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誰かの追憶 

翔和二十年 太平洋の何処か

 男は走っていた。

 行き先などなかった。ただ、目の前へ、目の前へと、足が動く限り走り続けていた。


 ひどく暗く、暑い夜だった。

 背後では、時折照明弾が夜空を裂き、白々しい光が密林を暴き出す。そのたびに、正気を失ったかのような機関銃の掃射が叩きつけられた。

 音もなく降り注ぐ砲弾は木々を薙ぎ倒し土を抉り、命の痕跡を消し去っていく。

 戦車は化け物の様な唸り声を上げながら進み、逃げ遅れた者たちを()()へと変え続けていた。

 あちらこちらから悲鳴と怒号があがり、爆風で吹き飛ばされたのであろう死体が冗談のように降ってくる。

 

 男は走っていた。

 ひたすらに、走り続けていた。


 ----------------------------------------------


 男は物陰に身を潜め、荒い息を整えていた。

 軍服は泥と血にまみれ、体中に刻まれた傷は、もはや生者と死者の境を曖昧にしている。塹壕から辛うじて持ち出した小銃は、引き金を引けば応えてくれるだろうが、残された弾はたった一発きりだった。


 携行していた食料はとうに尽き、水筒の中身も底を見せかけている。男は膝に肘をつき、視線を地面へ落とした。諦めが、静かに胸の奥へと広がっていく。もう疲れた。十分だ。いい加減、休ませてくれ。


 幸いと言うべきか、あるいは不幸と言うべきか。

「手段」はまだ手元にあった。もう少しの間俯いたままでいれば、男はきっとそれを実行していただろう。


 だが、その「もう少し」は訪れなかった。ジメッとした風が吹き、枯れ葉を何枚か巻き上げる。それにつられて男は顔を上げる。

 ――いや、違う。

 ()は、空を見上げた。


 --------------------------------------------


 天の川。

 そう呼ばれる景色が、あそこには有った。この戦場より、この地球よりも広大な世界が無数に広がる星の海が、視界の全てに溢れていた。


 戦友の死も、戦闘の恐怖も、汚物にまみれた体も、感覚の無い右腕も、死ぬことへの諦めさえ――ほんの一瞬、どうでもよくなるほどに、きれいな、綺麗な空だった。


 だが程なくして、恐怖と寂しさが混ざり合ったような感覚が、頭の中を駆け巡った。


どうして


 多分、疲労のせいだ。ひどく子どもっぽい言葉を目に溜め込みながらそれを見上げ続ける。


俺はこんな目にあっているのに


 意味のないことだ。今さら考えるべきことじゃない。そう分かっているのに。


「どうして……お前はーーーーーなんだ……」


 自分でも何故出せたのかわからない声が、喉の奥で崩れていく。


「どう、して……」


 ああ、駄目だ。

 これ以上は無理だった。


 俺は諦めて口を閉じ、しばらくしてから寝床を作った。

 寝床と言っても、その辺に落ちていたボロ布と木の棒を組み合わせただけの、名ばかりのものだ。


 横になると、不思議なほどすぐに眠気が体を支配した。


 夜明け前には動き出そう。ここから七、八キロ歩けば、味方の後方陣地に着くはずだ。

 もし着かなかったら……その時は、そういう時なのだろう。


 眠りに滑り落ちる、その少し前。

 俺はもう一度、星空を見上げて、こんなことを考えていた。


 ――そらが、宇宙が、あんなにも広いのなら。

 ――こんな思いをせずに生きられる場所が、どこかにあるんだろうか、と。

第一部は戦争帰りのとあるロケット技師のお話になります。

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