五歳児による戦略と野望の萌芽
天文十八年(1548年)。
この前、正月があった。一条家の家臣の皆さんが多く集まり、賑やかな祝宴が催された。俺もコミュニケーションを取るため、オジサンたちの輪の中に積極的に溶け込んでいた。
【魅了】と【礼儀作法】スキルに感謝だな。俺のあどけない笑顔と、子供にしてはありえないほど丁寧で理路整然とした物言いは、彼らの警戒心を解き、あっという間に心を掴んだようだ。皆からの高い評価も得られ、仲良くなれたと思う。特に、あの堅物そうな武骨者たちが、俺の言葉に目を輝かせたり、感嘆の息を漏らしたりするのを見るのは、なかなか愉快だった。
家臣団の中で、特に仲良くなれたのは以下の三人だ。彼らとは、今後も密に連携していくことになるだろう。
筆頭家老、土居宗珊。
智勇兼備の忠臣。まさに絵に描いたような武士だ。史実では、俺のせいで滅びゆく一条家を必死に支え続けた忠臣中の忠臣。俺は心に誓っているのだ。無実の罪で、絶対に処刑させんからな、と。兼定が彼を殺害したという史実の汚点は、俺がこの世界に来た最大の修正ポイントの一つだ。因みに、土井さんは俺の兵法の先生でもある。俺が提案する奇想天外な戦術にも、最初こそ戸惑うものの、最終的には「殿の発想は常人には理解できぬが、理にかなっている」と評価してくれる。
依岡左京進。
史実では1582年に長宗我部元親の命令を受け、隠密として京都情勢を探り、本能寺の変をいち早く伝えた男。しかし、彼、元は土佐一条家の家臣なんだよね。しかも、史実で俺を追い出した家老たちに刃向かってくれている忠臣なんですわ。そういう奴は大事にするに決まっている。
因みに、今、依岡さんは館には居ない。俺がお願いして、猿田洞窟に忍者や隠密剣士とか居ないか調べて貰っている最中だ。彼には、登用と同時にそこでの独特な技術を学ぶように言い付けている。江戸時代には、猿田洞窟に忍者が居るのは確定しているんだけどなぁ……居ないんだろうなぁ。微かな希望に縋り、手柄を上げれば武士に取り立てるという当時では破格の条件を付けている。忍者欲しいし。俺の個人的な浪漫も含まれてるけどね。
無論、四国なのでお遍路さんも情報収集に活用するつもりだ。彼らは各地を渡り歩き、地域の情報に詳しい。まさしく天然の諜報網だ。
源康政。
醍醐源氏の血筋を引く高貴な家臣。史実では、俺が追放されても一緒に付いて来て、行動を共にする位の忠臣。彼の忠誠心は本物だ。今は、椎茸栽培と、硝石丘法の実践をして貰っている。
俺からのお願いという形で、三人と一緒に親父の元に向かって献策し、力説して許可を貰った政策を彼らにやってもらう。
椎茸栽培なんかは、高額な費用が掛かるが見返りがデカい、ある種の博打なので親父も躊躇っていた。俺が「責任を取る」と言って何とか説得出来た……と、その時は思っていたんだが、やはり、子供に責任なんて取れる訳が無い。それに嫡男がそれで切腹なんて有り得ない。
千歯こきや水車等の道具開発の実績が早くも評価されているのだろうとは思ったけれど、所詮は子供の発想。多額の金額を賭けた博打に進める事なんて出来ない。結局は、源康政が俺の為に命賭けて親父に断行する様に言ってくれたみたいだ。くそぉ……俺はまだまだ無力だな。もっと力をつけねば。
ただ、塩に関しては親父自身が興味津々であった為、親父は「そこまで言うなら、良く分からんがやってみる!」と、意気込み、実際、成功し過ぎてあんぐりしていた。
まぁ、そりゃそうだろう。流下式塩田と枝条架式濃縮装置の組み合わせなんかは先取りの先取りである。
江戸時代の入浜式塩田は潮の満ち干きの問題上、瀬戸内海でしか利用が難しい。それを含め、一条家が太平洋しか持っていないことを理由に、時代を大きく通り越して1950年代の技術を提供したのだ。しかも、揚浜式の完全上位互換である入浜式塩田の三倍の効率と、歴史が証明してくれている方法だからな。親父の想像を遥かに通り越した生産力だったに違いない。
もちろん、この時代で再現できるものしか選んではいないのだが、イオン交換膜法製塩も知っていることだけは、俺の秘密の日記に書いておいた。後世の歴史家が見つけたら、腰を抜かすだろうな。
【智力】がぶっ飛んでるお陰で、最近はどんどん前世の記憶が蘇ってくる。四万十川の柚子ポン酢を湯豆腐につけて食ってたなとか、クイズ番組でピーマン生産量第三位が高知県だったなとか、どうでも良い記憶ばっかだがな。
無論、柚子植えようぜって親父には言ったし、ピーマン以外に獅子唐と茄子も日本一の生産量を誇ることも思い出したので、茄子植えようぜとも言った。これらは換金作物としても優秀だし、食料供給の安定にも繋がる。
そういや余談だが、女の子が茄子に乗って空飛ぶゲーム、最後までクリアせずに途中で辞めちまったな。スマホで簡単にマクロ組むのってどうするんだろう。戦国時代にスマホ無いから知らなくても全く困らないけど。
後、幡多郡に鉱山があるという大切なことも思い出したんだ。それで、俺が散々駄々を捏ねて調べて貰った結果、田野口鉱山を見つけた。もちろん、言い出しっぺの俺も尽力した。【陰陽術】スキルを使ったのだ。方違え的な要領で場所を何となく指定したおかげで短期間で見つかった。最後は人海戦術。正確無比な結果が分からない占いなんて当てにならねぇな。だが、何も情報がないよりは遥かにマシだ。
ただ、親父は、俺が独学で陰陽道を修めていると勝手に良い感じで勘違いしてくれているので、素直に褒めてくれた。陰陽道で場所を当てれたのは名門一条家の血筋のお陰ですと、笑って誤魔化しておこう。
ついでとばかりに、四万十川付近の伊屋・平野・出口の三ヶ所で、四国有数の埋蔵量を誇る海砂鉄を採掘するようにと言った。これは製鉄業の重要な資源になる。
また、本川鉱山が土佐郡に、
安居鉱山と名野川鉱山が吾川郡に、
庵谷鉱山が長岡郡にあるので、「本山氏を攻め滅ぼしましょう」とも言っておいた。鉱山の確保は、軍事力強化に直結する。
俺の初陣は多分1555年二月、対本山氏戦だろうな。その頃には、俺ももう少し戦場で役立つ年齢になっているはずだ。
因みに、今まで挙げた全ての鉱山は、幕藩体制の頃から採掘が行われたはずだから、またもや時代を先駆していくスタイルだぜ。俺は歴史のパイオニアだ。
土佐平定して西園寺家を滅ぼしたら、金も採れる名野川鉱山を、
四国平定したら、ついに別子銅山も掘るか。
ってか、この別子銅山が本当に凄いんだ。史実では1690年に発見され、近代化を推し進めた住友財閥の礎となった位、凄まじい量の銅が眠っている。なんと、七十万トンもあるらしい。日本の産業革命を支えた、まさにチート級の資源だ。
でも、場所が場所なんだよな。丁度、四国の全ての国の境目付近、伊予、土佐、阿波、讃岐の四国山地のど真ん中にあるんだわ。
絶対にこれを巡って戦争になる。尼子家の例もあるだろ。出雲の豊富な鉄資源を巡って、尼子経久と大内義興が泥沼の戦いを繰り広げたように、鉱山は両刃の剣だぜ。一歩間違えれば、争いの火種にしかならない。
まぁ兎も角、これで鉄、硝石に関する問題は消えた。兵器生産の基盤は整った。
木炭は、新田開発を推し進め、切り開いた山から運ばせればいいや。一石二鳥だな。
恐らくこれが最初で最後の機会だっただろう、母方の祖父である大友義鑑との交渉を終え、鉄砲鍛冶師を二人も領内に招き入れられたので、彼らに鉄砲を作って貰いつつ、人材の育成もお願いしている。これで、国産の鉄砲量産体制が築ける。
こうして、一条家の四国統一の為に、鉄砲の大量生産を軌道に乗せたのだ。
その為、製鉄業にも改革を齎さなければならない。
鉄鉱石から鉄を取り出す高炉法と、スクラップから鉄を再生する電炉法があるが、今は取り敢えず高炉法を変える。
と、言っても、木炭では無く、石炭を利用することを奨めるだけだが。
無論、これは明治以降の人間から見れば頭おかしいと言われるだろう。何故なら、コークスを製造できる石炭は、石炭の中の極一部である粘結炭(ねんけつたん、原料炭)だけであり、現代では資源メジャーによる原料炭鉱山の買占めの為、単年度で原料炭価格が二倍に上昇するなどの大きなコスト上昇が要因となっているからだ。現代でやれば金が馬鹿みたいに掛かる。
但し、今は戦国時代。皆、コークスは知らないし、製鉄に石炭では無く木炭を利用しているのだ。そんな価格上昇なんてする訳が無い。今のうちに大量に確保し、技術を確立しておけば、未来への大きなアドバンテージになる。
実際、ある程度の価格だろうと勝手に先入観が働き、覚悟していたのだが、拍子抜けする位、安かった。儲けものだ。
無論、日本刀の礎である、永代たたら法は失くすつもりは無い。古来の伝統技術も重要だ。近代化の波と古の文化の融和政策は行うよ? 俺は、効率化が完璧でそれが全てなんて思わないから。伝統と革新のバランス、それが最強の領国経営だ。
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