21 罠
悪霊と人の魂が同化するなんてこと本当にあるんだろうか。
ぼくだってこの6年間、連城先生からいろんなことを教えてもらった。けど、そんな話は聞いたことがない。でも、もしぼくが知らないだけだったら? 本当に魂が同化していたら? こいつの言う通り、若菜ちゃんまで……
「それよりこの娘を抱きしめてやれよ。いっつも母親から役立たずって言われ続け、父親にも見捨てられて。自分を心底、価値のない人間だと思っているんだから」
「違う! 若菜ちゃんはそんな子じゃない」
「ふんっ、お前に何が分かる? この娘のことなど何も知らないだろ。苦しみも何もかも。たとえ、ひと時でも自分を抱きしめてくれる手があれば、それにすがって生きるしかなかった6年間を」
瞬間、脳裏に映像が流れ込んできた……憎しみに満ちた顔。この顔は若菜ちゃんのお母さんだ!
「この子は本当に何の役にも立たないんだから」
お母さんにお腹を蹴られ、小さい若菜ちゃんが吹っ飛んだ。
「ごめんなさい、もっと役に立つようになるから。だからお願い、許して」
地面を舐めるように頭を下げ、若菜ちゃんがお母さんの足元まではいつくばる。
「役に立つようになるから」
ツインテールを揺らし、ぐちゃぐちゃに泣きじゃくっている……。
「わたしね、人の役に立ちたいの」
確か若菜ちゃんがスピリチュアルカウンセラーになりたい理由がそれだった。
それはいつもお母さんに「役に立たない」と言われていたからなのか? いじめられているぼくにいつも若菜ちゃんが優しかったのは、「困っている人や弱っている人の力になりたい」って言っていたのは、それは全部、自分が一番困っていて、弱っていたからなんじゃないのか?
ああ、どうしてぼくはあの頃、気づいてあげられなかったんだろう。
お母さんの足元に取りすがり、弱々しく泣きじゃくる若菜ちゃん。痛々しくて、とても見ていられない。
その時、若菜ちゃんのツインテールがほどけ、髪の毛が目の前に広がった。
すると今度は暗い部屋の映像に変わった。真っ暗い部屋の扉が開いた。明かりを背景に小柄な男の影が立った。
「お養父さん?」
戸惑ったような若菜ちゃんの声がすぐ近くに聞こえた。見るとベッドに若菜ちゃんが横たわっている。
「若菜、最近眠れないって言っていただろ? でも大丈夫。今夜はお母さんが出かけているから、お養父さんが眠らせてあげようね」
乾いた声と共に、ドアの鍵が閉まる音が響いた。
若菜ちゃんの恐怖と苦痛が闇の中に溶けだしていく――やがてその闇が夜の形をなし、街の灯りを浮かび上がらせた。若菜ちゃんが泣きながら歩いている。一歩、夜の街にふみだすたびに化粧が濃くなり、服が派手になっていく――。その露出の多い服を身に着けた若菜ちゃんの身体に幾人もの男の手が伸びる。
「止めろ」
大声で叫んだ。
こんなの若菜ちゃんじゃない。若菜ちゃんであってはいけない。
「若菜ちゃんの身体から出ていけ」
経を唱えた。大声で唱えた。
「これ以上苦しませるのは止めろ。抱いてやれよ。お前に抱かれればこの娘だって、嬉しいはずだ。この娘は心の奥にある大切な存在のためだけに生きているんだから」
ドキッとした。
「海人」
憑き物の声に若菜ちゃんの声が混じる。若菜ちゃんがぼくの左手をとり、札を握りしめているぼくの指を、やさしく開いた。札がひらひらと空を舞う中、
「海人となら、わたし……」
言いながら、ぼくの左手を自分の太ももの上に導いた。
やっぱり、これは若菜ちゃんじゃない!
ぼくは、右手に持った金剛杵を横一文字にして若菜ちゃんの目の前に突きつけた。
「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドラジンバラハラハリタヤウン」
瞬間、全身の力が足元から昇ってきて、指先から金剛杵に伝わる。金剛杵の左右の先端から光の球が現れた。光は握りこぶしほどの大きさになったかと思うと、若菜ちゃんの胸に刺さった。断末魔の叫び声が上がり、ヘドロが若菜ちゃんの胸から飛び出してきた。
若菜ちゃんのキャミソールの肩紐を掴み、服を一気に下げた。胸の谷間に、あの石が挟まれている。新たな札を取り出すと、札ごと石を摘まみ上げた。そしてその札を石に巻き付け、
「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドラジンバラハラハリタヤウン」
七回唱え、小川に投げ込んだ。
小川のせせらぎに清められながら、石が流されていく。石に憑りついた霊も一緒に流され清められていくのを感じる。
「海人」
若菜ちゃんが起き上がった。
「わたし、一体今までなにをして……」
若菜ちゃんがはっとしたように、腰までずり落ちたキャミソールを直した。
その時、
「お前たち一体なにをやってるんだ」
声に振り返り、若菜ちゃんが青ざめた。イズルが真っ赤な顔で立っている。
「除霊って、そう言うことだったのか。だから俺が側にいちゃいけなかったのか。だから動画を撮るのもダメだったのか」
イズルが怒鳴り上げた。
「ぼくは除霊以外なにもしていません」
「そうだよ。イズル様。わたしたちイズル様が思うようなこと、なにもしてない。ただの幼馴染なんだから」
「もう聞きたくないね。俺への裏切りは神への裏切りと一緒だ」
「嘘でしょ、なに言ってるの」
「しかも坊主が相手だとは、本当、お前って見境がないな。俺が除霊をしてやるようになってからは、少しはマシになったと思ってたけど。結局なにも変わっていない。獣と同じだな」
獣と同じという言葉にカチンときた。
「若菜ちゃんにそんな言い方、ひどいじゃないですか」
しかしイズルの耳にも若菜ちゃんの耳にも届いていない。
「若菜、もうお前とは暮らせないし、除霊もしてやれない」
「ねえそんなこと言わないで。お願い、許してよ。待って、お願い。見捨てないで」
若菜ちゃんはイズルに縋りついた。
「イズル様のためなら、なんでもする。今まで以上に働いて、いっぱいお金を稼ぐから。全部、イズル様に捧げる。だからそんなこと言わないで」
悲痛な叫びだった。
稼いだお金を全部あげる? というのは、つまり貢いでいるってこと? まだ16歳の女の子が、どっかの宗教の教祖だという男に? 若菜ちゃんの言葉に心が暗くなった。
「イズル様に見捨てられたら、あたしどうしたらいいの」
「知るか」
イズルは冷酷な眼で若菜ちゃんを見ると背を向けて歩きだした。
「イズル様」
若菜ちゃんは泣き叫んで、追おうとした。
「行っちゃダメだ」
暴れる若菜ちゃんの腕を掴み、目を覗きこむようにした。
「若菜ちゃん、若菜ちゃんはこんな子じゃないだろ」
「海人」
「正義感が強くて、優しくて。戦隊もののヒーローみたいで。ぼくはそんな若菜ちゃんにずっと憧れてたんだ。10歳の時、スピリチュアルカウンセラーになりたいって言った時、すごくきらきらしていた。今からでも遅くない。あの頃みたいに……」
「海人……ありがとう」
若菜ちゃんが抱きついてきた。腕を背中にまわし、力強くしがみついてくる。
「若菜ちゃん、いけない」
重たい手をほどこうとした瞬間、背中から電流が走り全身を駆け巡った。背中に貼られた何かから、蜘蛛の足のようなものが無数に出て、縄のように体に巻きついている。
「こっ、これは」
「上出来だよ、若菜それにイズルも」
涼やかな声にはっとした。この声、誰?
若菜ちゃんはにっこりと微笑み、そっとぼくから離れた。身体が全く動かない。辛うじて動く眼球を右に動かし、そのまま心臓が止まりかけた。
背の高い、知らない男が立っている。傍らにイズルを従え、腕の中にはぐったりとした凜ちゃんを抱いている。
「凜ちゃん!」
「可愛そうに、この娘、お前のことを好きらしい」
「凜ちゃんに何をした」
男が凜ちゃんの頬をなで上げた。総毛だった。
「止めろ」
「お前たちのラブシーンを見て、泣いてこちらに走ってきた。だから捕まえた。故に、もう俺のものなんだよ、クーカイ」
「どうしてその名前を……まさかお前、黒羽伊吹」
「そう、そのまさかだ」
身体中に電流が走った。目の前に黒羽がいる。とても信じられない。黒羽は微笑み、蠱惑的な目を向けた。
「久しぶりだな、クーカイ。今世ではたった16年だが、魂の話で言えば1700年ぶりか」
黒羽は凜ちゃんの顎を摘まみ上げた。
「凜ちゃんを放せ」
「黙って見ていろ、クーカイ」
黒羽が凜ちゃんの顔に自分の顔を近づける。
「凜ちゃん、起きろ、起きてくれ」
せめて指さえ使えれば、金剛印を結べるのに! 凜ちゃんの唇に黒羽の唇が触れそうになった瞬間、凜ちゃんの身体を包む白いオーラが光りだした。
「な、に?」
鮮烈な光で背中に貼られた何かが外れた、その途端、金縛りのような体の呪縛が取れ、金剛杵を構えると、黒羽に突っ込んだ。
「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドラジンバラハラハリタヤウン」
金剛杵がまばゆい光を放ち、黒羽の悲鳴が上がった。空中に放りだされた凜ちゃんを走って抱きとめる。
「凜ちゃん、しっかりして。お願いだ。目を開けてくれ」
凜ちゃんの瞼がゆっくりと開いた。
よかった。
そう思ったのも束の間、凜ちゃんの目がそのまま恐怖に見開かれた。
顔を上げて、息が止まりかけた。黒羽が立っている。いつの間に手にしたのか、凜ちゃん家にあった呪物、あの本を握っている。
本に貼った札は無残にも外され、表紙からどす黒い気を放っている。とっさに金剛杵を構えようとした。その時、黒羽の眼が紅く光った。強い風が起き、どこからか太い枝が飛んできて、金剛杵を跳ね飛ばした。
しまった。
地面に転がっていく金剛杵に手を伸ばした時、本の表紙が開いた。パラパラとページがめくれ上がり、目の前でどんどんどんどん大きくなっていく。強い竜巻のような風が本から起こり、巻き込まれるようにして、その本の中に飲み込まれた。
(第二部完 第三部に続く)




