30 地下水殿
ぼく達、三人は公園の外に出た。
すっかり陽が暮れてしまっている。救急車が停まっているのが目に入った。エドモンド神父が呼んだ救急車に違いない。
それにしても“地下水殿”というのが一体何を意味しているのか、分からない。地下施設はこの付近だってたくさんある。駅ビルにも地下はあるし、学校にも地下はある。日本中を考えれば、それこそ無数にある。しかし水殿というのは何だろう。連城先生は「ついてきなさい」と言ったっきり、物凄いスピードで歩いている。先生は”地下水殿“がどこかご存知なんだろうか。
「水殿とは、水田のことかもしれないな」
クリスが口を開いた。また考えていることを読まれてしまった。連城先生が首を横に振る。
「水田のことではない。あの子は神殿と水殿とを聞き間違えたんだろう」
「一体それって……あっ、えっ? でもそんなはず……」
クリスは明らかに狼狽している。
「ムッシュ、その場所にあるのって」
「そうだ」
「しかし、あの場所に地下なんて存在するんですか」
2人の会話についていけず、思わず口をはさんだ。
「それって一体どこなんですか?」
「パラスインペリアル」
クリスが連城先生を見つめながら、ぼそりと答えた。
「つまり皇居のこと、で、あっていますよね? ムッシュ」
「こっ、皇居?」
連城先生が苦虫を嚙み潰したような顔で頷いている。衝撃的だった。黒羽の居所が皇居、しかも皇居の地下だなんて、とても信じられない。
その時、賑やかな通りに出た。夜の帳の降りた街には多くの人が行きかっている。連城先生の歩くスピードが急に上がった。足腰が悪いとは信じられないくらいの尋常じゃないスピードだ。そしてその速さにも余裕でついていける。毎日の山歩きがこんなところで役立つなんて! しかも驚いたことに、クリスも一切呼吸を乱さずについてきいている。
クリスは連城先生に並ぶと、ささやいた。
「でも神殿なんてあるんですか? しかも皇居に地下なんて存在するんですか」
「ある」
「ムッシュ、どうしてそんな風に言い切れるんです?……ああ、そうか、地下神殿を作ったのがムッシュの祖先だから」
連城先生が頷いた。クリスが忌々しそうに、
「なるほど、だからその場所を利用しているんだ。黒羽が守敏僧都の生まれ変わりだからか」
守敏僧都って一体誰? そう思った瞬間、クリスが振り返った。その艶やかな目に暗い影がさしている。
「空海を敵対視していた僧侶だ。空海の生まれ変わりであるお前や、末裔である俺を邪魔するために転生したんだ。黒羽伊吹として」
「どっ、どうして、そんなことが分かるんだ」
「リー一族の力だと言ったろ。俺達の一族は誰がどこの誰に生まれ変わるかを把握しているんだ」
あまりの話に頭が混乱する。
「特に、世界に影響を及ぼしかねない存在の生まれ変わりは注視している。場合によっては、運命に介入することもある」
「運命など……」
それまで黙って聞いていた連城先生が口を開いた。
「気持ちや想いで抗えるものだと思っていた。伊吹も育て方さえ間違わなければ大丈夫だと……」
連城先生の声が悲しみにくぐもった。
「皇居の地下の神殿にいるとあらば、あの黒羽伊吹は、とんでもないことをしでかすつもりだろう。とにかく、今はあやつを止めなくては」
連城先生の歩くスピードがまた速くなった。
☆☆☆☆☆
都内有数の神社の深い森の中に、それはあった。
草花が生い茂る中、その中央にピラミッドのような白い盛り土、その盛り土に接するように巨石が置かれている。そしてその全体が縄と紙垂で囲まれ、結界が張られている。連城先生は巨石の前に歩み寄ると、
「ここへ来るのは実に60年ぶりだが。ここの扉、動かされた跡があるな」
扉? 扉なんて一体どこに? と思ったのも束の間、連城先生は素早く印を結ぶと、石に手をかざす。すると石の中央に四角い扉型の入り口が開いた。
「この下に階段が108段続いている。一番下まで降りたらひたすら北北西に向かって歩き続ける。さすれば地下神殿に着く」
地下神殿。つまり黒羽伊吹のいるところ。急に胃が締め付けられ、膝が震え出した。昔、黒狐に噛まれた痕までが急にしくしくと痛みだした。
「私が先に行く」
連城先生の顔色は真っ青だ。足腰の痛みを無視し、猛スピードで移動してきたせいかもしれない。
「連城先生はここで待っていてください」
「急に何を言いだすのだ、海人」
「足が痛むのではないですか」
「ああ……海人、お前は優しいな、亮太に似て」
亮太という言葉に懐かしさがあふれ、泣きそうになった。連城先生の眼にもかすかに涙が浮かんでいる。
「しかし私は行かなくてはいけないのだよ。黒羽伊吹を育てたのは、この私なのだから。それに今度こそ、取り返しのつかないことをさせないために」
連城先生が杖を放り捨てた。その眼に涙はない。強い光を宿した目で、ぼくとクリスを見やると、
「行くぞ」
そう言って足を踏み出した。
「OKムッシュ、それでは俺がしんがりを務めましょう」
クリスが連城先生の背中に力強く言った。
☆☆☆☆☆
強い風が吹きつけてくる中、連城先生が金剛杵を縦にもち、まるで懐中電灯のように先端に光を灯した。先生の後をぼく、クリスの順で階段を降りはじめた。風に乗って地下からカビ臭さとヘドロのような悪臭が立ち上ってくる。階段はやたらとぬめぬめしている上に急で、上手くバランスをとらないと滑ってしまいそうだ。一段一段滑らないように慎重に降りなくてはならない。
66段目まで来た時、眼で見るより先に、地下に近づいていることを肌で感じた。下から吹き付ける空気が冷え冷えと湿ってきている。
長い階段が終わった。目の前には金剛杵では照らしきれない深い闇が広がっている。水の音だろうか?
ザーッという川の流れるような音が近くにする。どこまでが陸でどこからが川なのか全く分からない。一歩踏み出したとたんに川に落ちるんじゃないかという恐怖にかられたその時、クリスが、もぞもぞっと動き、肩から下げた革帯のポケットをまさぐった。何かを取り出すような“パチっ”という音がした。
「止せ、灯りはつけるな」
連城先生が鋭く叫んだ。
しかし時既に遅く、壁の上部、数メートルごと置かれたロウソク型の電球が一斉に灯った。その灯りで、ここがトンネルのようなところで、目の前に川が流れ、その川沿いの道にいるのが分かった。
「感づかれる、電気を消せ」
連城先生が強い口調で言った時だった。動物の叫び声が前方から聞こえてきた。コウモリの大群が一斉にこちらに向かってくる。
「感づかれた」
「ただのコウモリじゃないですか。この灯りだって伊吹の結界を揺らさないよう、防御結界を張っている中で……」
クリスはそれ以上言えなかった。
コウモリがぼく達めがけて襲ってきたからだ。しかもそれは、クリスの言うようなただのコウモリではなかった。血に飢えた悪霊コウモリ。頭を庇うようした手や腕、足に噛みついてくる。
「放せ」
クリスが両手を振り回そうともがいているが、身体中に悪霊コウモリにまとわりつかれ、真っ黒い塊のようになっている。
「クリス」
叫んだ口の中にコウモリが飛び込んできた。
汚物のような臭い。吐きそうになったが、コウモリは吐きだされまいと口の中で、ドリルのように回転し始めた。くっ、苦しい……息ができない。
その時、目の前を閃光がほとばしった。連城先生のお経が聞こえる。印を結び、大声でお経を唱えているんだ。口の中のコウモリの力が弱まり、回転が止まった。思いっ切りコウモリを吐きだし、口の中の嫌な臭いや感触を消すように、経を唱え始めた。連城先生の声に合わせるように唱えた。途端、悪霊コウモリ達は、断末魔の叫び声を上げ、バタバタと下に落ちはじめた。川に落ち、流されていく悪霊コウモリもいる。
「助かった」
クリスは既に血だらけだった。
ぼくも、色んなところから出血している。連城先生は胸元から葉っぱを取り出すと、クリスとぼくに渡した。
「この葉を飲んでおきなさい。悪霊の毒に当てられないように」
出血の痛みよりも葉っぱの苦みの方が酷かった。しかし、クリスは逆らわずに、葉っぱを飲み砕いた。クリスが灯りを消そうとすると、連城先生がその手を止めた。
「既に感づかれている故、このまま明るい中を進もう」
「勝手なことをして、申し訳ありませんでした」
しゅんとなったクリスの背中を連城先生がポンっと叩いた。
「立ち止まっている暇はない。さあ進もう」




