見え隠れする野望
1565年。
梅雨の湿気が肌にまとわりつく鬱陶しい昼下がり。
俺は自室に一人、ひっそりと佇んでいた。窓の外では、時折、重たげな雨粒が音もなく庭の木々を濡らしている。その静寂を破るように、障子の向こうからかすかな足音が近づいてくる。そして、控えめに女の声が響いた。
「入れ」
俺の短い言葉に、障子が静かに開いた。そこに現れたのは、四十路を越えているにも関わらず、息をのむほどに魅惑的な女性だった。
艶やかな黒髪はゆるやかにまとめられ、切れ長の瞳には知性と、どこか諦めにも似た翳りが宿っている。着物は地味な色合いながら、その立ち姿はただならぬ気品を漂わせていた。彼女こそ、世に小少将と称される女だ。
「出来るか?」
俺は切り出した。当然、あっち系の話ではない。目の前の女性の美しさに目を奪われそうになるのを、必死で自制する。
小少将は、岡本牧西の娘だ。史実では、細川持隆、三好義賢、篠原自遁、長宗我部元親と、四国の有力者を次々と渡り歩いた「魔性の女」として名高い。
一条家による三好討伐の際に消息を絶っていたが、俺が率いる忍者衆が四国中を駆けずり回って、ようやく探し出したのだ。以来、彼女は俺の庇護の下にあった。いずれ来るであろう、親父との対立における「切り札」として。
俺の問いに、小少将の切れ長の目がわずかに吊り上がる。
「私に出来ぬとですと? そのような侮蔑、聞き捨てなりませぬ」
少し高圧的な、しかし、どこか茶目っ気すら感じる口調で、美魔女は怒りを露わにした。その声は、どこまでも澄んでいて、心地よい。彼女のわずかな感情の起伏すら、俺にとっては計算の内だ。
「ならば、大船に乗った気持ちで任せるぞ」
俺は静かに告げた。彼女は「承知いたしました」と一言、感情を読ませぬ表情で応じ、音もなく部屋を辞していった。その揺れる後ろ姿を見送りながら、俺は心の中で呟いた。
親父、これで気づいてくれ。せめてもの情けだ。そうでもなければ、この国の混迷は、いつまで経っても終わらない。
「これより、帝の兵として我等一条家は、倒幕を決行するッッ!!!」
俺の声が、薄暗い部屋に響き渡る。集まった者たちの顔には、緊張と興奮が相まった感情が浮かんでいた。
「はッッ!!!」
彼らの力強い返事が、決意の固さを物語る。
大友家や京極家といった同盟勢力にすら秘密にしていた、一条鎌房・北畠具房連合軍による対足利戦争の火蓋が切られたのだ。万里小路輔房様も書類上は出陣していることになっている(名代を立てている)ため、今や「三房軍」と称される。大義名分としては、これ以上ない布陣だった。
これには、揺るぎない大義がある。そのための「再来の三房作戦」は、予想をはるかに上回る成果を上げたのだ。
時は、正親町天皇の即位の礼の頃まで遡る。
1557年。正親町天皇は、父である後奈良天皇の崩御に伴い、践祚された。当時の朝廷は、公家だけでなく天皇ですら極度の貧窮にあえいでいた。
史実ならば、正親町天皇は毛利元就からの献上金があるまで、実に三年もの間、即位の礼を挙げることすら叶わなかったという。
さらに、本願寺法主・顕如は、天皇から門跡の称号と、京都からのキリスト教宣教師の追放を命じてもらう代わりに、莫大な献金を行っている。
――そう、史実ならば、だ。
しかし、俺の存在が歴史の歯車を大きく狂わせた。
まず、俺は「逆賊」陶晴賢討伐の時代、大寧寺関係者の公卿方を京都まで運び、その後、後奈良天皇の崩御の報せを聞くまで滞在していた。そこで、俺は未来の朝廷の窮状を目の当たりにする。
正親町天皇の即位のため、俺は石鹸などの献上品、そしてそれを堺で売って得た莫大な献金を送った。もちろん、その後も一条本家や、大寧寺関係者の家にも継続的に献金し続けた。土佐一条家の金庫が空っぽになるまで出し惜しみはしなかったが、その後、新たな鉱山が発見されたことで、土佐一条家の財政は潤沢になった。結果オーライ、というやつだ。
とにかく、正親町天皇は、これ以上ない絶妙なタイミングで多額の献金を納めた子供を覚えていてくださった。後に調べると、摂関家・一条の庶家の跡取りと判明し、家格も申し分ないことが決定打となったのだろう。おかげで、正親町天皇は、当初から俺に好印象を抱いてくださっていたのだ。
その後、俺は「三房」として帝に忠義を誓った。後醍醐天皇が祀られている天龍寺をはじめとする京都中の寺社に参拝し、誓いを立てた。無論、応仁の乱で焼け落ちた寺社には、復興のための多額の御布施をした。
ただし、だ。
マトモな運営がされておらず、酒池肉林の生活を送っている延暦寺のような寺は、後日、俺が軍勢を率いて焼き討ちにした。
焼き討ちしただけでなく、略奪も少なからず行った。まあ、それは兵が勝手にやったことにし、俺は責任から逃れているが。そこら辺は、ドライな切り替えが必要だ。
とにかく、他の貴族様方の協力も得て、我ら一条鎌房・北畠具房連合、「三房軍」は、正親町天皇から直々に錦の御旗と倒幕の密勅を賜ったと、後から口裏を合わせてもらえるようになったのだ。
責任? それは、万里小路輔房様が取るに決まっているだろう。
錦の御旗を掲げ、奇襲を仕掛ける。将軍からすれば、上洛してきた武将が、帝の次に将軍家に謁見しに来たのだとしか考えなかっただろう。まさか、攻め滅ぼしに来るとは夢にも思わなかったはずだ。
将軍足利義輝を捕縛し、戦闘はあっけなく終わった。後日、適当な罪名をでっち上げて、公開処刑で晒し首にしておいた。これで、幕府の権威も地に堕ちるだろう。まあ、そもそも落ちるところまで落ちていたのだから、権威もクソも、落ちるものすら残っていなかったかもしれないが。
しかし、厄介事はこの後に待ち受けている。
まず、これまで黙っていた者たちからの苦言だ。それは全て、「密勅」の二文字で片が付く。帝から内密にせよと賜ったのだ、と言えば良い。
しかし、外の敵が面倒なのだ。
例えば、上杉。
室町幕府成立時から関東管領を務め、元祖厨二病患者が治めている勢力だ。大体、俺は毘沙門天の生まれ変わりだとか、恥ずかしいにもほどがあるだろう。せめて、「爆ぜろリアル、弾けろシナプス。我が名はゴッドストリームバーストセブン、闇の焔に抱かれて云々」とでもすれば、まだ聞くに堪えるというものだ。
それと、大友家。
宗麟自身が将軍に物凄く接近していて、大友家傘下には「四職」の四分の三が揃っている。赤松、一色、山名と。残りの京極は、現在、独立勢力を誇っている。全員、敵対したくない相手だ。
最後に、信長。
奴は必ず、何かしらの大義を掲げてやって来るだろう。彼奴とは戦いたくない。今の一条家はお家騒動が絶賛進行中なのだ。攻めないでほしい。頼むから。この前、「ワロタ」とか言ってすみませんでした!
一方、北畠家は狂喜乱舞している。
理由は簡単。南北朝時代から室町幕府と対立していたからだ。
例えば、1338年。足利尊氏……否、あの野郎は足利高氏。こちらの字で十分だ。天皇陛下の諱を賜るなど、けしからん。諱とは「いみな」と読み、天皇陛下の本当の名前である。
俺が厨二病患者なので、真の名とかかっこよすぎるものの一部を貰いやがってと、本気で羨んでいるだけだ。僻んでいる、と言われても否定できない。俺も正親町天皇の諱を頂戴しとう御座いまするッッ!!
若干、ほんの僅かばかりだが、高氏にも高貴な血が流れていたっけ? 一応、「野郎」とか言ってすみませんでしたと謝っておく。
だが、観応の擾乱で弟を毒殺するような輩だからな。嫌いだ。しかも田舎者だし。食べる時にクチャクチャ音を立てたり、声とか大きそう。(摂関家育ちの俺の偏見だが)。
話を戻そう。先程の年代で分かったかもしれないが、1338年、足利高氏が征夷大将軍に任命された年、新田義貞と共に北畠顕家が戦死している。翌年には、後醍醐天皇が崩御され、力を失った後村上天皇のために、北畠親房が『神皇正統記』を書いていたりする。彼は三房の一人だな。
とにかく、このように、建武の新政時に離反した反逆者の足利高氏に対抗していたのだ。
うむ、北畠家は忠臣だな。ちなみに、足利高氏が本気で後醍醐天皇に逆らったのは、1335年に起こった中先代の乱の鎮圧後からだが、実質上、建武の新政成立時に既に距離を置いていたため、その頃から逆らう気満々だったとわかる。狸め!
と、いう歴史背景は理解しているが、これからの対外政策はどうしたものか。
そんなことを思いながら、俺が率いる一条家は、山城国を本拠地とし、錦の御旗を掲げる、「もう一つの一条家勢力」となったのであった。
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