パラサイト
2022 12/14〜12/29で完成
白シャツに黒コート、足の形にあった黒のズボン、腰には一丁の拳銃を吊り下げるという格好をした青年は幼稚園の裏門の前に立っていた。施設が影となっていて裏門の周りは昼だというのに暗く、湿気があった。園内からはかすかに何かが叩かれる音が放たれている。その度に甲高い悲鳴が聞こえてくる。
「たなばた幼年学校、ここか……」
裏門に掲げられた名札を見て青年は呟く。そしてインターホンを押した。
ピンポーンと気の抜けた音が小さく鳴る。青年は緊迫感を帯びた声でインターホンのマイクに言った。
「僕は当園から依頼を受けた『イファ』の者です。すぐに中に入れてくれると嬉しいのですが」
十数秒たって中年の女性が幼稚園の施設から出てきた。彼女は手を震わしながら裏門を開けた。女性は自分が園長だと言った。
冷静にいようとするが動揺が隠せていない園長に青年は尋ねた。
「園児達は『パラサイト』が入ってこないようなところに避難していますか」
園長は首を縦に振る。冷や汗をかいた園長に冷静に次の質問を問う。
「『パラサイト』は今どこにいるか分かりますか」
「え、園庭に……います……。早く、早く殺処分してください……」
「分かりました。園長さんはどこか安全な場所にでも隠れてください」
青年は音だけが存在する施設の中を抜け、園庭へと出た。
園庭には、というより施設のすぐにそばには、窓ガラスを強く叩いている女性がいた。叩かれている窓ガラスの内側には奥で園児達が固まっているのが見える。鬼のような顔で窓ガラスを叩いている女性は桃色のエプロンをしている。保育士なのだろう。
青年は施設の向かい側にある花壇の前に移動した。そして女性がいる方向に向くと、左手を高く上げて振った。園内に響くほどの大声で叫んだ。
「こっちに来てくださーい!」
女性は振り向き、声の元を探すため視線を巡らせた。動かす瞳は琥珀色だった。視線は青年めがけて一点に止まる。やがて女性は額に青筋をモコモコと立てて青年に向かってきた。
女性が最初の二歩を歩んだとき、青年は拳銃を右手に構えた。女性が四歩歩んだとき、両手で拳銃を抑えた。女性が八歩歩んだとき、銃口を焦点に合わせた。
青年と女性との距離があと大股四歩というところで青年は発砲した。
耳鳴りがなるほどの轟音とともに女性の眉間には穴が一つ空いた。女性が後ろに倒れ、いちごのように赤い血が地面と合流するのは時間がかからなかった。
青年は開いたままだった女性の目を優しく閉じた。それから自身の目も少しの間閉じ、簡単に黙とうをする。
青年が目を再び開いたとき、女性の片方の鼻の穴から緑色の物体がモゾモゾと動いていた。やがてそれは全身を現した。イモムシのような見た目をした生物は、イモムシのように女性の顔の上を移動し始めた。
青年は拳銃をまた取り出し、イモムシのような生物に向かって発砲した。大きな音とともにイモムシのような生物は完全に消え去り、女性の顔の下半分は小さな肉片の集団へと変化した。
青年は少しの間女性の顔の断面から血がダラダラと出てくるのを見下ろした。
「パラサイト殺処分のご協力ありがとうございました」
顔半分失った女性の遺体を包むブルーシートと赤い花が咲く花壇を背景にして、警察は青年に礼を言った。「いえ、これが仕事ですから」
何食わぬ顔で青年は答えた。
「ははは、確かにそうですね。我々警察はいつも『イファ』の仕事ぶりに感謝してますよ」
「それは嬉しいです。ありがとうございます」
「お礼なんて、こちらのセリフですよ。寄生虫に感染されたパラサイトは人間を殺そうとしてきますから、こうやって殺処分してくれるのは有り難いことです。今回もあなたがパラサイトとなった女性を殺処分してくれたことにより、多くの園児達が救われました。改めて感謝します」
「これは仕事ですので」
園児達の悲痛な鳴き声を背景音楽に二人は会話ををしていった。
幼稚園からそれほど遠くない住宅地の中で青年は携帯を取り出した。電話番号をうち、左耳に当てる。
「もしもし、課長お疲れ様です」
課長と呼んだ人物と電話を始めた。
「はい、今終わらせました」
『それはご苦労だった』
「ではこれで僕の今日の仕事は終わりですね?」
『いや、まだ一つ依頼が来ている』
「え、まだ仕事ですか。今日はもうさっきので終わりじゃないんですか?」
『ああ、結構でかい依頼がきてな。悠斗はたなばた幼稚園の近くにいるだろ?』
悠斗と呼ばれた青年は肯定した。
『近くにあるホテルの廃墟にパラサイトがいるから全滅してほしいんだ』
「全滅ってことはかなりいるんですね」
『そうだ。お前の仕事は廃墟にいるパラサイトを殺処分すること。そして……』
「そしてって廃墟には何かあるんですか?」
『ああ、感染していない人間がな。もう一つの仕事は廃墟に侵入して出れなくなった依頼主を救出すること』
太陽が頭上で暖かく強い日差しを放ってる。鬱蒼とした林に佇むホテルだった建物。窓ガラスはほとんどが割れていて、かろうじて残っている窓も風でガタガタと雑音を立てている。苔と蔦が汚れた白に覆いかぶさっている。パラサイトがいるというのに、建物自体はとても幻想的に見えた。
悠斗は課長に電話をかけ、廃墟に着いたことを知らせた。
「他には一緒に行動する人とかいないんですか」
『他の人は別の仕事で来れないらしいんだ。それに悠斗は一人でも大丈夫だろ?』
悠斗は小さくため息をつく。
「まあ、問題ないですけど……」
『じゃあ後は任せた。間違っても一般の人を撃つんじゃないぞ。しっかりと目を見るんだ。琥珀色の目をしているものだけ撃つように。外国人でない限りそいつはパラサイトだからな』
「そんな今更、分かってますよ」
悠斗は電話を切った。
立派だったであろう扉は中へと倒れている。悠斗はゆっくりとした足取りで扉を踏み中へと入った。中は瓦礫やら土埃やら枯れ葉やらで足のふみ場がないほど散乱している。
ロビーだった部屋を抜けて階段を登る。幸い、壁は穴だらけで足元はかなり明るかった。
天井がところどころ抜けて上の階が見える二階には男のものと思われる服を着たパラサイトが一体佇んでいた。壁を眺めている目は琥珀色だ。
悠斗は両手で拳銃を包み込むようにして持ち、パラサイトのこめかみに焦点を向けた。
銃声をその場一帯に轟かせた。同時にパラサイトは横向きに倒れ、右のこめかみから勢いよく流れる血が落ちていた瓦礫を鮮やかに染めた。
銃声を聞いてか、二体のパラサイトが奥の角から現れた。
パラサイト達はパニック映画のゾンビのようなうめき声を上げながら全力疾走で悠斗に近寄ってきた。琥珀の目を汚く輝かせて。
一体は先程殺処分したパラサイトの手前で、もう一体は悠斗と五歩離れた距離で、眉間に穴をあけた。
「これじゃゾンビ退治じゃないか……」
最初に殺した肉塊にかがみ込みながら悠斗は鬱陶しげに呟いた。黙とうを捧げたあと、鼻から出てきたイモムシのような生物を肉塊の頭と一緒に消し飛ばす。他の二つも同じようにした。
コートに付いた血も気にせず、依頼主を探すことにした。廊下だったところを歩きながら、
「すみませーん、依頼主さんはいますかー。いましたら返事お願いしまーす」
ひどく緊張感のない声で呼びかける。来たのは依頼主の返事ではなく、声でおびき寄せられたパラサイトだった。大声で依頼主を見つけ出すとともにパラサイトをおびき寄せる。悠斗が生み出した一石二鳥の作戦は見事成功した。
寄ってきたパラサイトをすぐに「パラサイトだったもの」にし、イモムシのような生物を拳銃の弾で塵にした。
目に入ったパラサイトを次々と殺処分しながらついに四階に着いた。
「誰かいますかー、いたら返事をしてくださーい」
返ってきたのは一体のパラサイトと
「助けてくれ!!」
近くで助けを求める若い声。
悠斗の目が少しだけ開いた。本当に少しだけで気づいた人はいなかった。もともと気づける人はいないのだが。
こちらも全力疾走で生きている人間を殺そうとパラサイトは駆けてくる。
悠斗はいつものように致命傷を撃とうとした。しかしパラサイトが首を右に傾けたため、弾は左目に命中した。パラサイトは後ろ向きに倒れ手足を暴れさせた。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」右目を上に剥きながら狂ったように笑い続けるパラサイト。
「……」
悠斗は黙り込み誰でも分かるほど眉をひそめた。ギリギリ足が当たらないところまで立って、額を狙い撃った。
爆音の後、廃墟に静寂が戻ってきた。
悠斗は若い声を頼りに通路を歩いていった。
「いますかー!」
「ここだ!早く来てくれ!」
さっきよりも大きく返事が聞こえる。
「もっと奥か……」
これを繰り返してやがて一つの部屋の前にたどり着いた。塗装が剥げたドアを二回ノックする。
「『イファ』の者です。依頼をされた方はいますか?」
震えた声が返ってきた。
「そうだ!早く俺たちをこの地獄みてぇな廃墟から助け出してくれ!」
「分かりました……」
悠斗は拳銃を右手に構え、左手でドアノブを掛け押した。
部屋にはバネが飛び出たダブルベッド、天井から落ちてきたであろう瓦礫。端の方では高校生ほどの男子三人がうずくまっていた。
全員、部屋に入ってきた悠斗を見るなり不自然な満面の笑みを顔に出した。短髪の男子は左の二の腕を抑えている。抑えている箇所の周りは赤くなっていた。
「さっきこいつがパラサイトにやられたんだ。めっちゃ大きくてナイフみたいなものも持ってた」
パーカーを着た男子が顔を青くして話す。
「色々聞きたいことはありますがそれは後です。とりあえず避難します。僕から絶対に離れないように」
悠斗を先頭にして四人は部屋を出た。悠斗は瓦礫に注意するよう呼びかけながら通路を歩いた。
「腕、大丈夫か」
上着を着た男子が聞く。
「たぶん大丈夫」
短髪の男子は今にも死にそうな声で答えた。
「あまり話さないでください。あんまり建物の中に声が響くと、パラサイトが寄ってくるので」
悠斗がそう言った矢先、階段から一体のパラサイトが現れた。
今までのように走ってくると思いきや、左足を引きずってやってきた。
「あ、あああ」
短髪の男子がうめいた。腕を抑える力が強くなっていく。
悠斗は少しの間考えたあと、拳銃で右足の腿を撃った。
うつ伏せに倒れ込んだパラサイトの左足をまじまじと見始めた。
「何してるんすか、さっさと殺さないんすか」
「そうですね……」
パラサイトの左足には何かで切りつけられた跡があった。そのことを確認すると悠斗は銃口を頭に向ける。大音響が周りを包んだ。頭が上半分に割れ、脳がどろりと一部出てくる。クリームをたくさん詰め込んだシュークリームのようだ。
「ひっ……」「え……」「うっ……」
その場にいた人は悠斗を除いて同時に声を上げた。悠斗は黙とうをして、鼻から出たイモムシのような生物を撃った。その様子を三人は黙りこくって見ていた。処理が終わった悠斗は全員と目を合わせた後、静かに言い放った。
「他にも来るかもしれないので、走って行きましょう。音をなるべく建てないように」
廃墟からほんの少し離れた空き地にパトカーが二台、もう一台入るほどの距離に離れて並行して停まっていた。パーカーの男子と上着を着た男子は廃墟に侵入したことを警察に謝っている。短髪の男子は女性警官によって腕の手当をしてもらっていた。悠斗は高校生三人組からお礼をもらい、今は短髪の男子の話を聞こうとしていた。
「あなたに傷を負わせたパラサイトについて何かあったら話してくれると嬉しいです。あ、話したくなかったら話さないで大丈夫です」
短髪の男子はしばらく無言だった。
「ガタイが良くてナイフを持ってた」
突如彼は言い出した。悠斗は続けて尋ねる。
「そういうのは何体ぐらいいましたか?」
「えっと」
短髪の男子は上を仰いだ。
「一体なんだけど、もう一人、女がいた」
「女性が?」
「ああ、なんかパラサイトを後ろから眺めているだけで逃げようともしてなかった。俺らのところに来るのを止めようとしてたっぽいけど」
「まだいるのか」
悠斗は誰にも聞こえないくらいの音量で呟いた。
「なんかパラサイトに向かって『お兄ちゃん』とか言っていた」
「お兄ちゃん……?分かりました。ご協力ありがとうございます」
短髪の男子に向かって軽く会釈をする。かすかに人の声が聞こえるところで拳銃の弾を装填した。拳銃がきちんと作動するか確かめるため、地面に向かって二発発砲した。木々にとまっていた鳥が黒い影となってバタバタと音をたてた。
「よし、また行くか」
右腰のホルスターに拳銃を入れ、再び廃墟へと向かった。
太陽は夕日へと変わり空は紫とオレンジのグラデーションを作っている。廃墟の最上階である八階に着いた。
今までの階とは違って通路がなく、部屋がとてつもなく広い。体育館ほどの部屋には椅子やテーブルが暴れ出したように散乱している。
悠斗は銃を両手で構えた。慎重に先を行く。音を立てずに部屋の端まで来た。
何も出てこない。
「おかしいな、あともう一体は絶対にいるはずなんだけどな」
顔を曇らせながら誰かに言うわけでもなく小声で言う。下の階へ戻るためにその場で回れ右をした。そして見つけた。
入ってきたドアの隣の、金属製のドアを。
「あの中か」
足音を忍ばせながら金属製のドアへと向かう。まるで忍者のようだ。
ドアの目の前に来た。壁に張り付き、左手でドアを少しずつ開ける。右手には拳銃。
奇跡的に壁の損傷が少ない部屋。若い人間が五人、四五十代の男女が三人、悠斗に背中を向けるような形で床に座っていた。LEDランタンが淡い光を放っている。
その奥には、手足をを縛られた人が四人いる。全員と瞳は琥珀色。目の前に人間がいるというのに襲おうとする気配もない。ただぐったりと人間を眺めているだけだった。
たとえパラサイトが生物を殺そうとしていなくても、イファは殺処分をしなければならない。
悠斗は銃口だけを部屋に忍ばせ、右目を覗かせ狙いを定めた。
花火のような音がほぼ同時に四発鳴り、四体のパラサイトは生命がなくなった。
「大丈夫ですか」
悠斗は部屋に勢いよく入った。
八人は茫然としてパラサイトの死骸を見つめている。
若者の一人がこちらをゆっくりと向いた。蒼白な顔をしている。何かを言おうと口を開いたがすぐ閉じた。悠斗は怪我はないかどうか、ショッキングなものを見せたことをお詫びしようと口を開いた。
その時、
「なんてことをするのよ、人殺し!」
茶髪のおばさんが顔をこわばらせて怒鳴った。悠斗は思いも寄らない言葉に身動きを止め、驚きの表情を表した。おばさんは立ち尽くす悠斗の両腕を掴んだ。
「私は、あなたに、秀俊さんを殺された!どうして殺したの?危険だから?彼は、確かに襲おうとしてきたけど、薬を打っているから何も危害を加えてないのよ!なのになんで!?私の旦那を、家族を返してよ……」最後の方は消え失せるような声で悠斗に訴えた。両腕を掴んでいた手が徐々に下にずれ、だらりと垂れる。「……」
悠斗は何も言わずおばさんを見下ろしていた。音のない世界が数秒続く。
一人の行動がそんな世界を終焉に向かわせた。背にあった鞄に手を突っ込み、ガサゴソと音をたてながら探し回る。やがてゆっくりと手を外に出した。手には果物ナイフが。ナイフを取り出した若者の顔は真顔だった。しかしどこからか怒りが伝わる。彼は悠斗に言う。
「今からかたきを討たせてもらう。殺された母さんのかたきを」
覚悟を決めたような声色だ。この中で一番年上であろう男性は打ち上げ花火のようなものを手に構えている。「手を上げるんだ」
若者はナイフを悠斗に向けたまま命令した。悠斗は拳銃を持ったまま従った。
「そのまま動くなよ」
若者を除いたほとんどの人が部屋の外から出ていった。一番年上の男性は打ち上げ花火のようなものを部屋の中央に置き何やら作業して去っていった。若者もナイフの刃先を母親のかたきに向けながら部屋を出た。
悠斗は不審がった。そのまま若者を眺めていると急にドアが閉められた。部屋は壁の隙間から流れる紅い光が光源となった。
ガチャリ。あからさまに鍵が閉められた音がした。
ドアに駆けつけて激しくドアノブをひねる。案の定、ドアが開くことはない。
「閉じ込められた」
そう呟いているものの、表情に焦りは出ていない。パラサイトの死骸から出るイモムシのような生物を始末したあと、ドアノブを拳銃で撃ち、脱出する。悠斗は素早くこのあとの手順を考えた。
もう全身が出てのたうち回っているイモムシのような生物を一匹ずつ撃った。
二匹目を始末したとき、空気が抜けるような背後から音がした。悠斗は目の前が少し黒くぼやけていることに気づいた。
部屋の中央に置かれた打ち上げ花火のようなものから、黒い煙がもんもんと噴射されていた。肉を焼くような音がする。悠斗はハッとして袖で口を覆った。
煙を極力吸わないように床に伏せる。あれは爆弾だろうか、悠斗は考えた。とりあえず黒煙を出すのを止めなければならない。伏せながら悠斗は拳銃を打ち上げ花火のようなものに向けた。視界が黒に染まりながらも的確に壊した。
壁の穴が少ないせいか、黒い霧はなかなか消えない。視界は完全に黒一色になった。
視界が晴れるまで待っていた悠斗の目には大粒の涙が浮かんでいた。顔をしかめて目を思いっきりつぶる。 ゲホッゲホッと濁った咳が口から漏れた。
視界も少しだけだがぼんやりとしてきた。
「まず、い」
かすれた声で呟く。と同時に自分の意識がなくなりかけていることを自覚した。
力が入っていない腕を賢明に動かしてほふく前進をする。手探りでドアの手前まで来ていると分かった。ドアノブを補助に立ち上がる。
悠斗は銃口をドアノブに当てた。意識が朦朧としているせいで狙いが合わない。
試行錯誤しながらなんとか一発打てた。ドアは開かない。
二回目も的を得たが鍵は壊れない。
三発目。黒い霧とともに視界の端を黒いモヤがかかり始めた頃、ドアノブは壊れた。
冷や汗をかきながらドアにできる限り勢いよくもたれかかって全体重をかけた。
バキッという嫌な音とともにドアは悠斗の身体と一緒に倒れた。
「うっ……」
うめきながら、上半身をドアだった板から離すように膝立ちをする。部屋の黒煙は外に飛び出し、視界が少しずつ晴れていく。
悠斗は天を仰いだ。新鮮な空気を、かすれた音を立てながら肩で息をした。
過呼吸も落ち着いてきた。悠斗はのそりと身体の重心を膝から足に転換する。崩れるように壁にもたれかかった。拳銃を握った右手で壁を伝い、歩き始めた。
服にどす黒い返り血が付き、よろよろと歩いている姿はまるでゾンビのようだ。
おぼつかない足で階段を降りる。足元は暗くとても降りにくくなっていた。
時間をかけて四階まで降りてきた。
下の階に着くごとに廊下だったところに向かって銃口を向けるが何も現れない。
「いないかな……」
そんなことを呟いた。これで三回目だ。
「きゃあああああ」
小さいながらも恐怖を煽るような悲鳴が下から聞こえてきた。悠斗は顔を引きつらせ、力が入らない身体で階段を降りていった。
悠斗は喫驚していた。
通路の奥で八人と一体が暴れていたり、静かになっていたりしていた。
ざっと見る限り先程悠斗を閉じ込めた八人のうち、五人が床に赤い液体を流し、二人はうつ伏せのままもぞもぞと動き、一人は攻撃してくるパラサイトと取り合っていた。
「お兄ちゃんやめて!私だよ!舞衣だよ!」
ナイフを振りかざしてくる腕を押さえながら若い女性は叫んだ。若い女性の兄だったものは琥珀色の目をカッ開き歯を立てて襲いかかる。
パラサイトは身体が大きく、白く光る尖った金属を握りしめている。短髪の男子が言っていた『ガタイが良くて刃物を持ってた』パラサイトは誰が見てもこいつだと気づくだろう。
若い女性が大声を上げている中、悠斗はパラサイトの背中に向けて拳銃を両手で構える。しかし焦点を合わせようとしてもなかなか合わない。合わないまま撃ったら一般人に流れ弾が当たる可能性があるため、安易には撃てない。悠斗は鬱陶しそうに目を細くした。
視界は加工をしすぎた写真のように歪んできていた。立つことすら厳しくなっている。
悠斗は天井に向けて一発轟音を響かせた。若い女性を刺し殺そうとしていたパラサイトは首だけをぐるりとこちらを向いた。見事、パラサイトの気を引くことに成功したようだ。
パラサイトは立ち上がり、悠斗へと正面を向いた。ナイフの刃先を正面に向け歩き始めた。若い女性が後ろから羽交い締めしてパラサイトの歩みを止めた。
「お兄ちゃんだめ!相手は銃を持っているんだよ!死んじゃうよ!そんなのやだよ!」
目元を赤くしながらガラガラな声で兄だったものに訴える。パラサイトは妹にはお構いなしにナイフを持った腕を踊らせる。
「危険、ですから、離れてください!」
悠斗は必死の形相で若い女性に叫びながら徐々に近づく。視線は若い女性ではなく、パラサイトを見ていた。「嫌だ!絶対に殺させないから!」
若い女性は泣き叫ぶように言い放った。
一瞬のことだった。パラサイトが振り回していたナイフが若い女性の右目に直撃し、そのまま額まで切りつけた。
人間とは思えない甲高い悲鳴が建物全体を揺らした。若い女性は目を押さえるために両腕をパラサイトから離した。
身体が自由となったパラサイトは悲鳴に反応し再び女性に向き、押し倒した。ナイフを若い女性の右肩に何度も刺す。その度に彼岸花のような色の血が両方の服に広がる。
「たす、け、て、死にたく、ない」
痛みと恐怖で顔を歪ませながら若い女性は、数十分前まで殺そうとしていた青年に助けを求めてきた。
死んでしまう。そう感じた悠斗は、追い詰められた末に焦点を合わせずパラサイトを狙って撃った。奇跡的にパラサイトの右足の腿の肉を抉ることに成功した。
自分の肉を抉った犯人に対し、怒り狂わないものはおそらくいないだろう。琥珀色に浮かんだ黒い瞳孔を大きくして銃を構えた青年を睨んだ。
ゆっくりと立ち上がり、右足を半分引きずりながらも近付いてくる。悠斗はパラサイトの頭を狙って拳銃を何発か撃った。しかし目の前が正確に見えない悠斗が放った弾は全てパラサイトの頭の周りを飛んでいった。
パラサイトが倒れないのを見て、悠斗は切羽詰まった表情を浮かべる。
十歩、九歩、八歩と、一人と一体の距離は少しずつ近くなる。弾を素早く装填しながらも間隔をあけて打ち続ける。かすりもしない。
やがて三歩の距離となった。悠斗から見える世界はモザイクがかかってあまり見えない。
「あ゛ああああああああああああああああああああ」
パラサイトは奇声を上げてナイフを持った腕を悠斗の頭めがけて振り下ろした。
空気をいっぱいに詰め込んだ袋が破裂したような音がその場を包んだ。
音のあとに残ったのは、血を流している七人の死体と、右肩を手で抑えたまま気絶している人と、頭が無くなった元人間、そして拳銃を右手にぶら下げて仏頂面で立ち尽くしている青年一人。青年の黒いコートや顔にはいちごソースのような液体がついている。
青年と死体がいる廃墟の外からかすかに青年の名前を呼ぶ声が聞こえる。しかし中にいる誰の耳にも届いていない。
青年はゆっくりと目を閉じた。それと同時に身体が前に倒れていく。倒れた身体は頭が無い死体に重なった。
青年の意識は闇に覆われた。
悠斗は鋭い黒色の目を開いた。視界には真っ白な天井が映る。ゆっくりと自身の身体に目をやった。純白のシーツが身体にかかっているのが見えた。ベッドに寝かされているようだ。左の前腕には点滴が刺してあった。
次にぼんやりと周りを見る。左側には六畳ほどの部屋の内装が広がっている。背丈よりも大きな棚やアームチェアが一脚置いてある。病院の個室のようだ。
右側は壁で大きめの窓がはめ込まれている。カーテンがついているが、隙間から白い光が漏れる。
悠斗は上半身を起こした。
耳をすませればドアの向こうから人の声が虫の音ほどに聞こえる。
困惑した表情でため息をつく。またベッドに背中をつけて、天井を眺めた。
漏れる光が橙色に染まり始めた頃、ドアを丁寧にノックする音が部屋中に響いた。悠斗が見る中、ドアは開いてゆく。
部屋の前には看護師がいた。書類のようなものを抱えている。
看護師は悠斗と目が合うなり驚きの表情を浮かべた。失礼だ。そう悠斗は思った。
「目が覚めたのですね!体調はどうですか?頭が痛いなどありませんか」
悠斗は少し間をあけて
「特にないです」
そう答えた。看護師は紙に何かを書き込んだ。
「それは良かったです。そのまま安静にしていてくださいね。たとえ今元気だとしても明日先生に検査してもらって何か異常が出たら入院が長引いてしまいますから」
「はい……」
看護師は優しく微笑んだ。
「そういえば、毎日『イファ』の人から病院に電話が来るんですよね。酒井さんが目覚めたときに伝えてくれって伝言残してくるんです。『お見舞いに来れなくて申し訳ない。身体お大事に』だそうです。本当に心配していましたよ。毎回意識が戻ったか聞いてくるんです」
「そうなんですか……」
悠斗は顔をはにかませた。『イファ』の人から電話がかかったとき自分からの伝言で『今のところは元気だ。心配してくれてありがとう』と伝えてほしい、ということを看護師に言った。
「はい、分かりました」
爽やかな笑顔で看護師は答えた。
身体の検査は異常なし。予定通りの日にちに退院することとなった。
退院した三日後、悠斗は中身が入った紙袋を持って『イファ』の本社に向かった。退院したことを伝えるためだ。
本社は一見すると三階建ての一軒家のように見える。
「こんにちは」
悠斗は社内に入った。中には数人の人がいる。奥には部屋全体を見渡せるように配置されている机に座っている男性がいた。三十代ほどで無精ひげを生やしている。部屋に入ってきた人を見るなり薄く笑みを浮かべた。
「久しぶりだな、どうだ?」
「おかげさまで元気です。課長」
課長と呼ばれた男性は、それは良かった、と穏やかな声色で言った。
悠斗は持ってきていた紙袋を課長の前に出した。中身の箱を机に出して見せる。開けるとクッキーがきれいに並べられているのが見える。
「一週間ほど入院していて迷惑をかけたお詫びと心配をしてくれた感謝の気持ちです。病院の方にわざわざ連絡をしてくれてありがとうございました」
「別にいいんだ。当たり前のことをやったまでだしな」
そう言うと課長はチョコクッキーを一枚箱から取った。悠斗は思い出したように尋ねた。
「そういえば、肩を負傷した女性いましたよね。現場に。あの人はどうなったのですか?」
課長から笑顔が消え、真剣な表情が現れた。
「彼女は、命は助かったらしい。けど一生障害は残ると思う。今は病院にいるがいずれ刑務所行きだな。パラサイトを匿っていたし」
「生きていて良かったです。他の人は……」
「亡くなった」
課長は淡々と言った。
「そうですか……」
重い雰囲気が二人の間に漂う。
「助けられなかったのは辛いと思うが、過ぎたことはしょうがない。自分を責めずにいることが大事だぞ」
悠斗は何も言わない。課長の方は、また笑顔が戻った。両ひじを机に置き、左手に顎を乗せるような姿勢になる。
「そのお菓子を今いる人にも配ってこい。その後に依頼内容を話すからな。身体なまってないよな?」
「一応入院中も運動してましたし、大丈夫だと思います……もう仕事なんですね」
「そりゃ毎日たくさん来るからな」
課長はそう言うとガラッと立ち上がり
「悠斗がクッキーを持ってきてくれたから、一枚ずつ受け取れよ」
部屋にいる人に呼びかけた。悠斗は一人ずつ周り、お詫びと感謝の気持ちとともにクッキーを配った。数人しかいなかったため、五分も立たないうちに終わった。
悠斗は黒いコートを羽織り、右腰に拳銃をぶら下げている。そんな物騒な格好で駅の前に立っていた。駅の中からはパラサイトと思われるものの唸り声と人間の悲鳴が聞こえる。
「よし」
そう意気込むと右手に拳銃を掲げ、彼は駅の中へと向かった。