策略の勝利と元服
この話以前に、主人公の事を兼定と表記している箇所がありましたら誤字報告頂けますと幸いです。
1555年の幕開け。澄み切った冬の空気は、土佐の山々を一層くっきりと際立たせていた。朝日に照らされた屋根の瓦は、霜で白く縁取られ、まるで真珠の粒を散りばめたかのようだ。吐く息も白く、俺の体温が外気に溶けていくのがわかる。この歳月の中で、俺はまた一つ年を重ね、12歳になった。
昨年は、一条本家の方で大きな動きがあった。一条兼冬がその短い生涯を閉じ、まだ幼い6歳の一条内基が家督を継いだのだ。この国の、いや、この時代の常識では考えられないほどの若さでの当主交代。
だが、俺にとってはむしろ好都合だ。来年には彼らの親父である一条房道も死ぬ。しばらくの間は、本家から何かと口出しされる心配はないだろう。土佐一条家は、この好機を最大限に活かし、独自の道を突き進む。
一条内基。史実では、俺の子供が元服する際、わざわざ遠く離れた土佐まで足を運び、「内」の字を授けてくれるという、粋な計らいを見せる人物だ。
彼は藤原長者、つまり、ありとあらゆる藤原家の頂点に立つ者。左右中大臣はおろか、関白や太政大臣ですら収まりきらない者が就く、まさに最高位だ。史実の知識を持つ俺は、彼が今後、破竹の勢いで出世街道を駆け上がっていくことを知っている。
だからこそ、俺は最大限の知略と、ありったけの財を投じ、朝廷でも一目置かれるような、いや、むしろ羨望の眼差しを向けられるような煌びやかな贈り物を彼に贈った。
それに添えたのは、俺様の教養とセンスが光る和歌。唯一の従兄弟でもある彼とは、是非とも友誼を結びたい。それが、この時代を生き抜く上で、どれほどのアドバンテージになるか、俺はよく理解している。
二年前、まだ俺が10歳になったばかりの頃に始まった西園寺攻め。あの時は、親父の顔にはどこか不安の色が浮かんでいたのを覚えている。だが、蓋を開けてみれば、それは親父の予想を遥かに上回る大成功だった。わずか一年で、宇和郡と喜多郡の全域を一条家の支配下に置いたのだ。
なぜ、二つの郡の全域なのか? それは、宇都宮氏が一条家に従属したからに他ならない。あの日の出立前の評定を思い出す。親父や重臣たちが顔を突き合わせ、戦術を練る広間は、緊張と熱気に満ちていた。
その中で、俺は堂々と提案した。
「西園寺氏との決戦においては、前線に宇都宮氏の主力と、なるべく機動力のある部隊を配置する。そして、乱戦になる直前に部隊を引き返すように」
と。
最初、皆は訝しげな顔をしていたが、俺の熱弁と、これまでの数々の成功が後押しとなり、最終的には認可された。
宇都宮氏も、まさか一条家が最後の最後で裏切るとは思いもしなかっただろう。一条家はこれまで、彼らにとても協力的だったからだ。その後の戦況は、まさに俺の描いた筋書き通りに進んだ。
西園寺氏は、宇都宮氏の主君である宇都宮豊綱を討ち取り、勢いづいて追撃してきた。だが、その背後には、一条家の野伏した鉄砲隊が潜んでいたのだ。
彼らが一斉に火を噴いた時、西園寺軍は混乱に陥り、即座に壊滅した。
これはまさに、宇都宮氏を利用した釣り野伏だ。西園寺氏は、俺の仕掛けた罠にまんまと引っかかってくれた。ああ、ありがたや、ありがたや。
結果として、我々一条家は漁夫の利を得たのだ。西園寺家は完全に降伏し、我々一条家に恭順の意を示している。そして、伊予宇都宮家は、史実の通り、宇都宮豊綱に跡継ぎが居らず、ここに滅亡した。
これで、四国の約四分の一は一条家のものとなった計算だ。土佐の広大な領地に加え、伊予の豊かな宇和郡と喜多郡。潮風が運ぶ海の匂いは、今や一条家のものだ。遠くに見える海は、どこまでも青く広がり、我々の未来を祝福しているかのようだ。
しかし、慢心は許されない。あの厳島の戦いのことも頭の片隅にある。大内氏と毛利氏の激突は、この先の戦国乱世の行く末を暗示しているかのようだ。だからこそ、俺は伊予の河野氏と同盟を結んだ。新たな敵は、土佐の西に位置する本山氏だ。
次の目標は明確だ。
今回の西園寺攻めの成功は、俺の提案した鉄砲や棒火矢の有効性を、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。戦場での味方兵士の消耗率が圧倒的に低く、一方的な勝利を得られたことは、武断派の家臣たちの俺への支持を爆発的に高めた。
彼らの顔は、まるで太陽のように輝き、俺を見る目は尊敬の念に満ちている。
そして、その成果は、俺の初陣をもたらした。これまで、まだ幼いという理由で許されていなかったが、今回の勝利のおかげで、戦場での死亡率が見直されたのだ。「もし、大内氏が毛利氏と厳島で戦争するのであれば」、俺はそれを初陣としても良いと認められた。
元服の許可も、あっさりと下りた。既に領地をもらっている身としては当然のことだろう。
広間の畳の上に正座し、俺は親父に向かって深々と頭を下げた。天井の梁が、まるでこの場を見守っているかのように、静かにそびえ立っている。
「始祖であられる教房様、曾祖父上の房家様、祖父の房冬様、そして、房基こと、父上。全てに於いて共通している『房』の文字を頂きとう御座います」
親父は、満足げに髭を撫でながら、朗らかな声で応じた。
「当たり前じゃな。しかし、房だけを名乗る訳ではなかろう。希望を言ってみるが良い」
親父のネーミングセンスの無さは、あの「毛呂智舟」で既に証明済みだ。だからこそ、自分の名前は自分で決めたいとずっと思っていた。
「それでは、鎌房で」
親父の眉が少し上がり、興味深そうな顔で俺を見た。
「ほう、そのこころは?」
俺は、これまで温めてきた考えを、淀みなく語った。
「我ら一条家は元を辿れば藤原北家。更に其れを遡ると中臣鎌足様にあたります。只、その『鎌』を頂きました」
俺の言葉に、広間にいた家臣たちが一斉にどよめいた。彼らの目には、驚きと感嘆の色が入り混じっていた。親父もまた、大きく頷き、満面の笑みを浮かべた。
「大きく出たのぅ……天晴れじゃ!」
その言葉は、まるで初夏の風のように心地よかった。皆の顔を見る限り、俺の策略は成功したようだ。これで、俺の新しい名、一条鎌房が誕生した。
だとしたら、今夜は宴会だ。いや、間違いなく宴会になるだろう。広間には、既に酒の香りが漂い始めている。親父の喜びようからすれば、盛大な宴になることは想像に難くない。できるだけ酒を飲まないように逃げる努力をしよう。あの酒豪たちに囲まれるのは、正直言って勘弁願いたい。
しかし、喜んでばかりもいられない。正月早々、俺は親父にこう進言していたのだ。
「本山茂宗は2月24日に死ぬから、その時に、本山氏に縁ある朝倉城、そして本拠地である本山城に攻め込めるように」
まるで未来を知っているかのような俺の言葉に、親父は最初は半信半疑だったが、これまでの実績が後押しし、結局俺の提案は採用された。そのため、今日の宴会の数日後から、一条家は再び慌ただしい戦支度に追われる日々が続くことになる。鍛冶の音、兵たちの掛け声、荷を運ぶ人々の往来。城下町は、活気に満ちながらも、どこか張り詰めた空気に包まれるだろう。
俺もまた、その準備に加わる。だが、俺が担当するのは、前線での指揮ではない。内政面、つまり裏方からの支援だ。文書の整理、兵糧の手配、物資の調達、情報収集……。
これまで、戦は武将たちの華やかな舞台だと思っていたが、その裏には、地道で膨大な事務作業が横たわっていることを、俺は知っている。この機会に、しっかりと裏方の勉強をして、文官家臣たちの苦労を肌で感じ、彼らからの忠誠心を向上させるつもりだ。戦場を駆け巡る武将たちも重要だが、彼らの働きがなければ、戦は成り立たない。
どうせ俺の本当の初陣は、まだ先のことなのだ。史実によれば、10月16日。大内氏と毛利氏の激突が、俺の舞台となるだろう。それまでの間、学ぶ時間はたっぷりある。この乱世を生き抜き、一条家を盤石なものとするために、俺はあらゆる知識と経験を吸収していく。
土佐の山々には、まだ冬の厳しさが残っているが、その空気の中には、確かに新しい時代の胎動が感じられた。俺、一条鎌房の物語は、ここから本格的に幕を開けるのだ。
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