31 追跡
通路は50メートルほど進むたびに、二股、または三股に分かれている。
ここに入る前、連城先生は北北西に進めと言っていたけど、行く道が定まっていないように思えた。というのも常に決まった道を進んでいくのかと思っていたのだが、分かれ道の度に右に進んだり、左に進んだり、真ん中を進んだりと選択が毎回違っている。
これでどうして北北西に進んでいけるのか、進んでいると分かるのかが不思議だった。最初の分かれ道で方位磁石を取り出したクリスは、針がくるくる回転しているのを見て驚愕し、さっさと方位磁石をしまった。
連城先生は、道が分岐するたびに、指を折るようにして何かを数えているのが印象的だ。それで方角が分かるのかもしれない。
「ここに来たのは、子どもの頃だが。もっと美しい通路だった」
連城先生の声が懐かしむように言った。
「川の水は透明で、通路の壁は四季折々の花の絵が美しく描かれていた。大祭の年、地下神殿へ、やんごとなき人々を川に浮かべた船でお連れするのに相応しい水路だった。それがここまで変わってしまったとは」
歩きながら話す連城先生の声は打ちひしがれている。
一列になって歩いているせいで、前をいく先生の表情は分からないが、「黒羽がこんなことまでするなんて」という嘆きが背中から感じられる。
「また綺麗にすればいいだけの話です。なんならリー財団をお使いください」
後ろからクリスの朗らかな声が響いた。
「日本政府にも、もちろん宮内庁にも顔がききますから」
一体ぜんたいクリスってのは何者なんだろう? 今更ながらそう思っていると、クリスが笑った。
「こんなところで自己紹介ってのも何だけど。俺は魔術師であり、結界師であり、あと、もう一つの役割は言えないけど。現在はリー一族の当主。とはいえまだ16歳だから普段はフランスの高校に通っている」
「えっ、まさか、同い年?」
「おいおい、俺をいくつだと思ってたんだ」
「2~3歳上か、下手したらもっと上かと……えっと、ぼくの名前は」
「海人のことはいい。全部知っているから。それからムッシュ連城譲之助についても。そして黒羽伊吹についても」
黒羽の名前だけが、闇の中に不吉にこだました。それからは、だれも口を開かず、ただ歩き続けた。
☆☆☆☆☆
道の先に目を凝らし、耳を澄ました。川の流れる音に混ざり、なにか音が聞こえた気がする。
気のせい? いや、そうじゃない。なにかが前方から近づいてくる!
連城先生やクリスも気づいたらしく、先生が印を結び、クリスは指揮棒を取り出している。その時、クリスが灯した壁沿いの電気がパチパチッと点滅し、ふっと消えた。とたんに漆黒の闇が広がった。
「歓迎の印らしい」
クリスが連城先生の肩越しに前方の暗闇をのぞきこむようにしてささやいた。
「それも大歓迎の」
音が大きくなってきた。その音が、川に落ちる水滴やネズミの足音ではないことが今はもうはっきりと分かる。
足音だ。それも何百、何千もの。血臭や腐敗臭をまき散らし、骨の軋むような音を響かせ歩いてくる。
「何であれ」
連城先生の声は冷厳としている。
「行く手を阻むものは摩滅させる」
凄まじい気が発せられた。その時、壁のロウソク型の電球に鬼火のような青白いぼんやりとした光が灯った。
その仄暗い明りのせいで、前方から腐りかけの死体がまるでゾンビのように歩いてくるのが見えた。悪霊の行列だ。
横2列の縦隊を組んで迫ってくる。内臓を撒き散らしている者もいれば、折れた大腿骨でいざるように歩いてくる者もいる。それだけでもいい加減おぞましい光景なのに、その上、みな一様に、手に刃物や斧などあらゆる武器を携えている。恐怖で震えそうになり、手にした金剛杵を握りしめた。
「恐怖に飲み込まれるな」
連城先生がお腹から声を張り上げた。
「あいつらは人の恐怖を糧にする」
次いで、先生が力強く経を唱え始めた。
惑いのない力強い声は、本堂で祈りを捧げる時や護摩焚を行う時となんら変わらない。厳めしく鮮烈に響いてくる。その声に合わせるように経を唱え、印を結ぶ。
クリスが指揮棒からいくつもの魔法陣を繰り出した。清らかな気の流れが渦巻くようにクリスに集まっていくのを感じる。クリスが大きく指揮棒を振り上げると空間に浮かぶ8つの魔法陣が合わさり1つの大きな魔法陣となった。白金のような光をたたえ頭上で回転しながら魔法陣が輝き始めた。
「結界です」
クリスが疲労のせいか、荒い息で言った。
結界は通常、清められた場所で張る。西洋の結界法も恐らくは同じはずだ。それを“場を清めること”をせず、無理やり張ったせいで相当力を使ったらしい。
クリスは目を細め、
「この空間では、あの結界もわずかな時間しかもたないでしょう」
自分が作った魔法陣の光を確かめるように頭上を見つめた。
魔法陣が回転しながら投げかける白金色の光が、今シールドのようにしてぼく達3人を包んでいる。
「ああ、ありがとう。では行くぞ」
連城先生が言うや否や、その口から物凄い気合が発せられた。
一瞬、前方からやってくる悪霊たちがその魂を凍らせ、動きを止めるほどの迫力だった。虚をつかれた悪霊を蹴散らすよう連城先生が走り出した。矢のような速さだ。杖が手放せないでいる人とは思えない迅速さだった。
ぼくらも先生の後に続いた。クリスの作った頭上の結界も輝きながらついてくる。その光に護られているおかげで、連城先生の体から強い力が光のようにほとばしるのを感じる。その力の放出は凄まじい。ぼくも印を結ぶ指に力をこめる。するとぼくらの周りが黄金に光始めた。悪霊が振り上げる斧も、刀も、何もかも、光に当たった者から消えていく。まるで熱々の鉄板に水を1滴乗せた時のように、一瞬で蒸発するように消えていく。その中をしゃにむに走った。
その時、悪霊たちの背後で何かが動いた。地響きと共に悪霊たちの2列縦隊が崩れ、急に2手に分かれ、中央に道を作り始めた。道を開けてくれているんだ。最初そう思った。しかしすぐに前方から背の高い、グレズリーのような怪物が、のそりのそりとやってくるのが見えた。怪物は“邪魔だ”と言わんばかりに悪霊を鋭い爪にかけ、押しのけるようにして向かってくる。爪にかかった悪霊は川に流され、あるいは壁に叩きつけられ、消えていく。連城先生が初めて立ち止まった。そしてぼくを振り返った。
「これを持って先にいきなさい」
連城先生が金剛杵を差し出した。
「先生、何をおっしゃるんですか!」
拒もうとする手に、連城先生が強引に先生の金剛杵を握らせてきた。
その途端、頭の中に滝のような勢いで音と映像が現れた。
夕方の空、宵の明星が輝く、山中、座禅を組んでいる人が見える。汚れた法衣からかなり長い間座禅を組んでいたことが伺える。しかし背筋はピンと伸び、美しい姿勢のまま経を唱えている。
その時、空に浮かぶ宵の明星が突然大きく光り、まるで流れ星の如く、急降下を始めた。そして座禅を組んでいる人の口の中に飛び込んだ。瞬間、光が体の中で熱を持って駆け巡っていくのを感じた。それはまるで自分自身の記憶のように鮮明な感覚だった――
全身の血管が拡張し、心臓が限界まで鼓動する。光の強さに思わず呻いた。呻きながらも、聞こえてくる旋律に全細胞が耳を澄ます。あらゆるものを焼き清める炎の音に近い。
その旋律の中、声が聞こえた。男とも女ともつかない声が言う
「クーカイ、この音が破壊。そして……」
急に旋律が変わった。今度は水滴から、清らかな川の流れ、潮騒、大海原へと変わりゆく水の声に似ている。
「この音が再生。破壊と再生を授ける、違うことなかれ。また、いざと言う時以外は用いてはならぬ秘術故、1700年の時を継げ」
その声と共に、周囲の映像がゆがみ始めた、曼荼羅を授けてくれた美しい和尚の顔、建立されていく寺院、いく人もの袈裟をつけた坊さんの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
数えきれないほどたくさんの人たちが、金剛杵を受け取っては消えていく。時が飛ぶように過ぎ、最後に連城亮太の、お父さんの顔が見えた。お父さんの手からぼくの手へ金剛杵が手渡され――お父さんの手が連城先生の手に重なるように置かれた瞬間、金剛杵を持つ手の平から全身に激しい電流が走った。身体中がぴりぴりする。
「どうやらここでお別れのようだ」
連城先生の声に我に返った。
連城先生が金剛杵から手を放した。手の中には金剛杵と共に、不思議な温もりが残っている。
「先生、今のは一体……」
「いざという時が来たのだ」
連城先生の黒い瞳が火花を散らすように燃え上がった。
“いざという時”というのがなんなのか。言わなくても、それが秘術を使う時のことだと分かる。怖くなって叫んだ。
「でも先生、ぼくにはまだ無理です」
「いや、お前にはできる! 自分を信じろ」
連城先生の眼がふと頭上に移った。
クリスの作った結界の魔法陣が、電球のようにチカチカと点滅し始めた。クリスが指揮棒を手に前に出ようとした。それを連城先生の腕が制止する。
「ここは、私に任せて先に行きなさい」
「しかしムッシュ、結界も限界に近いんです。あの化け物はみんなで戦った方がいい。一人で簡単に倒せるような奴じゃない」
「お前たちは先に行きなさい。ここをまっすぐ進めば、地下神殿だ」
その言葉が飲み込めないうちに、連城先生が怪物に突っ込んでいった。両手で印を結び、経を唱えながら。
「連城先生!」
叫び声は怪物の咆哮でかき消された。
大きな手を振り上げ、連城先生をはたこうと振り回す。強烈な手の動きを、連城先生が敏捷に飛び上がって避けた。
「早く行け! ぐずぐずするな」
連城先生が怪物の胴体に入り込み、手で作った印を押しつけるようにした。瞬間、怪物が絶叫し、もう片方の手で連城先生をはたき飛ばした。物凄い勢いで先生の身体が飛んだ。
「先生」
地面に叩きつけられた先生に駆け寄ろうとした。途端、クリスに身体ごと止められた。連城先生が血を吐きながら怒鳴った。
「海人、クリス、早く行け! 行って黒羽を! 伊吹を止めてくれ!」
化け物が、また先生を殴った。まるで空き缶のように体が飛び上がった。
「先生」
「海人、ダメだ。先を行くぞ!」
「何言ってんだ、このままじゃ先生が死んじゃう」
クリスの腕から離れようともがいたその時、怪物がこちらを向き、ニヤリと笑った。そして鋭い爪を立て、大きな手をふり上げる。瞬間、風を感じた。
「お前の相手は私だ」
連城先生がよろめきながら目の前に立っている。両手をクロスさせるようにして、怪物の腕を全身で受け止めていた。先生の腕から頭から手から血がぽたぽたと流れ落ちている。
「連城先生」
「先に行けと言ったはずだ」
怪物が逃がさないという風にぼくを睨んだ。そして、手をぼくに向かって振り上げようとして、異変に気づいた。驚いて自分の手元を見ている。連城先生を殴った手が抜けないのだ。見ると先生が印を結んだ手を化け物の手に貼り付けている。もう片方の手が先生の身体を殴った。腹が割れ、勢いよく血が噴出した。
「先生」
泣きながら先生に手を伸ばそうとした途端、クリスに強い力で抱えられた。まるで米俵のように肩に担がれる。
「降ろせ」
クリスが駆け出した。頭上の結界がきらめきながらついてくる。
「降ろせよ、降ろせ! 俺は戻る。戻って先生を助けるんだ!」
「バカ野郎! ムッシュを無駄死にさせる気か!」
「なっ、なんてこと言うんだ! 先生は死んだりしない!」
その時、背後で雷が落ちるような爆音が轟いた。怪物の禍々しい気や大量の悪霊のおぞましい気と共に、連城先生の剛毅溢れる気がプツリと消えた。
「嘘だ! 嘘だ! 先生、連城先生!!」
泣き叫ぶ声がこだまし、流れる暗い川の音と溶け合っていく。それは抗いようもない連城先生の死だった。




