土佐の未来を懸けて
1553年、俺は10歳になった。今年になる迄は、俺が評定衆に口裏を合わせるようにお願いし、何とか西園寺氏との戦争を回避し続けた。統治者としては、しっかり国力を付けるのが一番必要な事だからね。
民の者達も戦争はしたく無い筈。両者痛み分けの血みどろ合戦なんて真っ平御免だ。それが去年までの方針だった。
でも、今は違う。
評定の間の空気は、これまでとは明らかに異なっていた。先ほどの重苦しさは影を潜め、期待と興奮が混じり合ったような、高揚した気配が漂っている。重臣たちの顔には、確かな自信が漲っていた。それもこれも、俺が地道に積み重ねてきた成果のおかげだ。
「一条式爆薬法(硝石丘法)と、四万十川での砂鉄採取、石炭の利用による製鉄が成功し、毛呂智舟(ケッチ船)と、数千挺の種子島と三十七台の石火矢の製造も完了致しました。領内の開発も成功し米の生産高も上がっております。昨年、南蛮から仕入れました玉蜀黍も兵糧の役割を果たすでしょう。今こそ、好機! 何卒、私の元服と初陣の許可を!」
「一条式爆薬法」とか、「毛呂智舟」とか、兎に角ネーミングセンスが無さ過ぎる親父に対して、俺は全身全霊の五体投地をする。畳に額を擦りつけ、懇願する姿勢を取る。西園寺攻めは親父もしたいだろうから認めるとは思うんだが、俺の初陣は認めないだろうな。
土井さんを初めとする家臣団の皆さんも難色を示していたし。いくら成果を出しても、やはり子供は子供か。
「うーむ……、土井!どう思う」
取り敢えず土井さんに振るのが、最近の親父の癖だな。まぁ、忠臣だから安心出来るんだけど。その視線には、「お前の意見も聞きたいが、俺はもう決めているんだぞ」という親父特有の圧が込められている気がする。
「はっ! 若様の初陣は御止めになられた方が良いかと愚考致します。ですが、西園寺攻めは殿の悲願。我等、家臣一同賛成致します。伊予国南部の宇和郡攻めとなれば、宇都宮豊綱との連携が必須でしょう。同盟関係に成るべきかと」
土井さんは、俺の安全を第一に考えてくれている。その優しさが、胸に染みる。しかし、西園寺攻めには賛成してくれた。さすがは忠臣だ。
「うむ、そうじゃな」
と、納得している親父。西園寺攻めが出来ると嬉しそうだ。だが、俺の初陣はやはり認めてくれなさそう。親父の顔には「お前は大事な跡取りだから」という親心がにじみ出ている。分かってはいるんだ。
でも、今は違うんだ。
親父、お前もか!
「お待ち下さい! 父上! 喩え、私が元服したとしても、家督を継ぐ訳でも御座いませんし、口煩い京の一条房道殿は何も言ってや来ませんよ。それに、房道様も三年後の冬に亡くなるかと。別段、もっと早くに天竺に逝って頂く事も可能ですが」
親父の顔が、一瞬にして凍り付く。そして、評定衆の視線が、再び俺に集中する。その目には、驚き、そして畏怖。彼らは、俺が以前、京の一条家を牽制したことを思い出しているのだろう。
「だが、断るッッ!!!」
な、なんだってー。親父は、普段見せないような、鬼気迫る表情で俺を睨みつける。その声には、一切の妥協も許さないという強い意志が込められていた。
「確かにお前は優秀だ。だがな、戦場に出れば死ぬかも知れない。それは我が一条家の優秀な跡継ぎを失い、折角、ここまで栄えた一条家を潰す事となる。故に、十五になるまで元服も初陣もみとめぬ!分かったか!」
親父の言葉は、紛れもない親心だった。だが、俺は知っている。この戦国の世で、十五歳まで待っていては、何もかも手遅れになる可能性があることを。長宗我部元親が台頭する前に、土佐を統一しておかなければならない。
「……はっ」
俺は、悔しさを押し殺して答える。今は、親父の意思を尊重するしかない。しかし、諦めたわけではない。
土井さんには、前に馬防柵置いたり、野伏したりして、更に、鉄砲隊を密集して最大限の戦闘力を発揮出来る様に使えると教えておいたから大丈夫かな。戦のやり方については、最低限の知識は伝えてある。
取り敢えず、親父が西園寺氏を滅ぼせば歴史が変わる。瀬戸内海を得られれば、二年後の厳島の戦いに水兵を派遣できるか。毛呂智舟の実際の戦闘力はどんなものだったか、戦後、親父か土井さんに詳しく聞くか。
【一条房基視点】
城内の人々が眠りに落ちた頃、儂は自室で腕を組んで考えていた。静寂に包まれた部屋には、遠くで風が木々を揺らす音だけが聞こえる。昼間の評定での兼定の言葉が、脳裏を巡っていた。
「あれで良かったのか?」
儂は考えた。彼奴が産まれてからのこの十年で領内の発展が著しい。彼奴が開発した器械は大抵、役に立つ物ばかりである。いつの間にか陰陽道も習得しており、儂の命も救ってくれた。あの子は、もはやただの子供ではない。だが、だからこそ、守らねばならぬ。戦場の危険は、いくら優秀な者でも予期せぬ形で訪れる。
「影丸、そこに居るのじゃろう。降りて来い」
影丸は、儂の部屋の天井に潜んでおる、儂の素破。闇に溶け込むような気配も無く、まさに影そのものだ。彼奴が使っている素破とも仲が良く、彼奴の事も偶に見守ってくれておるようじゃ。彼奴は、素破のことをニンジャと呼んでおるらしいがのぅ。
「はっ」
音も立てず天井から降りてきた影丸は儂の前に平伏する。その動きは滑らかで、一切の無駄がない。もう、影丸も四十になるのか。父の代から従ってくれておる儂の忠臣の一人じゃ。彼の顔には、疲労の色が見えるが、その瞳は変わらず鋭い。
「彼奴は何をしておる?」
「幸せそうに爆睡されております」
影丸の報告に、儂は思わず笑みがこぼれた。あの真剣な顔で、あんな大口を叩いた後、すぐに眠りこけているとは。
「そうか……」
幾ら優秀とは云え、まだ子供か。儂は考え過ぎて居るのかのぅ。あの小生意気な口ぶりも、やはり子供らしいといえば子供らしい。だが、あの鋭い眼差しと、常軌を逸した発想力は、とても子供のそれではない。
「して、影丸」
儂は真剣な顔に戻り、影丸に問いかけた。
「はっ」
「一条房道殿の周りに彼奴の素破が本当に居るのか?」
影丸は微苦笑しつつ、首を横に振った。その動きで、彼の言葉が真実であることを悟った。
「評定での発言はハッタリでしょう。ですが、若様の占術は良く当たります。本当に三年後の冬には亡くなるのでは無いでしょうか」
影丸の言葉に、儂は再び驚きを覚えた。ハッタリ……あの兼定が、儂に、そして重臣たちにハッタリをかますとは。しかし、そのハッタリの裏には、確かな読みと、そして儂への配慮があったのかもしれない。
「左様か……」
儂にハッタリを使うとは彼奴も儂に似てきたのかのう。儂はフッと笑い、兼定の成長に喜びを感じた。あの子が、儂の死を予言したあの時の真剣な顔を思い出す。あの必死な姿が、儂の心を動かした。そして、彼の言葉通り、一条本家からの刺客を防ぐことができた。
儂は、兼定を見習って眠る事にした。明日は、いよいよ西園寺攻めに向けての準備が本格的に始まる。
我等親子が築き上げた力を、存分に発揮する時が来たのだ。
御高覧頂き誠に有難う御座いました。
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