京の春と土佐の決断
1556年、正月。
京の都は、新しい年の訪れを告げるかのように、ひんやりとした朝の空気に包まれていた。御所の庭には、まだ枯れ木が目立つものの、そこかしこに春の訪れを予感させる小さな芽吹きが見える。
俺は、土佐に居る親父へ宛てた文を、丹念に書き綴っていた。筆の走る音が、静かな部屋に響く。
「父上。本山氏討伐と新年明けましておめでとうございます。今年も宜しゅう御願い致します。土井宗珊にも宜しく伝えておいて下さい」
文頭に祝いの言葉を並べながらも、俺の胸中は、この戦国の世をどう生き抜くかという策略で満ちていた。京の都の空気は、土佐とはまた違う、独特の雅やかさと、そして底知れぬ権謀術数が入り混じったものだ。
「さて、私は今、京都におります。此処、京の都は、素晴らしい。感無量で御座いますね」
そう記しながら、御所のきらびやかな装飾や、京を彩る雅な文化を思い浮かべる。この都は、まさに時が止まったかのような美しさだ。
「帝も一条本家の女子衆も良しなにして頂きました。勿論、官位は受け取っておりませんし、父上の官位を強請っておきました」
先日、後奈良天皇に謁見した際のことを思い出す。天皇は俺の提示した品々に目を輝かせ、その教養の深さに感嘆していた。一条本家の女性たちも、俺の気遣いに笑顔を見せてくれた。
「父上も、いい加減、土佐・伊予の権守を受け取って下さい」
そう、親父の官位は未だに阿波権守だ。三好氏の領地である阿波ではなく、我らが一条家の本拠地である土佐と、征服したばかりの伊予の官位を得るべきだと、朝廷に圧力をかけておいた。
「毛利元就を殺したので毛利は弱体化しました」
あの夜の奇襲作戦は、まさに完璧だった。宿に響く火縄銃の轟音、燃え盛る炎、そして混乱の中、討ち取られた毛利元就の姿。俺は、毛利元就の首を尼子氏に送りつけ、こう嘯いたのだ。
「尼子に首を渡した後、三好氏と尼子氏は同盟を組んでいると嘯いておきました」
京の都では、その噂が瞬く間に広まった。毛利元就の首という動かぬ証拠がある故、尼子も三好氏も、身に覚えがないにも関わらず、まるで同盟を組んで奇襲を仕掛けたかのように世間に揶揄されている。
「両者は否定していますが、実際に毛利元就の首がある故、尼子も三好氏も同盟を組まざる得なくなって両者の間に緊張が走っております。双方、共に身の覚えが無いのにも関わらず、襲撃をしたと、京で揶揄されております故」
これで、中国地方と畿内、それぞれの覇権を狙う両雄は、互いに猜疑心を抱き、牽制し合うだろう。まさに、漁夫の利だ。
「ですが、先日お伝えした毛利本家の子、三本の矢は皆生きておるので、私の想定していた程、毛利は弱体化しておりません」
そう、小早川隆景、吉川元春、そして毛利隆元。彼らはまだ健在だ。毛利元就が死んだとはいえ、彼らの結束力は侮れない。
「引き続き、陶晴賢と尼子氏の東西挟み撃ちにあってボロボロになって貰うつもりです」
これで毛利は、内憂外患に苦しむことになる。俺の望みは、毛利家が出来るだけ早く没落することだ。
「私も来年から、逆賊陶晴賢の討伐連合を率いる総大将として表向きは毛利氏と河野氏と共闘します。北は私にお任せ下さい」
これは、毛利の残された者たちへの揺さぶりだ。
「事実、小早川隆景も吉川元春も気付いているとは思うので、暗殺なり粛清なり致します」
彼らが生きていては、俺の計画の邪魔になる。京の夜は更け、月明かりが部屋に差し込む。その光の中で、俺の瞳は冷たく輝いていた。
「ですから父上には、陶晴賢討伐が終わる前に、朝廷に手回しして、毛利元就の敵討ちを許可する勅令を毛利氏に出して頂きとう御座います」
これさえあれば、毛利は動かざるを得ない。瀬戸内海側の三好勢力は毛利に任せて、親父には四国の南側から三好家を追い出してほしい。
「南については、基本的に父上にお任せしますが、一つだけ私のお願いを聞き入れて下さいませんか?」
そして、最も重要な、だが、最も困難な要求を記す。
「今年、齢十八の長宗我部元親の殺害」
俺は、ペンを握りしめる手に、さらに力を込める。
「大切な事なので二度記します。長宗我部元親の殺害」
この男だけは、何が何でも、この世から消し去らなければならない。
「これだけは必ず行って下さい。どんな手を使ってでも構いません。毒殺なり火縄銃による狙撃なり、難癖付けて斬首刑なり。兎も角、長宗我部元親だけは、どうか殺して下さい」
彼の存在は、一条家にとっての禍根となる。
「今は姫若子と貶されて呼ばれておりますが、何れ、奴は一条家を滅ぼす蛮族と成ります。禍根は残さぬ様に。源頼朝を生かした平家と同じ過ちを犯さぬ様にお願い致します」
史実の悲劇を繰り返すわけにはいかない。長宗我部元親を野放しにすれば、一条家は滅びる。それは、未来を知る俺だからこそ、断言できる真実だ。
「その長宗我部に攻め入る為の大義でありますが、長宗我部氏が、香宗我部秀通に実子が居るのにも関わらず、長宗我部国親の三男、親泰を養子に入れて、香宗我部氏を乗っ取ろうと画策しております」
この時代の常套手段である養子による乗っ取り。これを利用しない手はない。
「香宗我部秀通とその実子を此方側に手引きし、彼等の正当性を掲げて、長宗我部氏を滅亡させて下さい。出来るのであれば、断絶も宜しく御願い致します」
徹底的に、長宗我部の血筋を断つ。
「先々代の事等を考えて手を緩めては成りませんぞ!今は戦国乱世、過去の事など忘れてこの土佐一条家の為にご英断宜しく御願い致します」
文を結び、俺は改めて、この文が親父に与える衝撃を想像した。きっと、怒り狂うだろうな。
「ヴァイ 貴方の愛する息子より……」
悪趣味な冗談を添え、俺は文を畳んだ。
土佐、中村城の執務室。障子から差し込む冬の光が、部屋の隅々まで行き渡る。だが、その光景とは裏腹に、房基の顔は、息子からの文によって、まさに鬼の形相と化していた。
「……じゃと。なんじゃ、この言葉遣いは。舐めおって」
房基様は御立腹の様子である。その怒りは、書状の端々から見て取れた。これはいかんと、儂、土井宗珊は、恐る恐る声を掛けた。宗珊の顔は、深い皺が刻まれ、その目は、長年の経験と知恵を物語っている。
「ですが殿、若様は敢えて傾奇者を演じる事によって、殿からの……」
言い切る前に、殿から怒鳴られた。
「分かっておるわ!それに、彼奴が、"絶対"とここまで念押しに殺してくれと、具体的に名前を挙げてまで頼み込む事は相当珍しく、我らに危惧せよと言っておる事もじゃ!じゃが、和歌はあれ程まで良う出来る癖に、文になれば言葉が荒れるのだ。よう分からんぞ」
房基様の苛立ちも無理はない。確かに殿の仰る通りだ。若様は、それだけでなく、茶器や舞踊にも教養を示され、笙の演奏も中央の者に負けないくらい御上手だ。その佇まい、その言葉遣いは、京の公家顔負けの優雅さを持つ。それなのに、なぜ文になるとこうも荒っぽい言葉遣いになるのか。宗珊は首を傾げた。
「それは……此方が素なのでしょう」
我ながら名推理だとは思ったのだが、やはり怒られてしまった。
「尚悪いわ!」
房基様の怒声が、部屋に響き渡る。だが、その声の奥には、息子への深い信頼と、そして心配が入り混じっているのが見て取れた。それは兎も角、殿の仰る通り長宗我部氏に対してどう当たるか決めなければならない。
恐らく、若様は我々に期待はしておられぬであろうから、影丸とやらに長宗我部元親殿の暗殺を命じているだろうが。
「殿、如何されますか?」
宗珊が問いかけると、房基は深く息を吐き出し、重々しく口を開いた。彼の表情は、一瞬にして険しくなった。
「うむ。彼奴の言う事ばかりに従うのは癪だが、香宗我部氏は元は我ら一条家の家臣の家。救ってやらねば成らぬだろう。無論、彼奴が恐れている長宗我部国親・元親親子は討つ。先祖からは疎まれるであろうが、この一条家と我が子の為じゃ。あの世で儂から説明すれば祖父も分かってくれる筈じゃ。彼奴の陰陽道は先見の明じゃとな」
房基の言葉は、覚悟に満ちていた。その決断は、一族の未来を見据えた、苦渋の選択だ。
「はっ!それでは」
「うむ。戦の支度をせい!」
「はっ!」
宗珊は、力強く返事をした。子や孫の代への憂いを断つ。その為にはどれだけ恨まれようとも、鬼になって国親の首を取ると、房基は静かに呟いたのであった。彼の瞳には、冷たい決意が宿っていた。
一方、その頃。安芸の地は、冬の寒風が吹き荒れていた。毛利元就が討ち取られたという報は、瞬く間に毛利家中に波紋を広げた。
毛利元清を初めとする毛利元就の側室の子供達は、一条鎌房からの支持を得て、毛利隆元と対立していた。まだ4歳である元清にそんな政治的反乱の意味は分からず、一条家の調略の手が罹った家臣達に良い様に使われていた。彼の幼い瞳は、ただ、周囲の大人たちの顔色を伺っているだけだ。
毛利にとっては逆臣にあたる彼らの中には、毛利元就によって強制的に隠居させられ、挙句に養子の元春に家督を奪われた吉川興経やその忠臣、小早川繁平や田坂義詮等が居る。
歴史を知っている俺は、1550年に毛利元就によって一斉に粛清されるはずの彼らを、土井宗珊の名で文を書き、一条家で匿うからと、土佐に逃がしたのだ。もう、これが土井さんが怒る怒る。俺が何とか説得できたから良かったけどさ。本当に大変だったんだぜ。それでも、5年の年月を経て、漸く彼らが役立つ時が来た。
俺達を大阪湾で降ろした毛呂智舟は、何故、俺が帰るまでそのまま停泊しなかったのかって?それは、再び堺で商いをする為に土佐で商品を再調達したり、後奈良天皇の崩御と、新たに皇位を継承された正親町天皇に挨拶をする為の贈り物を運んだり、途中で安芸に寄って匿っていた彼らを元の土地に帰す為に彼らを運ばねばならなかったからだ。
もちろん、1557年に崩御なさる事は知っていたので、無理矢理、瀬戸内海に戻るのを長引かせたのだ。毛利元就と同じタイミングに乗っていないのは、見つかると困るからである。つまり、何事にも訳が有るのだ。伴天連の船と帝にとやかく言われるのも嫌だったからな。
まあ、元就亡き後、彼らがどこまで内乱を発展させてくれるかは、俺に対する恩義がものを言うだろう。毛利元就亡き毛利家は、尼子晴久や陶晴賢等の外敵に含め、内部にも危険を孕んでいる。出来るだけ早く没落してくれ。
そう思いながら、逆賊陶晴賢討伐連合軍を率いる俺であった。冬の空は、どこまでも広く、その下で、新たな戦の幕が上がろうとしていた。
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