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読んだ本の記録  作者: 萩尾雅縁
【精神分析・心理学】
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「人間の本性 ウィニコットの講義録」その1(精神分析)

 英国の小児科医で精神分析家であるウィニコットは1971年に亡くなるまで20年以上にわたって、定期的に幼児教育や社会福祉専攻の大学院生に向けて、人間の心の成長と発達についての講義をおこなった。本書はその講義内容を学生の反応や自らの経験を通じて修正をつづけ、死に至るまでくり返し改訂を加えた、ウィニコットの遺稿である。人間の本性(人間性)といった哲学的な問いに対して、臨床家としてのウィニコットの考察が凝縮された含蓄に富んだ作品となっている。




「エートス」の資料として読みます。やはりウィニコット私にとって特別で、ページを繰るだけでどきどきする。「エートス」のバニーの見解にはウィニコットを散りばめたい。


「子どもの身体は小児科医の領域である。

 子どもの魂は教会の牧師の領域である。

 子どもの精神は力動的な心理学者の領域である。

 知能は心理学者の領域である。

 心は哲学者の領域である。

 精神病を求めるのは精神科医である。

 遺伝は遺伝学者の領域である。

 社会環境が重要であると主張するのは生態学者である。

 社会科学は、家族状況や、家族と社会、家族と子どもとの関係を研究する。

 経済学は、矛盾した要求が引き起こす緊張と歪みを研究する。

 法律は、反社会的行動に対する公衆の復讐心を調整して、人間的なものとなるように干渉する」


 人間の本性を観察するにあたって、ウィニコットは「子どもの研究」を通じて行う方法を選んだ。どこに行けば子どもは見つかるか。


「さまざまな視点からもたらされた見解を、一つの総合的な論述にまとめるべく努力する」「考えうるすべての接近の仕方に親しんでおいた方が望ましい」


 最初に

 ・周囲と原初的な融合状態にあったところから人間が出現し、自己の存在を主張し始め、自分を排除していた世界のなかにいることができるようになるのか。

 次に

 ・どのようにして一つの実体としての自己が強化され、身体に結びつき、身体的なケアに依存した存在としての、また、一つのユニットとしての自己が出現する場所として、存在の連続性が生まれるのか。


 ・自分が依存していることの認識が生まれ(そしてこの認識は心の存在を意味するのであるが)、幼児が身体的なケアとニードに対する適切な反応を通じて知る母親への依存可能性や母親の愛情についての認識はどのようにして生じてくるのか。


 ・どのようにして心の機能や衝動を、それがクライマックスに達することがありうることも含めて、自分のものとして受け入れるのか、また、母親が自分とは別個の人間であることを少しずつ認識し、それに伴って無慈悲な心性から思いやりの心への変化はどのようになされるのか。


 ・どのようにして第三者がいること、愛と憎しみとは複雑に絡み合っていること、情緒的な葛藤があることを認識するようになるのか。どのようにしてすべての機能に関して、想像力を働かせることを通して、自分であること全体が豊かになるのか。


 ・そして、こうしたことすべてに伴って、どのようにして人間は周囲から徐々に独立するようになり、その結果として社会化されるのか。




「今日では、身体疾患の診断と治療の進歩に伴って、身体病に対する対処法を完全に身につけた医師たちが、不安といった要因や家庭での取り扱いの失敗によって、身体機能がどのように障害を受けるかを検討するようになっている」



「精神疾患は情緒の葛藤に因る」

「人生はそれ自体が困難なものであり、心理学は個人の発達と社会化の過程に本来備わった問題に関係している」




 第1章 精神ー身体と心


「身体physical」対語「精神mental」、「心mind」は特別な次元を持っており、精神-身体機能の特殊な例。


 ・身体的な健康


 ・精神の健康  =情緒発達すなわち成熟の問題。「個人は成熟することによって、徐々に環境に責任を持つようになる」


 ・知能と健康 知能の基盤は脳の質にある。

 知能は病的な精神によって歪められることがある。それに対して、精神はそれ自体病気となりうる。

 知能に関する限り、成熟が健康であり健康が成熟である、ということはできない。



 第2章 不健康


 精神的な不健康 

 →神経症 家庭生活に含まれる対人関係のなかから問題が生じ始めるが、子どもはその時点では2~5歳である。

 →精神病 より早期に、すなわち、子どもが全体としての人間として他の人びとと関係できるようになる前に、発展し始める病的な状態に与えられた名前。


 情緒発達の障害が始まったのはいつかということを考慮する。


「臨床的には、病気の子どもでさえ、常に不安なわけでもないし、常に気が狂っているわけでもない」

「通常われわれが直面するのは、成功した、不安に対して組織化された防衛であるが、診断するにあたってわれわれの関心が向くのは、その防衛は成功しているのか失敗しているのかということであり、また、防衛のタイプである。また、脅威を与えている不安の種類を知ることである」


「防衛は鬱病に、すなわち、それ自体無意識であるか無意識の事物と関係する罪悪感に属する希望のなさに向けられたものかもしれない」

「そしてまた防衛は、外的現実との接触が失われる恐怖や、カオス的な崩壊の恐怖に対して向けられたものかもしれない」




 第3章 身体疾患と心理的な障害との内的ー相互関係


「身体とその健康が精神に及ぼす影響」


 ・遺伝


「精神は身体的に機能していることを想像力で補うこととして始まる。その最も重要な役割は、過去の経験、潜在的な能力、現時点での認識、将来への期待を結びつけるものである。このようにして自己が存在するようになる」


 遺伝形質によって精神療法は限界を設定されることになる。


 ・事故


「物差し一端には、純粋に偶然の出来事がある一方で、反対の端には事故に遭遇しやすさという、精神障害としてはうつ病群に属する状態がある。同様に、不当な扱いを受ける者のなかには、迫害されるニードを持つ者が常に含まれ、この迫害されるニードは、パラノイアと呼ばれる精神疾患の基盤となるものであるが、幼児期の驚くほど早期に、実際には生後非常にすぐに現れるのである」


 パラノイア。迫害されるニード。内的世界への引きこもり。



「精神が身体とその機能に及ぼす影響」


 本能が自由であることは、身体の健康を増進させる。正常な発達においては、本能に対するコントロールを増大させるために、身体が多くの面で犠牲にならなければならない。本能の自由は子どもの社会化の過程において通常制約を加えられるもの。


 本能の要求と、外的現実、社会、良心による欲求との間の妥協は、被害を最小限にすることによって果たされる。


  他方、抑圧された無意識において、衝動と自我理想との間に葛藤がある場合には、結果として起こる制止、不安、強迫はより盲目的なものであり、環境に対する適応能力も低く、身体および身体の過程と機能に対してより有害なものとなる。


 子どもの身体は、大きなストレスに耐えられるようにできている。しかし、まったく同じストレスが成人の時期まで引き続いた場合は、徐々に非可逆的な身体変化、たとえば、本態性高血圧、消化管粘膜の一部分の潰瘍、甲状腺の機能亢進症などが生じる。




 第4章 精神(心)ー身体の領域


「人間性は、単に心と肉体の問題なのではない。それは精神と身体の内的な関係の問題であり、心は精神ー身体の機能の縁で活躍する」


 全般的な興奮 =準備状態、絶頂、回復期の三相によって特徴づけられている。


「いったん全体としての精神が受け入れられると、生理学は欲望と怒りに特異的な変化や、その人間に特異的な、念入りに仕上げられた空想の一局面としての、愛、恐怖、不安、悲しみやその他の感情に関係するようになる」


 →精神ー身体の研究者は、意識的、無意識的空想に関心を向ける。

 すべての身体的機能を想像力で補おうというもの。


 行動の解剖学と生理学に、その個人にとってのこの行動の意味の理解が付け加えられる。その行為をした個人のそれぞれにとって、異なったものとなる。



  疾患理解には、あらゆる程度と理解のすべての心理的な疾患にふれなければならず、人生に本来伴う内的な葛藤を含めて考えなければならない。こうした葛藤は本能の統御のために、また個々の人間個人が徐々に社会化していく過程で生じる衝動とのパーソナルな妥協のために本質的なことであると思われる。


 情緒発達は苦痛であることが正常であり、それは葛藤によって協調される。


 人間の精神的な部分は、身体、外的世界との関係、内的な関係と関わっている。

 あらゆる種類の身体機能について想像力によって補うことと記憶の集積とを基盤として、精神は(脳の機能に特異的に依存することによって)、経験された過去と、現在と、予期される未来とを結びつけ、人間の自己感覚に意味を与え、身体のなかに個人はあるというわれわれの認識を正当化する。


 このような方法で発達する精神は、外的な現実と関係するための位置を占める何ものかとなり、質的にも充実して環境から影響を受けたという説明で事足りる以上のものとなり、適応することができるばかりでなく、適応することを拒否することもできるようになり、選択する能力として感じられるものが備わった存在となる。


 早期の段階では、適応的な環境に対して依存する部分があまりにも大きい。

 成長因子は取るに足りないものとみなされる。


 身体の発達においては、成長因子はより明確。

 精神の発達においては、すべての時点において失敗が起こる可能性があり、環境による適応がある程度失敗することによって歪曲のない成長など、実際のところありえないとさえ言える。



 第Ⅰ部ここまで。





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