柚木信の見舞いに行きたい
柚木信の見舞いに行きたいと亜莉菜が言い出した。
「柚木君? 彼、まだ目を覚まさないのかい?」
彬史が尋ねる。柚木は葉月の彼氏で、事故当時、車を運転していた。どうやら柚木に過失はなく、事故の原因は前方を走っていた車が居眠り運転をし、車線を越えて柚木が運転する車にぶつかって来たことが原因だということが分かっていた。
衝突の反動で、柚木の運転する車は制御を失い、ガードレールに激突し、助手席に乗っていた葉月が運悪く命を落とした。
「まだみたい・・・」と亜莉菜が答える。
約束通り、いや、亜莉菜は言った通り、週に一度の頻度で真野家を訪れてくれる。一緒に食事を作ってくれたりして、恵にとっては、亜莉菜と世間話をしているだけで、随分、癒されるようだ。亜莉菜と話をしている時、笑顔を浮かべていることが多い。
「そうか・・・」と呟いて彬史が黙り込むと、隣から恵が「ねえ。わたしたちも一緒に行かない?」と口を挟んだ。
彬史も恵も、柚木にはまだ会ったことが無かった。
「うん」彬史もそのことを考えていた。
今まで、自分たちのことで精一杯で、亜莉菜のように事故で苦しんでいる人間が他にいることなど、考える余裕がなかった。考えてみれば、柚木の両親は毎日、息子が目を覚ますことを祈って、業火に焼かれる思いで日々、過ごしていることだろう。
「迷惑になるだけかもしれないけど、行ってみようか」
何故か、(行かなければ)と思った。今更だが、葉月の恋人に会ってみたかった。
真野夫婦は亜莉菜と共に柚木が入院する総合病院を訪れた。
良い天気だった。吹き抜けになった天井の高いロビーは陽光で溢れていた。真野夫婦と亜莉菜は受付で柚木の入院している病室が何処か尋ねようとした。
誰かの見舞いに来たのだろう。若い男が同じように病室の場所を尋ねていた。
「患者さんのお知り合いですか?」
受付の年配の女性が眉間に皺を寄せながら問いかける。
「あ、いえ、はい。知り合い・・・ではありませんけど・・・」と若い男は煮え切らない。不審に思ったようで、受付の女性は「お知り合いでもない方に、病室を教えることはできません」と手厳しかった。
若者はすごすごと退散するしかなかった。
亜莉菜が尋ねる。「柚木信さんの病室は何処でしょうか?」
「ああ、柚木さん。患者さんのお知り合いですか?」
「はい。大学のサークルの後輩です」
「ああ、そう。病室は三階の三一八号室です」
「ありがとうございます」
三人が受付を離れようとすると、先ほどの若い男が近寄ってきて、勢い込んで言った。「あ、あの! すいません。柚木信さんのお知り合いですか⁉」
「ええ、そうです」亜莉菜が答える。
「ぼ、僕も病室に連れて行ってくれませんか?」
「柚木さんの友人ですか?」
「いえ。あの・・・僕は・・・」と若い男が口籠った後で、意を決したように言った。「井上康信と言います。僕は柚木さんが運転していた車にぶつかった車に同乗していた者です!」
それを聞いて、思わず彬史が口走る。「娘の乗っていた車にぶつかったのは、君の車だったのか⁉」
「娘⁉ 亡くなったお嬢さんの⁉」
康信の頭の中が真っ白になる。
――どうする⁉ 康信?
咄嗟のことに、僕にもどうしたら良いのか分からなかった。
「亡くなった葉月は私たちの娘だ!」彬史の声が大きくなる。
「あなた」と恵が小さく彬史の袖を引いた。
亜莉菜が心配そうな表情で様子を伺っている。
「す、すいません!」考えるより早く、康信はその場に座り込むと、床に頭を擦りつけた。
土下座をしながら、ひたすら謝った。「僕が、あの時、僕が運転を代わっていれば、小磯は、祥吾は居眠り運転なんかしなくて済んだし、事故は起こらなかったかもしれません。僕が運転を代わっていれば、娘さんは死なずに済んだはずです。運転免許を取り立てで、ペーパー・ドライバーで運転に自信が無かったので、小磯に運転を押し付けてしまいました。サービス・エリアで運転を代わって欲しいと頼まれた時、素直に彼と運転を変わっていれば良かった。僕だったら、スピードを出し過ぎることなんてありませんでした。ジャンケンで勝った方が運転しようなんて、小磯に言ってしまいました。そして、ジャンケンに勝って、ほっとしてしまいました。すいません。娘さんが亡くなったのは、僕のせいです。一体、どうやって、僕は・・・・あなた方に償えば良いのか・・・ううう・・・」
――偉いぞ。康信。
支離滅裂だが、気持ちは伝わったはずだ。彼のことが誇らしかった。だが、僕の言葉は彼には届かない。
事情を察したようだ。病院の床に這いつくばる康信を見て、受付の女性が言った。「他のお客様の迷惑になりますので、さあ、立って。そんなところで、土下座されては迷惑です」
そして、彬史に向かって、「この度はご愁傷様です。娘さんを亡くされ、さぞや、お腹立ちでしょうが、この場は冷静にお願いします」と言った後、「この子、今日、ここに来るのに、どんなに勇気が言ったことか」とぽつりと呟いた。
唐突に始まった愛憎劇をロビーにいた人たちが興味津々といった表情で見守っていた。ロビーの人間、全員が動きを止めて、固唾をのんで彬史たちの様子を見つめていた。
女性の言葉に、(ああ、そうだな。この子に罪は無いのかもしれない。この子も苦しんでいたんだ)と彬史は冷静になった。
「すいません」と女性に謝った後、「さあ、立ちなさい」と若者を立ち上がらせた。
周囲からの好奇の視線に耐えながら、「一緒に来たまえ。柚木君に会いに行こう」と言うのが精一杯だった。
四人は病室を目指した。




