四歳児、戦国の世を憂う
天文十二年(1543年)、この土佐の片隅で生を受けて、あっという間に四年が過ぎた。現在、俺は満四歳。幼児にしては随分と達観した思考回路を持っていると自負しているが、それは前世の記憶とチートスキルのおかげだ。
今は、土佐一条家の中村御所の広間で、侍女が持ってきた木製の玩具を弄びながら、内心では日本の税制史と戦国時代の情勢について頭をフル回転させていた。
「四公六民って、税率高くね?」
思わず、口から言葉が漏れそうになるのを寸前で飲み込んだ。この時代、いや、この国における一般的な税率、それが「四公六民」だ。つまり、収穫された米の四割を領主が徴収し、残り六割が農民の取り分となる。
現代日本では、五パーセントから八パーセント、そしてそこから十パーセントに値上げされた消費税に、民衆が荒れたんだぜ? たった十パーセントで世間様を騒がせたんだ。それが四十パーセントって……おいっ!
昨年、親父である一条房基は、津野氏との戦いに勝利し、高岡郡を獲得した。
親父が喜んでる隙に、俺が献策した革新的な農法――苗代での苗育成と等間隔田植え、そして土佐鍬や千歯こきといった農具の導入――を、まずそこで試すように進言してみよう。
新しい土地だからこそ、既存の慣習に囚われずに新しいことを試しやすいはずだ。
成功すれば、間違いなく生産性は跳ね上がる。そうすれば、税率を下げても、税収は維持できるか、あるいは増える可能性すらある。
「ってか、親父凄過ぎだろ」
つい声に出しそうになって、また口を閉じた。土佐一条家は、元々の幡多郡に加え、高岡郡を合わせたことで、土佐のほぼ半分を支配下に置いている。しかも、土佐の西側だ。
北には伊予国の宇和郡を治める西園寺家があり、東には、元は土佐の名門・吉良氏だったが、今は本山氏の所領となっている吾川郡がある。西園寺、本山氏は双方共に我々一条家の敵対勢力だ。
今、安易に北上しても、瀬戸内海を挟んで勢力を拡大している大内氏と争うのは避けたい。大内氏と言えば、九州北部から中国地方にかけて一大勢力を築いた大名だ。こちらから喧嘩を売る必要はない。
攻めるなら東だな。土佐統一を視野に入れるなら、まずは東部だろう。国力が十分についたら、旧吉良氏の者を調略して、本山氏に揺さぶりをかける。あるいは、そのまま吉良氏の名跡を継いでいる本山氏を攻め潰すか。史実では俺を地獄に突き落とした長宗我部氏の勢力を削るために、俺が当主になったらイチャモンつけて攻めてやろう。奴らの天下統一の夢、俺が叩き潰してやるからな。
多分、その頃には、京を牛耳っている三好家も没落しているだろう。史実では、三好長慶の死後、急速に衰退していくはずだ。京の情勢は、遠く離れた土佐には直接関係ないが、中央の権力バランスが崩れることは、地方大名にとっては好機となる。
うん。四国統一か、良い響きだ。厨二病の俺の魂が疼く。当面の目標は、やはり土佐の統一だろう。
という事で、現状の土佐の勢力図、いわゆる土佐七雄を整理しよう。
安芸氏:土佐東部の有力大名。一条家とは一時的に手を組んだが、史実では1569年、八流の戦いで長宗我部氏に滅ぼされる。これは阻止したい。
香宗我部氏:一条家の家臣が作った家だが、長宗我部氏に養子を入れられて吸収されてしまう。これもなんとかしたい。
山田氏:一条家の家臣が作った家だが、これも長宗我部氏に滅ぼされる。長宗我部の拡張力がウザすぎる。
本山氏:長宗我部氏とは長きにわたる宿敵。1555年に最盛期を築き上げた本山茂宗が死去し、1560年の長浜の戦いで長宗我部氏に大敗し、急速に衰退していく。因みに、一条家とは対立している。ここをどうにかすれば、長宗我部を牽制できる。
豊永氏:長宗我部氏に従属する。
吉良氏:1540年、つまり、俺が生まれる三年前だな。本山氏に滅ぼされたが、名家のため断絶後、本山氏が名跡を継ぎ、本山氏の勢力が長宗我部氏に劣りだすと、名跡は長宗我部氏のものとなる。この「名跡」ってやつが面倒くさい。
片岡氏:長宗我部氏に味方する。
佐竹氏:長宗我部氏と縁組になる。
そして、 大平氏・津野氏は一条家に滅ぼされる。……ああ、親父が頑張ってくれたんだな。感謝。
うん。こうして表にしてみると、やはり長宗我部氏が物凄く邪魔だという事が一目瞭然だな。史実をなぞると、奴らはあっという間に土佐を統一してしまう。それは避けたい。
1568年に起こるであろう毛利氏の伊予出兵時に、何がなんでも長宗我部氏を先陣に立たせて、翌年の八流の戦いができないくらいに徹底的に弱体化させよう。そこで長宗我部を潰せれば、俺の天下統一への道はぐっと開ける。で、絶対に小早川隆景さんには退いてもらおう。毛利家の二本の矢の一人、隆景にはここで介入してほしくない。
ってか、そもそも毛利さんが出兵したのは、村上水軍に対する厳島の恩返しなのだから、1555年に一条家も水軍出すか? 有りやなぁ〜有り有り。ありよりのあり。瀬戸内海への影響力も欲しいし、九州との交易も考えれば水軍は必須だ。
で、1555年2月に本山茂宗が死ぬから、その直後に本山氏に攻め込むのもありだな。当主の死は家臣団の動揺を招く絶好の機会だ。
何よりも、俺が、智勇兼備の筆頭家老である土居宗珊を無実の罪で殺すなどという暴挙を犯さぬようにせねばならない。ここが史実の兼定の最大の間違いだ。彼を失ってから、一条家は狂い出したのだから。忠臣は絶対に手放さない。
あっ、そういえば母方の伯父には干渉すべきなのだろうか。
1550年に起こるであろう二階崩れって、どうなるんだっけ?
大友家におけるクーデター的な事件で、大友宗麟と立花道雪が結託して、義鑑を死に追いやるんだよな。大友家が偉大なる滅亡への第一歩を踏み出させることについては、俺もありがたいから放置して良いのだが、宗麟も凄いけど、義鑑も神がかってたはず。九州の大友家は、貿易で莫大な富を築いていたはずだ。
その頃、多分俺が当主でしょ? 義鑑の才能、できたら抱え込みたいな。彼の知識や人脈は、一条家にとって大きな助けになるはずだ。
でも、寝てる所殺されるんだっけ? 残念だ。史実の流れを変えるのは、やはり難しい部分もある。
耳川の戦いが起きるのはいつだっけ? 島津と大友の大激突だ。あの戦い以降、大友家は急速に衰退していくんだよな。
沖田畷の戦い(おきたなわてのたたかい)が起きる前に熊ちゃん……龍造寺隆信の回収したいぜ。あの肥前を支配した「肥前の熊」、龍造寺隆信は魅力的な武将だ。彼の武力と智力は、間違いなく一条家の大きな力になる。
鍋島(鍋島直茂)にちょっかいかけて、且つ、玉鶴姫の意地とかいう悲惨な最期を遂げさせないように頑張って誘導しながら、熊を手に入れたい。玉鶴姫は龍造寺隆信の娘だ。彼女の悲劇的な運命を変えつつ、龍造寺を味方につけるなんて、難易度高すぎか?
でも、無理だろうな。距離が有り過ぎる。土佐から肥前までは、海を越えてかなりの距離がある。今の戦国時代の物流と交通手段では、現実的ではない。
ひとまず、武装民族島津(島津義久・義弘・歳久・家久)や鬼畜ステータス勢が跋扈する魑魅魍魎の九州には近付かないでおこう。
中国地方は、1555年に陶晴賢が毛利に殺されて、その後、尼子が一回滅ぶんだよな。毛利元就の智略が光る時期だ。
河野が毛利に従属するのって何時だっけ? 少なくとも1571年にはしてるはず。ゲームでそうなってた。瀬戸内海の利権争いは穏便に事を収めよう。毛利家とは敵対したくない。
戦国時代は米と金が有るか無いかで、勃興か滅亡かが大きく分けられる。現代社会も結局は金が全てだ。歴史は繰り返すな。
金といえば楽市楽座か。信長がやったやつだ。
関所を潰して、生活必需品を一条家で定価で売る。一条家の物だから、関所を無視してOKと、商品に関税を掛けず、他の商人から買うより関税代分浮いた、一条家の商品は、行商から有り難がられ多売出来ると云う算段だ。これは儲かる。
とは云え、楽市楽座を出来るくらいのある程度の基盤となる土地は必須。いきなり全ての関所を潰すのは無理だ。まずは支配地域内から始める。
少しずつ七雄を臣属させねば。その過程で、土佐全体に関所を撤廃し、経済圏を確立していく。
後、金策と云えばラノベあるあるの菌床栽培。要は、椎茸の大量生産だ。
何にせよ、徳島県が椎茸生産高日本一ですし、四国には圧倒的有利なんですよ。湿度も高く、広葉樹林も豊富だ。
今居る所は土佐だけどね。この気候と地理条件を活かせば、間違いなく大儲けできる。
で、一般的にシイタケの原木栽培(ほだ木を利用する栽培)では長さ1m程度に切断した広葉樹を原木として利用する。作業性を考慮し直径10〜20cmの樹を利用することが多い。原木は秋から初冬に伐採、過度な乾燥を避け保管され、翌早春に種菌が接種される。種菌が接種された原木を、約1年を森林の下に寝かせ菌糸体の蔓延を待つ。種菌の接種から16〜18ヶ月経過後に「ほだ場」と呼ばれる栽培場所に移し、柵に立てかけるように原木を並べて子実体の発生を待つ。子実体が発生するのは、通常種菌を植え付けてから18〜24ヶ月後で、3〜4年間収穫(採集)が可能である。品種改良が進んでおり、シイタケが発生するのに最適な時期はそれぞれの品種によっても異なっている。
だから、まずは土佐の気候や風土に合う品種を見つけないと駄目なんだよね。菌の種類を特定し、最適な環境を探す必要がある。それは俺の【薬草知識】や【記憶術】でカバーできるはずだ。それに、椎茸は栄養価も高く、保存食にもなる。兵糧としても役立つだろう。
後、米や金だけでなく、鉄砲もガンガン集める必要がある。史実で長宗我部氏が強かった一因は、鉄砲の積極的な導入にあったはずだ。俺もそれに倣う。
その為には、日本という国土による弊害を打破し、硝石を造らねばならない。鉄砲の火薬には硝石が不可欠だが、日本は天然の硝石産地が少ない。
風通しのいい小屋に窒素を含む木の葉や石灰石・糞尿・塵芥を土と混ぜて積み上げ、定期的に尿をかけて硝石を析出させる。所謂、硝石丘法だ。採取まで五年余りを要するが、土の二〜三パーセントもの硝石を得ることが出来る。手間はかかるが、自家生産できれば、鉄砲の数を大幅に増やすことができる。
早速、親父に献策するか。まずは農法と、この硝石丘法からだ。この四歳の天才児の献策に、親父がどう反応するか、今から楽しみで仕方がない。
御高覧頂き誠に有難う御座いました。
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