35 クーカイ×クーカイ
まばゆい光が止んだ。
黒羽も黒い曼荼羅も跡形もなく消え去っていた。松明の炎が爆ぜる音だけが響いている。
「やった! ようやく、ようやく……」
クリスが天を仰いだ。
その時、凜ちゃんを縛っていた目に見えない束縛が取れ、凜ちゃんが起き上がった。
「凜ちゃん」
泣きながら駆け寄ると、凜ちゃんがびっくりしてぼくを見た。
「海人くん! ひどい怪我。どうしてこんな……」
「ぼくのことはいいんだ。それより凜ちゃん、怪我は?」
凜ちゃんの左手の甲から血が滴り、左の足先まで赤く染めている。法衣の端を切って、凜ちゃんの手に巻つける。そしてその手を強引に胸の位置より高く持ち上げた。
「心臓より高い位置にあげてた方が血が止まりやすいから」
「うっ、うん」
凜ちゃんの顔が、火がついたように赤くなった。
「顔が赤いけど、大丈夫? まさか他にどこか傷つけられた?」
とっさに凜ちゃんの身体を見た。そしてそのまま美しい身体にくぎ付けになった。柔らかな胸の曲線も、細い腰も、そこから伸びるまっすぐな長い足も、柔らかそうな白い肌には傷一つない。凜ちゃんが恥ずかしそうにうつむいた。
「傷はないわ。だから……あんまり見つめないで。恥ずかしいから」
慌てて凜ちゃんの手を放し、背を向けた。見つめてたわけじゃない。ただ怪我がないか心配してただけ。心配してただけ。やましいことは一切ない。なのに目に入った凜ちゃんの全てが頭と心に焼き付いて離れない。顔が熱くなる。
「マドモアゼル、恥ずかしがることはない。その恰好はとんでもなく魅力的だよ。ただ海人のガキには刺激が強すぎるようだけど」
クリスの気障っぽい声に振り返ると、凜ちゃんの肩に自分のシャツを着せかけてやっているところだった。
クリスの筋肉質の体がむき出しになり、凜ちゃんが小さくなってうつむいている。
「クリス! 凜ちゃんから離れろ!」
その時だった。湖の底から声が響いた。
「これで終わりだと思うなよ」
しぶきを上げながら、湖から髑髏が飛び出した。
途端に、また地面が再び大きく揺れた。咄嗟に凜ちゃんを背中に庇い、素早く金剛杵から光の球を繰り出す。隣ではクリスが指揮棒を素早く動かし銀色の魔法陣を繰り出している。
「破壊の始まりにすぎない」
金剛杵の光と魔法陣が当たる直前、髑髏が再び湖の底に沈んだ。
「zut!(※ズュット くそっ)」
クリスが吐き捨てるように言った。
「この国を護る結界を護ったってのに。今度は髑髏か」
「一体何が、どうなっているの? なんで髑髏がしゃべれるの?」
凜ちゃんの声が震えている。
「悪霊の塊だから。でも、まあ問題ないよ、マドモアゼル。この湖をさらえば出てくる。あの髑髏が悪さしないよう、破壊し、魔法陣の中に封じ込めばいいだけのことだから」
クリスが自分に言い聞かせるように言った。
ところが、その後リー財団による清掃と懸命な捜査が行われたにもかかわらず、髑髏が湖から発見されることはなかった。
☆☆☆☆☆
九死に一生を得たイズルはエドモンド神父率いるエクソシストによる悪魔祓いで完全に正気を取り戻し、若菜ちゃんはメンタルケアを受けることで徐々に回復してきているらしい。
そして6年ぶりに会ったお義母さんとお義父さんは「立派になったね」と泣いて抱きしめてくれた。「戻ってきていいんだからね」その言葉に涙が出た。でも天徳院のことを考えると、ここに戻るわけにはいかない。
義妹の詩織は何故かぼくよりクリスになつき、「クリスと結婚する」と騒ぎ出したのには驚いた。義妹に変な魔法や魔術を使うなと抗議すると、愛には魔法なんて必要ないだろ、と瞳を輝かせていた。それより悩ましかったのは、「海人より俺の方がいい男だ」と凜ちゃんを口説きにかかり、引き離すのが大変だったことだ。まったく、油断ならない。
3か月後、美しく整備し直された地下神殿がこの国と世界を護る結界として再び機能するように、宮内庁の許しを得て、クリスと共に結界をはりなおした。クリスが作る魔法陣の中、金剛杵を手に再生の秘術を使う。瞬間、光が地下神殿から地脈を通じ日本と世界に広がるのを感じた。
地下神殿の結界が完全に機能し始めると、日本国内の地表から出る気がぐっと整ったのを感じる。これはぼくが産まれて16年、初めて受けた感覚だ。この国を護る結界から、世界の均衡を保つ結界へパワーが流れていくのも感じる。しかしながら通常は感じられないものらしく、みんな何の変化もないし、世間が一気に変わった様子もない。でも何もかもが落ち着いた気の中にあり、平和という均衡を保っているのを感じる。
結界をはり終えた翌日、晴れた日曜日、ぼくと凜ちゃんはクリスを見送るため、成田空港へと向かった。待ち合わせ場所に、なんとクリスが手ぶらで現れた。
「海人、凜」
後ろで結んだ金髪は透き通るように輝き、澄んだ青い瞳はきらめいている。そのせいか、長身をジーンズとTシャツにすっきりと収めただけの、なんてことない恰好のくせに、明るい空港で見るクリスは輝くばかりだ。有名人ばりのオーラを放ち、行きかう人々の視線を集めながら、悠然と歩いてくる。
「もう荷物は預けたのか? パリ行の何時の便だっけ」
「荷物のことなんて気にしたことなかったな」
え?
「恐らく家の者たちが運んでいるはずだ。離陸は11時に申請済みのはずだけど」
「申請済みって?」
凜ちゃんにクリスがはにかむように笑った。
「自家用機だから」
大統領か!
「俺は残念ながら大統領ではないけど、リー一族の当主ではある」
クリスが俺には見向きもせずに、凜ちゃんの手を握った。
「凜、本当は君をこのまま連れ去ってしまいたいけど」
クリスの手を掴み上げようとした途端、クリスが凜ちゃんを握る手を放した。
「いずれ俺の嫁さんになってくれmon amour(※モナムール 愛しい人)」
と、ウインクする。凜ちゃんが助けを求めるようにぼくを見つめた。
「クリス、凜ちゃんに変な事を言うな」
「変な事なんて言ってないさ。俺は何時だって自分の心に正直なんだ。海人、お前と違って、秘めたりとか、忍んだりとかいう恋はしないんだ」
凜ちゃんが悲しそうにうつむいた。涙ぐむ凜ちゃんの肩をクリスがさっと抱き寄せ、両頬にキスをした。
「なっ、何してんだ、離れろ」
真っ赤になって両手で口を押さえる凜ちゃんからクリスを引き離す。
「biseだ。フランス式挨拶。海人、お前にもするか」
「止せ」
言うのも聞かず、クリスの端正な唇が頬をかすめた。
離れようとした瞬間、耳元で、
「凜は小学校の同級生で今は坊さんになっている奴が好きみたいだけど。そいつが誰か知ってるか?」
「えっ!?」
クリスがにやりと笑った。
「また会おう、もう一人のクーカイ」
そう言って拳を突き出してきた。ぼくも黙って拳を合わせた。
「クリス、元気で」
ゲートを通るクリスに叫ぶと、クリスは振り向かず片手を上げた。
「クリスさん、行っちゃったね」
凜ちゃんがつぶやくように言った。
「春風みたいに、あっという間に」
確かに、凜ちゃんの言う通りだ。クリスが現れたのも突然だったけど、いなくなるのもあっという間だった。そのせいか不思議と心にぽっかり穴が開いたようだ。短い時間の関わりだったにもかかわらず、クリスとは強いつながりがあったことを改めて感じる。
「寂しくなるな」
自分の声が虚しく響いた。
クリスだけじゃない、連城先生にいたっては二度と会えないと思うと寂しさが押し寄せる。凜ちゃんがぼくの目の前に回り込んできた。
「代わりにはなれないかもしれないけど……」
凜ちゃんがはにかむようにうつむいた。
「でも、わたしが……いるから……」
心の奥底が音を立ててなった。心が今までになく震えている。
「凜ちゃん、代わりになんてならなくていい。凜ちゃんは凜ちゃんのままがいい」
成田空港より6キロ離れた場所。漆黒よりも暗い影のような物体はじっと動かない。ただ張り巡らされた結界の隙間からニヤリと笑うと「破壊の始まりにすぎない」とつぶやいた。(了)
今まで読んでいただき、ありがとうございました。
もう一人のクーカイであるクリストファー・リー・カイゼルベルグ編も
公開予定です。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。




