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読んだ本の記録  作者: 萩尾雅縁
【精神分析・心理学】
5/47

「対象関係論から見た自己心理学 (イマーゴ96-6)」(精神分析)

  【福本修のホームページ】より


「対象関係論から見た自己心理学 (イマーゴ96-6)」を読んで。

 ラカンが対象関係論をどう取り入れていたか調べようとしていて、たまたま行き着いた記事。面白かったので。

 ロンドンで、自己心理学が関心を持たれない理由としての、対象関係論との類似と相違点について。




 まず「自己心理学」とは(ウィキペディアより)


 自己心理学(じこしんりがく、英: Self psychology)は、ハインツ・コフートにより創始された精神分析学。


 概要

 自己心理学では健康な自己というものが想定されており、健康な自己は幼少期に母親や父親からの反応によって形成される「野心―才能・技能―理想」によって円滑に動いていると考えられている。それを「三部構成自己」と言う。この三つの部分のいずれかが壊れていると、人間は精神病理に陥るのであり、またこの三つの部分が円滑に上手く働いているのであれば、自己は健康的で創造的な活動を行う事が出来るとされている。


 自己心理学ではこの三部構成自己を通して、患者の自己の病理を把握していく。その際に自己のある部分が損傷しているならば、患者は自己対象転移と呼ばれる特殊な欲求を露にすると考えられている。その転移に適切に反応し、さらに共感によって自己の損傷している部分や病理を探求していくのが自己心理学の治療である。



 ちなみに、

「自我心理学」は、アンナ・フロイトによって創始された精神分析の一学派。もしくはジークムント・フロイトの展開した心的構造論に基づく精神分析を指す。(これもウィキペディアより)




 ここから本文より抜粋


「一つには、<アメリカ流の生活the American way of life>に対するフロイトの懐疑を典型とするように、現実適応に価値を置くアメリカ文化に対する一般的な構えが反映しているかもしれない。この場合、自己心理学が彼らの考える意味で精神分析的ではないという前提があることになる」


「カーンバーグKernbergはコフートの治療を、本質的に支持的と見なしている。もしそうならば問題は、何を支持しているかだろう」


「自己心理学は、コフートを中心とするシカゴ学派が六十年代から七十年代に掛けて徐々に発展させた。社会学的見取り図を言うとこの時期には、アメリカの自己像の内包する矛盾が明らかになり、誇大的な理想をそのまま維持することは難しくなった。<自己Self>の傷つきを癒し、野心ambition・技能skill・理想idealをその成熟した姿の要素として改めて肯定する自己心理学は、自己を常に進歩と達成に駆り立てる開拓者の不安frontier spiritを理解することよりも、現実とのギャップを微調整する役割を任されたのかもしれない」


「没落不安の裏返しであるときに突出する民族主義との同一化を除けば、ヨーロッパにはおそらくこのような誇大的自己像もそれを満たす社会的期待と圧力もない」


「(ちなみに乳児の観察でも、強調される点は非常に異なる。タヴィストック方式が不安とその防衛・脆弱性をまず見るのに対して、より「科学的」な観察は、赤ん坊の潜在能力と達成を強調する。)」



 これは、イェール大心理学講座やオーストラリアの大学の臨床心理学講座を受けた後の感想が似たような感じだった。ここで望まれている、目指している治療は、good worker 生産性のある労働者に立ち返ることのように思えて。個性化や自己実現とは違うように感じた。心理学に対する不信感とともに、誰のための臨床心理学って疑問に思った。

「現実適応」その現実を言い表す言葉が、good worker な気がして。



 ・イギリスの臨床家


「元々イギリスではパーソナリティを多様な対象関係を含むものとして理解しているので、その障害を幾つかの固定的な特徴によって捉えることはない」

「倒錯の研究者ソッカリデスCharles Socaridesが講演に来たときも似たような反応で、異常者を正常者から峻別し分類する彼の「医学的」な態度にみな驚かされていた」



【コフートとウィニコットの類似点】


 ・欲動論からの脱却。性欲動はもはや葛藤と病理の主な源と見なされていない。攻撃性も一次的なものではなく、欲求不満からの派生物。

 ・重要なのは、依存の正当な位置づけ。

 対象からの完全な独立を人間のあるべき姿とはしない。

 ウィニコットは絶対的依存の状態から相対的依存、独立に向けた段階を認める。

 コフートは自己対象との成熟した関係を認めた

 =環境の重視。

 グロットスタイン:「背景自己対象」と「対人関係自己対象」

 ウィニコット:「環境としての母親」「対象としての母親」に対応。


 ・「自己」とその成長。

 コフート:「自己愛パーソナリティ患者」が示す誇大性は、対象の自己対象機能不全のために病理的に肥大した現象であり治療的に発達が促される「真の自己」ではないという意味で、一種の「偽りの自己」である。

 彼は決して患者の誇大性を助長しようとしているのではなく、場面によっては、むしろ達成がもたらす不安の方に共感。


 ・治療において

 中間学派:「環境の失敗」という外傷状況が治療の中に反復される。

 コフート:治療者の共感不全を主に取り上げる。

 共感或いは感情移入empathyがしばしば理想化され、治癒の唯一

 の因子として捉えられている印象を与えることがあるが、それ

 が相手に代わって内省を行うことで内界を理解しようとする道

 具であり、受容を中心としつつ相手からのフィードバックの過

 程をも含むならば、十分に限界が弁えられて、極めて妥当なも

 のである。

 波長を合わせることattunementは、どのような流派の治療的関

 係でも基本なはずで、治療場面でまず交流を経験して、それか

 ら必要なとき解釈が加わる。


 コフート:「変容性微小内在化transmuting micro-internalization」と呼ぶ、感情移入に基づいて傾聴しエス・自我・超自我といった心のマクロ構造ではなく、ごく僅かずつ患者の自己の欠損を取り上げ解釈によって新しい構造を作り出す作業は、対象関係論の精神分析と基本的には変わらないかもしれない。


 対象関係論:解釈の量はそれほど多くはないし、少なくとも再構成的な解釈は、むしろ稀。いわゆるhere & nowの転移解釈が少なくて、転移以外の場面についての解釈が用いられる点ではおそらくそれほど違和感がない。


 コフート:対象の情動的特質(自己対象機能)にあくまで重心をおいて、自己-自己対象関係が成熟することでこの対象がより客観性・現実性を増す点を重視しない。

 コフート:「適量の欲求不満と解釈を通じた変容性内在化」=ウィニコットの「対象の生き残りと自己の脱=錯覚disillusionment」を中心とする治療機序と同質。

 治療を通じて現れるようになる、

 コフート:創造性・感情移入能力・ユーモアのセンスなどを含む自己愛の成熟した形

 ウィニコット:移行領域

 に近いかもしれない。(信仰・自由意思・道徳の問題も扱う点は、ユングに近いところもあるかもしれない。)


 非行傾向の患者を愛情剥奪から理解したウィニコットの見方と、コフートの自己愛行動障害の理解とは重なるようである。



 コフート:自己と自己対象の関係

 ウィニコット:赤ん坊と母親のユニット


 を強調することで、エディプスの三者構造が見えなくなる点も似ている。


 母子を初めから分離した個体とする(但し投影・摂取同一化によって両者は実質的に交錯している)クライン派の考えでは、母親の乳房と赤ん坊の口の関係を調整する乳首という形で、最初の授乳の場面に既に三者関係の萌芽が認められる。ウィニコットでは背景にいたはずの父親がどう登場するのか明確ではない。コフートでは、両親や養育者が自己対象機能を担う外的対象として考えられているようだが、それら諸対象の間の関係は患者の世界の中で問題になっているようには見えない。


 実のところ、コフートが対象について論じている部分は少ない。彼の初期の独創性は、自己愛の発達ラインを対象愛のそれと並行して独立に考えたところにある。しかしそのために、

「自己と対象が対象関係単位のどちらの配座を占めることもある」という対象関係論的な見方から遠くなっている。

 彼は“良い”自己対象を三種類挙げていても、“悪い”自己対象には触れていない。反論はおそらく、心を実体化し具象化し過ぎるのを避けて、機能の水準で考察しているというものだろう。


「心は原始的水準ではそのように具象的に働くものだとするのが、対象関係論的な発達論である」



 そして【相違に関して】


 発達論の差異なんだけど、とりあえずウィニコットに関する抜粋。


 ・赤ん坊が対象をどう発見し世界をどう経験するか。

 ・「抱えることholding」を代表として論じた母親の機能は、コフートの自己対象機能(中核自己の形成はコフートでは2歳)よりも遥かに早期の自己の成立と発達に関わる。そしてウィニコットの母子は、共生的に見えても根本ではやはり初めから分離している(秘匿された「真の自己」)し、再融合は、もはや「中間領域」を介してしか可能ではないのである。


 ・対象患者の相違


 ウィニコット:小児科医、小児精神科医、精神病水準の患者の治療経験。精神病的なパーソナリティも扱おうとしている。

 コフート:精神分析の適用を古典的な神経症の患者から、彼の定義する自己愛パーソナリティ障害に広げた。境界状態と精神病はどちらも対象としていない。


 自己心理学的観点は、「支持的な環境を自己対象機能の提供に配慮しつつ整備するためには役立つ」それはウィニコットの管理分析management analysisに対応。



【クライン派との相違】

「クラインの投影同一化の概念がコフートの自己対象の概念と似ていると言うが、前者は生後数カ月の妄想・分裂ポジションの主要機制でありコフートの二才以後の発達論と対照はできない」

「クライン派独自の「内的対象」「無意識的空想」「内的世界」などの概念がコフートにはない」

「イギリスにおける病理的自己愛の主な研究者はクライン派。彼らの言う「自己愛パーソナリティ障害」は精神病の防衛を含む遥かに重い病理で、名称以外にはコフートの定義する群と一致点に乏しい」



【症例】南米クライン派の解釈


「この女性の分析者は、或る面接の終わりに、キャンセルの予定を患者に伝えた。次の回患者は分析者の促しに反応せず沈黙し、引きこもった。そこで分析者は「暖かく思いやりのある語調で」以下のように解釈した。分析者がいなくなると述べたので、以前には良い、暖かい、栄養を与える乳房だった分析者は今や、悪い、冷たい、栄養を与えない乳房となった、そして患者は自分の行動特に言葉を噛むこと、喋ることを抑制することで、分析者を引き裂く衝動から身を守っているのだ、と。コフートが驚いたことに、この「不自然な解釈」によって患者は自由に話せるようになり、顎の筋肉が硬くなっていたことにも気づいた。分析者を噛む空想も言語化し、良い関係を回復した」



 これに対するコフートの解釈。そして著者の解釈。そのなかから、この症例とは関係ない観点から、興味を引かれた部分の引用。


「想像を拡大して、患者にはスキゾイドの機制があるとしよう。概して、スキゾイドは孤高を保ち自分の内界に没頭しているというイメージがあるかもしれないが、「自分の内界」に見えるものは実は、自己愛的な投影を受けて変質した対象を含んでおり、彼らは空想によって、その世界で対象に潜り込み分離を否認している。「乳房」と治療者から聞いて、患者は自己の一部を彼が共有していると想像した治療者の世界の中に侵入させ、キャンセルは問題とならなくなる。結果として、分析は自己のあり方の理解ではなく、防衛強化に用いられる」


 あまり目にすることのない、スキゾイドの考察が新鮮で。分離の否認。そして、一見「解釈で簡単に良い関係を取り戻した」ように見えたものが、その実防衛にすり替えられているのではないか、という。


「この理解の仕方の背後には、まず理論的には「投影同一化」及び「部分対象関係」の考え方がある。更に大きな前提として、心の具象的な地図がある(メルツァーの言う<地理的次元>)。上に多少とも対応する例を考えてみよう。一才前後の赤ん坊を観察していて、その赤ん坊が本をぱらぱらめくったとしよう。文脈に応じてさまざまな理解ができるだろうが、一つは、赤ん坊が本に自分の心の一部を投影することで、母親の心の中に入っていると無意識的に空想している可能性である。そこでページを破ったとしたら、母親の中の赤ん坊への攻撃が想像される。このような理解は、赤ん坊についての認知心理学や神経生理学の科学的な所見を重ねても増える見込みがない。妥当性は、解釈を通して初めて明らかになる」


「対象関係論から注目すると、今度は患者の方が無反応な母親になっている、と見ることもできる。これをすぐに患者に指摘するかどうかは別問題で、スタイナーも言う通り、重症で傷つき易い患者には「分析者中心の解釈」から始めるのが一技法である。しかし、最終的に投影同一化は引き戻され引き受け直される必要がある。そしてそのためには、作動中の対象関係の両極が見えていなければならない」


「「変容性内在化」は自己と対象の両者を取り上げて変化させているだろうか。自己・対象を現実の世界のことではなく、表象内のこととして処理しようとする点では自我心理学と同じだが、コフートは自己の一部が自己の外部に位置づけられているような事態を想定していなかっただろう。だから、対象(自己対象)を理想化している自己の分裂排除されたものとして、被害的になっている自己をどこかに予想することもない。自己破壊的傾向の強い患者には、破壊性の陰性の極にコメントする必要がある。また、自己の諸部分が関係しあうという考えも持っていなかったようである。この考え方が有用なのは、現実の対人関係でのサドマゾを取り上げてもせいぜいが転移外解釈、悪くすると道徳的価値判断になるのに、患者自身の中で自己の或る部分と他の部分との間の葛藤とそれを眺めている第三者(=治療者)の問題となり、被害者が逆転して加虐者になること、それを現に自分が自分にしている可能性を論じられる点である。治療者が共感不全を起こしているように見える場面でも、この文脈では患者の対象関係が実演され、治療者を巻き込んで行動化live outしていると考えられる」


「自己心理学は、自己と自己対象との触れ合いという特殊な通路を使って構造欠損の回復を行う。しかし障害が重度の場合、当座に利用できる“良い”自己対象機能を見つけられず、或いは悪い関係に乗っ取られているので、自己対象転移が成立せず、治療の対象にならないのではないか。自己心理学は“良い”関係が優勢の場合有効だが、それ以外の場面では見通しを立てるのに使いにくい、というのが印象である」



 とても勉強になりました。

 自分の場合、「破壊性の陰性の極にコメントする必要」これが上手くできなかった。解釈としてコメントするべきだったんだ。解釈することにブレーキをかけていたからなぁ。このズレの修正を怠っていたことも問題。どうするべきだったか、に対して明快な分析をもらえて、かなりすっきりしました。




【転移について】


 コフート:転移は一種の発達過程で、自然に起きてくることである。

 解釈のタイミングは、「適量の欲求不満」或いは不全のあと。

 コフートの患者は比較的安定していてかつまとまっているので、こ

 のペースで間に合うのだろう。


 対象関係論:対象関係の瞬間・瞬間moment-to-momentの移行を含んでいる。

 イギリスで解釈のタイミングが早いのは、移りゆく乳児的水準の

 原始的転移をhere & nowで理解しつつ意味を与えていくから。

 治療者は患者が自己愛的延長と見なして病理的均衡equilibriumを外在化させる前に介入する。


「コフートで自己対象機能が徐々に取り入れられているさまは、治療者を含む外的現実を支持的環境として巻き込んだ、パーソナリティの再組織化reorganizationである」


「病理的均衡equilibrium」の外在化。これが、自分が取った意味と同じであるなら、なぜ自分がそんな行動を取ったのか納得できる。問題は、それを明快に言語化することを躊躇したことと、解釈として差しだすことをしなかったこと。


 コフート:自己と自己対象の間の自己愛的転移としての、鏡映転移・双子転  

 移・理想化転移。

 (晩年は)→原始的な融合転移merger transferenceからの自己の三

 つの方向への発展として理解。

 自己対象が呼応すべき自己対象機能として整理された。(過去を反復していないという意味では転移ではない)


 クライン派:理想化と迫害不安は連れだってやってくる。(患者の病態水準に関わりのない)

 自己心理学:それは陰性転移として扱わず、いわゆる陰性転移は、治療者側のこの機能の不全から主として理解される。


 融合転移が原始的であっても、


 ①自己の欲しない一部分を対象の中に捨てる

 ②対象を支配・攻撃する

 ③対象との分離を否認する

 ④前言語的な経験をコミュニケートする

 ⑤精神病的に瓦解した自己の構造を排泄する


 などの機能を持つ投影同一化とは、同じではない。せめて「良い」融合と「悪い」融合の違いが(自己対象の機能ではなく)患者の心的構造とどう対応しているのか知りたいと思うが、おそらくこのような観点はないのだろう。



 ・「良い」融合と「悪い」融合の違いが(自己対象の機能ではなく)患者の心的構造とどう対応しているのか。


 これは課題として考える。




 *****『自己対象転移(自己愛転移)』(ウィキペディアより)



 自己愛性パーソナリティ障害の患者に見られる特殊な転移であり、神経症患者やジークムント・フロイトの精神分析において発生する感情転移とは別のものとして現れるものである。


 理論的にはフロイトの転移という概念は、幼少期における両親に対してのリビドーや攻撃性を現在の医師との関係に再演することであるが、自己心理学で言う転移は、自己の損傷部分を回復させたり、自己を形成するために自然と発生する本質的なものとして捉えられている。特に自己が損傷している時にはこの転移を生じやすいと言われる。自己愛性パーソナリティ障害の患者だけではなく、人間一般にも広く見られる転移である。現在では論者によって様々な自己対象転移が想定されているが、基本的なものは以下の四つである。


 ・鏡転移(鏡自己対象転移)


 能力があり完全である自己をほめてもらいたいという欲求。そのような自分をほめてくれる他人を求め、そのような他人を自己対象とする。理論的には幼少期における誇大自己から派生したものであり、「私は完全である」という自己愛を満たすためのものとして現れる。しばしば母親の肯定的側面として子供には認識される。


 ・理想化転移(理想化自己対象転移)


 落ち着くことができたり自分の進むべき方向性を見出すことができるような他人を手に入れたいという欲求。そのような完全でもあり、理想的な親となってくれるような他人を自己対象とする。理論的には幼少期における理想化された親イマーゴから派生したものであり、「私は完全ではないが、あなたは完全である。そして私はあなたの一部分である」という自己愛を満たすためのものとして現れる。しばしば父親の動じない指針となるような立派な側面として子供には認識される。


 ・双子転移(双子自己対象転移)


 自分と同じような他人を確認したいという欲求。自己心理学においては比較的遅くに提唱されたもので、同じ言語を話したり、自分と同じ民族であるという感覚からこの自己対象転移が想定された。


 ・融合転移(融合自己対象転移)


 上記の三つの転移の前に生じる自己対象転移。自己と他人が融合している無境界な状態として現れる。

 これらの自己対象転移は自己の欠損や混乱を埋めるようなものとして機能する。自己対象からの適切な反応があると、患者の自己の中にある野心や理想が徐々に形成されるようになり、患者は自己をしっかりさせると言われる。


 *****ここまで




「それから、以上はいずれも二者関係に見えるが、そこに危険はないだろうか。コフート自身は、

 ・鏡映転移の中に母親による情動的な調節regulation--一種の包容containing--を含めていたり、

 ・過剰な理想化に対して隠蔽記憶の可能性

 を示唆したり、臨床的には優れた理解を持っていたようである。しかし彼の書いた言葉だけから理解しようとすると、誤解しかねない表現がある」



「その代表的なものは、鏡映転移である。この言葉は、彼の意味する実態を指していない。本当の鏡が提供するのは、自己が投影した像そのままである。これは母子関係で言えば、乳児に対して情動的に全く反応せず未消化でエコーを返す、抑鬱的な母親の場合である。コフートでは、単なる反復でなく変奏を含んでいる。精神療法においても、治療者が患者の投影像のままであれば、フロイトが『ダ・ヴィンチ論』で述べたような自己愛的対象関係を維持することになる」


「タヴィストックでうるさく言われることの一つは、

 ・精神療法の本質が自分と異質なものとの交わりsymbolic intercourseなことである。

 ・もう一つは、三者関係が常に最初から存在することである。おそらく単なる二者関係というものはなく、それを支える第三者すなわち『構造』が意識されていないだけである。


 二者関係の中では原理的に、患者がどこまで

 ・正しいか、

 ・迎合しているか

 ・不当な要求をしているか

 決め難い。二者関係の安定には、距離を何らかの形で調節する第三項が不可欠である。


 治療者の直観的な理解は、実は内的なカップルに基づいている。純粋な二者関係はむしろ病理的で、治療者がそう思うときは、


 ・現実を何らかの形で否認していないか、

 ・患者の病理によって万能的な母親の役割をとらされていないか


 考えた方がいいかもしれない」



 とても納得。スーパーヴィジョンの回答をもらったような気分。陰性転移を扱う上での注意点てんこ盛り。長い引用になってしまいました。




 

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