地図に記された未来
1566年。
正月が過ぎ、京の都は穏やかな空気に包まれていた。冬の厳しい寒さも和らぎ始め、御所の庭には、わずかに春の兆しが見え隠れしている。
まだ蕾を固く閉ざしている梅の木々が、それでもどこか生命の息吹を感じさせ、早朝には、澄み切った空気に鳥たちのさえずりが響き渡る。御所の瓦屋根には、朝日が反射してきらきらと輝き、都全体がゆっくりと目覚めていくようだった。
俺はというと、父上との交渉を経て、正式に一条家の家督を継いだ。そして、当主としては初めての年を迎えていた。
正直なところ、肩の荷が下りたような、しかし同時に大きな重圧を感じる複雑な心境だった。
父上を無理矢理隠居させた、という噂話が一部では出回っているらしい。実際のところ、あながち間違いではないでは無いので否定し辛い。
又、俺が行った「代替わりの大改革」と称する一連の行動は、父上から見れば、常識外れの暴挙に映っただろう。特に、土佐一条幕府をあっという間に終わらせ、朝廷に権力を返上した大政奉還は、父上にとって理解しがたいものだったに違いない。
それでも、父上は最終的に俺の提案を受け入れた。その背景には、俺が父上に手渡した日本地図の存在が大きい。
「ほう……これは!」
父上の驚きの声が、広々とした書院に響き渡った。檜の香りが漂う厳かな空間に、墨の匂いが混じり合う。陽光が障子を通して柔らかな光を投げかけ、床の間に飾られた掛け軸の水墨画が、静かにその光を受けていた。
「日本地図です」
俺は淡々と答えた。その言葉に、父上の視線が手元の紙へと戻る。
令和の、な。
内心、そう付け加えたくなる衝動を抑え込む。これは、俺が前世で高校生の時に、地理の授業中にぼんやりと見ていた日本地図の記憶を、超絶なまでに繊細に、正確に再現した成果物だ。何年もの歳月を費やし、秘密裏に書き上げたもの。
細かな山脈の起伏、川の流れ、海岸線の入り組んだ地形、さらには隠された抜け道や伏兵を潜ませるのに最適な場所まで、驚くほどの精度で描き込まれている。
この地図の価値は計り知れない。敵の地形を熟知し、隠し道を封じ込め、地の利を相殺させる。戦において、これほど強力な武器はないだろう。
思えば、摂津攻め、三好討伐の時だ。若気の至りで、無鉄砲に攻め込んだ結果、俺の準備不足のせいで多くの命が失われた。あの時の苦い経験が、この地図を作成する原動力になった。
死んでいった者たちのことを考えると、「飽きた」などと口にするのは、あまりに不遜で、申し訳なくて、とてもできなかった。
この地図を渡すことには、やはりどこか違和感と、強い抵抗があった。俺だけが知る、俺だけの切り札を、手放すような感覚。だが、これもまた、父上を隠居させるための、俺なりの策略だった。
「父上がもし、どうしても我慢ならない事があれば、この地図を使えば、日本の何処かに居る俺を、草の根を掻き分けてでも探し出せます。その時に殺すか、否かは任せます」
俺はあえて、挑発的な言葉を付け加えた。父上はふん、と鼻を鳴らした。その表情には、不満と、しかしどこか納得したような複雑な色が混じり合っていた。そのわずかな表情の変化を見逃さず、俺は内心で安堵の息をつく。
「どうやって作った」
父上の声には、猜疑心と、しかし純粋な好奇心が混じっていた。
「それは秘密ですが、ほぼ完璧な筈です」
俺は笑顔で答えた。全てを話す必要はない。むしろ、神秘のベールに包んでおく方が、父上の興味を惹きつけることができる。
「沢山持っているのか?」
父上の問いは続く。その視線は、まだ地図に釘付けだ。
「これを奪われるとかなり危ない事態に成りかねないので、父上に渡した物だけです。俺は、頭の中には入っているので不要ですし」
俺の言葉に、父上はうんうん、と頷いた。その表情に、わずかながら納得の色が浮かんだのを見て、俺は勝利を確信した。
「しっかり危機管理をするのだ」
父上はそう言って、隠居宣言を下した。その声には、どこか力が抜けたような、しかし清々しい響きがあった。最後に、父上は素直に俺のことを認めてくれたのだろうか。そう思うと、張り詰めていた気が少し緩んだ。
しかし、その安堵も束の間、父上はまさかの爆弾発言を投下した。
「宗麟殿と争うのは何時じゃ?」
……ッッ!!!
俺は思わず息をのんだ。宗麟殿、すなわち豊後の大友宗麟。九州の覇者であり、強力な勢力を持つ戦国大名だ。父上は、俺が九州に目を向けていることを見抜いていたのか? それとも、ただの冗談か? 俺の思考は、一瞬にして高速回転を始めた。
「龍造寺氏に勝ち、島津に負けて、弱体化した後です。伊東の弱体化を俺が塞いでしまった事もあり、どう転ぶかは分かりませんが」
俺は、予め考えていた通りの言葉を口走った。我ながら、よくこんな状況で冷静に話せたものだ。冷や汗が背中を伝うのを感じる。本当に、最後まで気が抜けない、危ない戦国大名だよ、この親父は。
史実では、伊東家は島津家との争いに敗れて弱体化し、いわゆる「伊東崩れ」と呼ばれる状況に陥る。
しかし、この世界線では、史実通りの伊東崩れが起こるかどうか分からない。
おそらく、起こらないんじゃないだろうか。
しかし、島津家が相手だ。
四兄弟の絆パワーでとんでもない大惨事を引き起こし、俺に「史実の方がマシだっただろうな」と、島津に恐怖を抱かせるようなことをしてくれるだろう。
某戦国シミュレーションゲームでも、放っておけば九州を統一していた。島津には大いに期待できる。
ただ、あの大陸に上陸する気はさらさらないがな! 怖すぎる! 戦うのは親父に任せるよ。俺は京都でのんびりしておく。
……その頃、親父は生きてるのだろうか。
父上は、俺の言葉に満足したように頷いた。そして、ゆっくりと立ち上がり、書院の窓から庭を眺めた。その背中は、以前よりもずっと小さく見えた。
「京は良いものじゃな」
父上の声が、静かに響いた。その言葉に、わずかな寂寥感が含まれているように感じられた。俺は何も言わず、ただ父上の背中を見つめた。
新たな時代が、今、確かに始まろうとしている。その波乱の幕開けに、俺の心は静かに高鳴っていた。
父上が隠居し、一条家の当主としての務めが本格的に始まった。俺の元には、次々と朝廷からの使者が訪れ、京の貴族たちとの顔合わせが続く。彼らの顔は、皆一様に期待と好奇心に満ちている。
「一条殿、この度の代替わりの大改革、誠に見事でございました」
公家の一人が、扇子を広げ、優雅な仕草で頭を下げた。その言葉には、本心からなのか、それとも形式的なものなのか、判断に迷うところがある。だが、彼らの目には、確かに俺への敬意が宿っている。
俺は、彼らの視線から、彼らが何を求めているのかを読み取ろうと努める。それは、権力の安定、朝廷の復興、そして何よりも、平和な世の中だ。俺が目指すものと、彼らが望むものは、奇妙なほどに合致していた。
朝廷への権力集中は、武家同士の争いを抑制し、戦乱の世を終わらせるための第一歩だ。武家の数を源平合戦の時代並みに減らす、という父上には理解できなかった俺の思想は、この時代の常識では拙いものかもしれない。
しかし、この混沌とした時代を終わらせるためには、ある程度の強硬策も必要だと考えている。
御所の増築は、朝廷の権威を高めるだけでなく、京の経済を活性化させる狙いがあった。
貨幣改鋳は、経済の安定と、商取引の円滑化を図るためのものだ。
そして、貴賤問わず参加可能な大茶会やライブと称する音楽祭は、民衆の不満を解消し、朝廷への求心力を高めるための重要なイベントだった。
特に、祇園社で行われた音楽祭は、大成功を収めた。数万人規模の人々が押し寄せ、屋台通りは熱気で溢れかえった。堺の商人とのコネをフル活用し、庶民にも手の届く価格で提供された食べ物や菓子、玩具に、人々は驚き、目を輝かせた。その光景は、まるで現代のフェスティバルのようだった。
俺は、その賑わいを遠くから眺めながら、満足げに頷いた。民衆の熱狂的な支持は、俺の、そして朝廷の基盤を磐石なものにする。この求心力こそが、新たな時代を築くための原動力となる。
だが、もちろん、全てが順風満帆というわけではない。一部の武家からは、反発の声も上がっている。
彼らにとっては、武士の世が終わり、朝廷が実権を握ることは、自分たちの既得権益を脅かされることを意味するからだ。しかし、彼らの反発は、俺にとっては想定内のことだった。
俺は、彼らの動きを常に警戒している。情報収集には抜かりがない。密偵を各地に放ち、不穏な動きがあればすぐに報告させるようにしている。
ある日、俺の元に、土佐一条家からの使者が訪れた。差出人は、父上だ。開いてみると、そこにはたった一文だけが書かれていた。
「くれぐれも、油断はするな。そして、生き残れ」
父上らしい、飾り気のない言葉。だが、その言葉の裏には、俺への深い愛情と、戦乱の世を生き抜いてきた者ならではの重みが込められているように感じられた。俺は、その手紙を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。
夕暮れ時、京の都は朱色の光に包まれる。御所の屋根瓦は、茜色に染まり、遠くから聞こえる鐘の音が、一日が終わることを告げている。
俺は、広縁に立ち、遠く京の町並みを眺めた。家々の明かりが、少しずつ灯り始め、まるで星が地上に降りてきたかのようだ。この美しい景色を守るためにも、俺は戦い続けなければならない。戦乱の世を終わらせ、平和な時代を築くために。
俺の心の中には、確固たる決意と、わずかな野望が燃え盛っていた。現代の知識と、前世の記憶を武器に、俺は新たな歴史を紡いでいく。この波乱の時代を、俺が変えてみせる。そう、心の中で強く誓った。
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