第36話「願わずに祈る」
朝霧透は椅子に深く沈み込み、モニター越しのユイを静かに見つめていた。ユイは机の上のガラス瓶に指を触れ、水面の波紋が微かに揺れる。その動作は以前のような圧迫を伴わず、胸の奥には揺れる光だけが残った。
「……あれ……いや、違う……いや……ただ見ているだけで……」
透は言葉を言い直す。善意を願うことはなく、胸の奥の崩れも刺激されない。触れられない距離感は微かな緊張として残るが、それ以上の圧はない。
ユイはペンを机に置き、視線を外す。外の光が窓から差し込み、影が揺れる。手を伸ばせば届きそうで届かない距離。それでも、透はその微かな変化を否定せず、静かに見守った。別の行動――カメラを切る、椅子を回す――も浮かぶが、どれも選ばれなかった。
「透くん……ね……」
ユイの声はかすれ、途切れる。だが透は返す必要を感じない。善意を願わず、ただ見守る。その静かな選択が、胸の奥の小さな崩れを揺れながらも落ち着かせる。
生活の微細なノイズ――冷蔵庫の低いうなり、カーテンの擦れる音、砂時計の砂が落ちる音――が日常の異常と静寂を同時に示す。胸の奥の崩れは微かに揺れるだけで、心理はぎりぎりの均衡を保ったまま、透はユイの行動を受け止める。
透は、願わずに見守ることで、掌の中の微かな重みを光として胸に留める。善意はもはや圧ではなく、揺れる光として存在し、心に静かに残った。
遠くで冷蔵庫がうなり、カーテンが微かに揺れる。砂時計の砂は落ち続ける。全ては日常のノイズとして存在しながら、透とユイの間には、言葉にできない穏やかな間合いだけが残った。救済でも絶望でもない、その間の静寂。
願わずに、ただ祈る。
願わずに、ただ見守る。
その選択だけが、二人の掌の中で揺れる光として残った。




