんなの……姉上ーーーー!!」


 叫んでも、クリスタルは答えなかった。

 イグルも、ゆっくりと近づいた。

 その顔からは色が消えていた。


「……ソルティーナ」


 彼はクリスタルに触れた。

 あのソルティーナのような、優しい温もりがあった。


「俺は……俺は信じてやれなかった……っ」


 イグルの目からは涙が溢れた。

 止まらなかった。


 旧神殿に駆けつけた人々の中に、父アハセクの姿もあった。

 クリスタルを見た瞬間、この厳格な男が膝から崩れ落ちた。


「…………ソル………ティーナ」


 声にならない声だった。

 エリクスが泣き崩れるそばで父は片手で顔を覆い、肩を震わせた。

 止めることのできなかった後悔が、今になって全身を貫いていた。


「亡くなったお前の母親に……なんと言えばいい……」



 その時、空の色が変わった。

 天から光が降り注いできた。

 そして妖精達の泣き声が突然止んだ。

 テールが立ち上がり、その小さな目を見開いた。

 金色の光の中から、何かが降りてきた。

 言葉では言い表せない存在。

 その気配は、集まった人々全員に感じられた。



 ヨルンナビル王国の国王アルムス・ヨルンナビルも急いで、この場に来ていた。

 白髪交じりの厳格な顔を持つ中年の男だが、今は蒼白になっていた。

 テールは国王の前に浮かんだ。

 巫女以外、誰の目にも妖精の見えないはずの全員の目に、テールの姿が見えた。

 女神の力が、一時的に妖精を可視化していた。


「……お前が、この国の王だな」


 テールの声は、その場の全員に届いた。

 底に深い悲しみと怒りが宿っていた。


「……そうだ」

「女神アーネルスティ様からの伝言を伝える」


 周囲が静まり返った。


「代々、誰が巫女なのかは神官長へ女神から神託から伝えられていた。女神の神託を受けたゼスティス・カルベースを殺し、現神官長が神託を無視した。そして、偽者の巫女を使い儀式を行ったせいで、クリスタルは壊れた。だから真の巫女であるソルティーナは自分の寿命を犠牲にして、新しい結界を作った」


 テールの声は、震えていた。

 クルベーネとグラントンの顔は蒼白になり、身体を震わせている。 



「女神様は……大変、お怒りだ。女神はこの事態を招いた者達を決して許さない。直接関わった者達は皆、地獄行きとなり二度と転生はできない。そしてこの国にも罰を与える」


 地獄行きと聞いて心当たりがあるのか、それを聞いた何人かは倒れ込んだ。


 テールは続けた。


「この国には、もう巫女は生まれない。維持することも結界を作ることもできない。この結界は五十年で消える。その間に、お前達だけでどうにかしろ」


 周囲は絶句した。


 騎士の一人が呻いた。


「そんな……こんなことになるなんて」


 グラントンは後ずさりした。

 クルベーネは意識をなんとか保っていたが、しゃがみ込み身体は震えている。


 自分達が引き起こしたことの結末を、ようやく理解したのだろう。


「偽者の巫女は多くの少女から禁忌の魔道具を使用し、聖力を奪っている。お前達が巫女と称したものは邪悪そのものだ。ソルティーナはそれでもこの国の為に自らに犠牲になってでも守ることを選んだ。だがお前達が行った所業で真なる巫女を失ったことを女神は許すことはない」


 しばらくの沈黙の後、女神の気配が薄れていった。

 金色の光も消えた。



 残ったのは花に囲まれたクリスタルと、それを囲んで泣き崩れる人々の姿だった。






 その後のことは、早かった。


 左遷されていたオルストフ、シェーネ、カルロッソの三神官が呼び戻された。

 彼らの証言と神殿の記録の精査により、クルベーネとグラントンの罪が次々と明らかになった。


 行方不明になっていた三十人以上の少女達。

 ガロリカ侯爵家に踏み入れ秘密の部屋が発見された。

 衰弱してはいたが、全員が生きた状態で救出された。

 彼女達の証言は、クルベーネの犯行を決定的に証明した。


 先代神官長ゼスティス・カルベースの死の真相も、改めて調査された。

 証拠は完全ではなかったが、グラントンが深く関与していたことはほぼ明らかとなった。

 クルベーネに対しソルティーナの証言をした者に自白剤を使用すると、全員が虚偽であったことが分かった。

 七人の巫女騎士の内、ロクト、イグル、エリクス以外は全員、クルベーネの協力者だった。



 裁判は短期間で終わった。


 クルベーネ・ガロリカ——国家の根幹である結界儀式を偽装し、少女達を誘拐、監禁し、国を滅亡の危機に陥れた罪により、死刑。


 グラントン・ガロリカ——不正に神官長の座を奪い、真の巫女の活動を妨害し、先代神官長の死に関与した罪により、死刑。


 ガロリカ侯爵夫妻も直接関与していたため、死刑。

 ガロリカ侯爵家とその連なる家も取り潰しとなった。



 処刑は公に行われた。

 処刑の場は、怒り狂う民衆達で溢れていた。

 誘拐された少女の親達の罵声がクルベーネに向けられる。

 クルベーネは最後まで何かを言おうとしたが、ひどい拷問を受けていて言葉は続かなかった。


 今回、加担した者や虚偽をした者達は全て鉱山送りとなった。


 七人の巫女騎士の処分も決まった。

 ロクト・ホルゼス、イグル・アルハネス、エリクス・ルンネスラ以外はクルベーネに加担していたため、鉱山送り。


 ロクト・ホルゼス、イグル・アルハネス、エリクス・ルンネスラは連帯責任として、辺境の地への送致を十年命じられた。


 イグルは命令を受けた時、黙って頷いた。

 反論しなかった。

 むしろ当然だと思った。


 エリクスも同じだった。

 辺境への出発の前日。

 三人は、旧神殿へ向かうことを許された。






 旧神殿は、あの日から変わっていなかった。


 妖精達も、まだそこにいた。

 クリスタルの周りを静かに漂っていた。


 三人の元巫女騎士が、揃って旧神殿に入ってきた。

 クリスタルの前に立って誰も、しばらく言葉を出せなかった。

 人の形をしたクリスタルは、変わらず穏やかな光を放っていた。


 ロクトが最初に跪いた。

 続いて、イグルとエリクスも膝をついた。


「……ソルティーナ・ルンネスラ様」


 ロクトの声は、震えていた。


「俺は……過ちを犯しました。彼らの虚偽を見抜けなかった……なんの非もないあなたを追い詰めた。申し訳ありませんでした」


 彼の目から涙が落ちた。



 イグルは、喉に何かが詰まって声にならなかった。

 ソルティーナの笑顔を思い出した。


「ここにテールがいるもの」


 と言って空中を指さした幼い日の笑顔。

 初恋の女の子。

 私は何もしていないと言った、あの揺るぎない目。

 俺は信じてやれなかった。

 証明できるか? なんて言った。

 なんて言ったんだ。


「……ごめん、ソルティーナ。俺は……俺はずっと、お前の幼馴染だったのに。お前のことを一番よく知っているはずだったのに……」


 肩を震わせて涙が出た。


「俺は信じてやらなきゃいけなかった。それが……できなかった。ごめん。本当に……ごめん」



 エリクスは、ゆっくりと歩いてクリスタルに額をつけるようにして崩れ落ちていた。


「……姉上……姉上は、変わってなんかいなかった。俺が、あの嘘を信じて……最低だ。俺は最低の弟だ」


 泣き声が止まらなかった。


「ずっと姉上を守るって言ってたのに。守れなかった。守るどころか……追い詰めた。ごめんなさい、ごめんなさい。姉上」



 一方、アハセクは宮廷顧問官の職を自ら辞した。

 誰かに咎められたわけではない。

 ただその椅子に座り続けることが、もはやできなかった。

 彼はルンネスラ家の領地に戻り、残りの生涯をソルティーナの記録を後世に伝えることに費やした。






 旧神殿から人々が立ち去った後。

 再び、金色の光が差し込んできた。

 妖精達だけが、そこにいた。


 女神アーネルスティの気配が静かに満ちた。

 テールは深くお辞儀をした。

 他の妖精達も、一斉に頭を垂れた。



『あなたはよくやりました、ソルティーナ』


 クリスタルが、ほんのりと光を帯びた。


『あなたは、誰も信じてくれなくても自分を犠牲にしてまでも役目を果たしました』


 テールの目から、また涙が溢れた。


『次の生では使命だけを背負う人生ではなく、ただあなた自身の幸せを考えなさい』


 光が集まった。

 クリスタルの内側から、何かが浮かび上がってくるような感覚。


 テールは泣きながら、手を伸ばした。

 光がテールの手に触れた。

 温かかった。

 ——行ってきます。

 それは、ソルティーナの声だった。

 光が、女神の懐に溶けていく。

 転生の道が、開かれていく。


「行ってらっしゃい、ソルティーナ!」


 テールは声を上げた。


「次は絶対、幸せになるんだよ! 絶対だよ!!」


 金色の光が、ゆっくりと収まった。


 後に残ったのは、少女のクリスタルと花畑だけだった――。






私の他作品も読んでみて合わないと感じた場合や今後は希望されない場合、ミュート設定をご利用ください。

誤字報告もありがとうございます。助かります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
弟と幼馴染も鉱山送りか死刑でいいと思う 旧神殿に寄る資格もないのに来るな
証拠があるからって、長い付き合いの幼馴染や姉の事を酷い虐めをする奴だって思えちゃうのって、正直弱々しいふりして虐め被害を涙ながらに訴えるクルベーネにグラッと来てボクチンが守らなきゃ!ってなったからやろ…
妖精が関わると来世でも不幸になりかねないから、あえて付いていかなったかんだろうな・・・ 結界に甘えきってた連中が50年で立ち向かう体制構築できるとは思えないし、この土地は放棄されそう
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。