第30話「掌の静寂」
朝霧透は椅子に沈み込み、モニター越しのユイを見つめる。ユイは机の上のガラス瓶に指を触れ、水面に広がる波紋が胸の奥に響く。だが今、その揺れはわずかに止まり、透の胸に静かな圧迫を残すだけになった。
「……あれ……いや、違う……いや……なんて言えば……」
透は言い直す。善意は知らず、ユイの自由を削り続けていたが、今、ユイは微かに自らの意思で動こうとしている。掌の中の距離感がわずかに変化した瞬間、胸の奥で疼いていた崩れが小さく揺れながら落ち着く。
ユイはペンを机に置き、ほんのわずかに笑みを浮かべたような気がした。声はかすれ、途切れることもあったが、確かに何かを選んだ行動が透に伝わる。別の行動――カメラを切る、椅子を回す、窓を開ける――も頭に浮かぶが、今はそのどれも選ばれなかった。
「透くん……」
ユイの呼びかけは途切れ途切れで、完全な言葉にはならなかった。しかし、その小さな声が、透の胸にじわじわと光を残す。掌の中の距離感は依然として重く、善意の圧は完全には消えない。それでも、わずかに揺れる静寂が、心理の極限にあった透をほんの少し支える。
生活の微細なノイズ――冷蔵庫の低いうなり、カーテンの擦れる音、砂時計の砂が落ちる音――が、日常の異常を微かに示しつつも、胸の奥の崩れは小さく揺れるだけになった。透の心理は完全に回復したわけではないが、ぎりぎりの均衡を保ったまま、次の瞬間を待っている。




