一条兼定、戦国の世に立つ
天文十二年(1543年)。
遠い南の果ての種子島では後に歴史を大きく塗り替える鉄砲が伝来し、本願寺では第十世・証如の長子、後の顕如が生まれたという。
同じ年、土佐の片隅、中村御所で、一人の男の子が静かに生を受けた。そう、俺だ。
「元気な男の子です!」
「良くやったッ!」
まず、視覚よりも聴覚の方が先に情報を脳に届けてくれた。柔らかな、しかし喜びに満ちた妙齢の女性の声と、若々しい、そして力強い男性の声が聞こえる。ああ、この落ち着く声は――
しばらく経ってから、我が封じられし邪眼が……ゴホン。目が見えるようになってから知ったことだが、先程の声は産婆さんの言葉と、それに心底喜ぶ親父さんの声だった。
俺が誕生して初めて視界に映ったのは、彼らと、楚々とした数人の侍女らしき人影。そして、疲れ切った顔で、それでも慈愛に満ちた笑みを浮かべている母親の姿だった。あの、わけのわからないアナウンス……いや、女神様が言っていた転移っぽいなと思っていたが、どうやら異世界転生らしい。しかも、日本国内の、しかも戦国時代だなんて、とんだクソゲーじゃねーか。
寝ては糞を漏らして起き上がり泣き、腹を空かせては泣き、侍女が持ってきたくっそ不味い離乳食を掻き込むように食べる。そしてまた寝る。延々とその繰り返しの地獄のような生活を続けること、三年。
現代日本人の意識を持つ俺にとって、この赤ん坊生活は拷問以外の何物でもなかった。
ようやく、柔らかい飯と舌ったらずな言葉から解放された俺は、【魅了】スキルを全開に乗せたあどけない笑顔を振り撒きつつ、俺の住んでいる屋敷を探索した。赤ん坊特有の無垢な笑みは、どんな警戒心の強い大人も油断させる万能ツールだ。侍女たちや近侍の者たちは、俺の笑顔に頬を緩め、何もかも許すような目で俺の行動を黙認してくれた。よし、チョロい。
結果、分かったことがある。この時代は俺の予想通り、或る意味期待を裏切る事無く、日本の戦国時代。
場所は土佐国中村御所。この地名を聞いた瞬間の俺の絶望たるや。
クソが! 何が剣と魔法とファンタジーだ! 詐欺師の糞女神め。呪ってやる。マジで恨むからな。
そして、屋敷を回って、色々な人の話を聞く。
親父さんが土佐一条家の当主、一条房基で、お母さんは豊後の大友義鑑の娘さん。
つまり、俺は一条兼定となる予定の子供だな。
えっ? 待てよ。一条房基って、史実では謎の自殺を遂げる人だよな?
じゃあ、俺が当主になっちゃう流れじゃん。
たしか、史実の一条兼定は、七歳で家督を継いで、忠臣の土居宗珊を殺害し、キリスト教に傾倒し、後世からは『土佐物語』で一代で土佐一条家を滅ぼした暗愚な人物としてボロクソ叩かれてる奴だったはず。
うん。女神もキリストも許すまじ!!! 俺はもう神なんて信じねぇからな! 科学文明物質社会万々歳だ! 俺は厨二病だが大天才なんだ! 頑張って運命に抗ってやる! 絶対にバッドエンドは回避してやるからな!
そう決意してから、毎日のように館を探索して、遂に見つけた。ママの着替えシーンのお宝映像!
……あ、違う。兵法書や物語などの巻物だ! ゲームも漫画もアニメもないこの時代には、エロとロマンの塊であるこれらが、一日中暇を持て余している三歳児にとって唯一の娯楽となる。
俺はちょっくら親父の書庫から失敬して、畳の上でゴロゴロ寝転がりながら読み解いた。当時の巻物は、現代の書籍のようにページをめくるのではなく、広げていくものなので、最初は戸惑ったが、すぐに慣れた。
ここで生きてくる三種の神器【速読】・【記憶術】・【漢詩知識】・【和歌知識】スキル!
あっ、四つあった。四天王か? いや、四天王は五人だぞ。
まあ、兎も角、それらのスキルが本当に凄いんだ。俺の【智力】がカンストしているからか、【漢詩知識】・【和歌知識】が、古典的文法や仮名遣いと単語を、脳内で即座に現代語訳してくれている!
意識しなくて良いんだよ。自動的に勝手に変換されるから。まるで、脳内に高性能な翻訳アプリがインストールされているかのようだ。これぞ、神だね。チートスキルだわ。
それを、【速読】スキルで超速で読み取り、【記憶術】スキルで海馬に刻み込まれる。一度読んだら二度と忘れない。まるで、俺の脳がSSDになったかのような速度で情報が蓄積されていく。
読めば読む程、天才になっていく感覚がした。これは、まごうことなき俺だけのチートだ。
このスキル、学生時代に欲しかった。英語とか丸覚えしてTOEIC満点余裕だっただろうに。
館にある『孫子』や『呉子』、『六韜』や『三略』といった、当時の名だたる兵法書を完全読破するには、約一年の年月が掛かった。
しかし、そのおかげで、兵法というものを十二分に理解できた。書かれている内容は、現代の軍事戦略の基礎とも言えるもので、この時代にこんなに高度な知識があったのかと感心した。
兵法書を勝手に持ち出した当初は、親父さんも横から説明を挟んで、
「まだ、難しいよな」
と、笑っていたが、俺が何となく要領が掴めた数ヶ月後の『房基の兵法講座』では、質問の内容が的を射すぎていたのか、親父さんの評価は一変した。
質問というよりは、俺が兵法書の矛盾点や、より効率的な戦術について問いかけた形になったのだ。
更に、数ヶ月後には愈々親父さんを論破し出す始末。すると親父さんは、俺の才能を見込んでか、わざわざ兵法指南の先生を付けてくれた。先生は、最初は四歳児の俺に兵法を教えるということに困惑していたようだが、俺の理解の早さと、既存の兵法書にはない斬新な視点に、すぐに前のめりになった。
そして、先生のお陰で更に読み進めるスピードが上がり、遂に手元にある全ての兵法書を読破し終えた。
その後、兵法書に記載されている時代遅れな精神論や戦法を省き、塹壕戦や電撃作戦などの近代戦の知識も盛り込んだ独自の兵法書を編纂すると、親父さんも先生も、目を丸くして錯乱していた。彼らは俺の才能に驚き、恐怖しているようにも見えた。
幸いにも、鉄砲は俺が生まれた年に種子島に伝来しており、それを用いた戦術についての考察も不自然ではなかった。なんと言っても、かの織田信長だって長篠の戦いで『馬防柵』と『三段撃ち』という、ある種の塹壕戦に近い戦法を使ってるからね。やっぱ信長SUGEEEEE! 俺も彼に負けないくらい、いや、それ以上のことをやってやる。
【一条房基視点】
1547年。
六年前、父である房冬の死後、一条家の家督を継いだ儂は、昨年、津野氏を降伏させ、大平氏の本拠地である蓮地城を得た。土佐における一条家の影響力は着実に増している。それはそれで物凄く良いことではあるが、何よりも、我が息子を得たことが大変喜ばしい。
三歳となった息子は、突然、兵法書を読み出し始めた。それも、ただ読むだけでなく、内容を深く理解している。最初は儂も遊びだろうと微笑ましく見ていたが、その理解度は尋常ではなかった。まるで、幾度も戦場を経験した老練な軍師のようであった。まさしく麒麟児だ。
天下広しとは云え、四歳で独自の戦法を編み出す少年など、儂の息子、ただ一人であろう。儂が、
「これはどう思う?」
と、尋ねると、彼はまるで大人のように考え込み、時に儂ですら思いつかないような奇抜で、それでいて理にかなった策を口にする。
先日は、
「私が生まれた瞬間、『天上天下唯我独尊』って言ってませんでしたか?」
と、冗談を言いつつ、備中鍬や千歯こき、足踏み式揚水機や千石とおしといった農具について献策してきおった。しかも、その説明は驚くほど具体的で、既存の農具と比較してどれだけ効率が良いかまで淀みなく語るのだ。
更に、海水に種籾を入れて沈むものだけを植えることや、苗まで育てたものを、形を四角に整えたの田に、縄を使って等間隔に植えるという、苗代と田植えの均等化についてもだ。これは間違いなく収穫量を増やすだろう。
麒麟児は何を言い出すか見当もつかんが、道具や農法に関しては確実に使えるであろうと儂も思う。息子も息子で太鼓判を押しておった。
但し、彼奴は名付けの才が無い。何故、備中鍬なのだ?
此の地は土佐であるので、備中鍬から土佐鍬に名称を変更し、各種一つづつ城下の鍛冶師に作成を依頼した。後は、これらを使って百姓の三男、四男を集め、未開の農地を耕させれば良い。新たな土地が拓かれれば、それだけ領国の力も増す。
更に、漁業についても、網漁法、特に地引漁と船引漁を推しておったな。鰹と鯨を沢山採るようにと言っておった。特に鯨の脂はとても良質な燃料となる。土佐を夜でも明るい光の街にしましょうと、夢見るように笑っておったな。鯨油か……面白い。
又、塩業についても、流下式塩田という方法を話しておったぞ。十三間の長さの水を通さぬ緩勾配の地盤の表面に散砂を置き、上部から海水を流して水気を飛ばし、下部に濃縮塩水を集める。更に、三間の高さに枠を組み、これに竹の小枝を掛けた枝条架式濃縮装置という物を組み合わせるものであるらしい。
全く見当もつかんが、凄まじく効率が良い。彼の瞳は未知の技術について語る時、いつも以上に輝いていた。決して彼奴の上目遣いにやられた訳では無いが、ひとまず羽生あたりに相談してみるとするか。この天才的な息子がいれば、土佐一条家の未来は盤石であろう。
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