「イスラーム庭園」
「図説 イスラーム庭園」 フェアチャイルド ラッグルズ (著)
楽園という解釈以前に「自然」と「技巧」、「暗喩」と「現実」が共存し紡がれてきた庭園群。7~20世紀まで、世界81庭園を豊富な図面、写真とともに検証。 内容(「BOOK」データベースより)
「庭園とは、大地と宇宙との関りを、人が表現する重要な場である。そして冬の時季にも飢えることなく、翌年に蒔く種を収穫するために野菜や果物を栽培する。ありふれた日常生活の場でもある」
表現がとても好み。憧れる世界観。
イスラーム庭園、「胡桃」の中に使うのに調べたときはネットで手に入る資料がホント、少なくて。写真からのイメージだけで、こうしてみると結構いい加減に作っている気がした。
「地上の楽園」
正式な庭園のデザインは、派生形を別にすれば一種類だけ。
チャハール・バーグ(四分庭園)――中心軸となる十字に交差する通路によって四分割された庭園。
壁に囲まれた幾何学的な整形庭園。
「造園は、現世での勤しみとして始まった。自分を取り巻く空間を整備し、自然を飼いならし、大地の恵みを膨らませ、資源を配慮するためのわかりやすい地図を描く」
「人の手による自然の支配、豊穣の意味を象徴的に解釈する行為が生まれ、その結果、優れた庭園は、人による技術の勝利を、豊穣な大地は神の恵みを意味するようになった」
神学と史学はどちらも真実を探し求めながら、それぞれ投げかける問いと答えは異なっている。→歴史的な観点からの回答を試みる。
「地形の改造は、人間にとって最も強烈な経験のひとつだ。人間はその活動を通じて、宇宙に対する畏怖、死への恐怖や希望を感じる」
地表の起伏、地下水などの情報、周囲の景観。そこに庭園が築かれる理由は、紙の上の平面図では計り知れないんだな。
1 イスラームの風景 場所と記憶
「庭園や風景の概念は、とらえどころがない。どちらも空間や時間の中に位置づけられ、それでいながら一方にのみ属しているわけでもない」
「景観とは、石材や煉瓦や漆喰でつくられた不変の構築物ではない。それは動植物や人間に提供された住処として、生きた存在なのだ」
・建築学モデルでは景観や庭園を芸術作品と見なす傾向がある。
景観の形態、類型学、それが象徴するものや意義、建造者。――直線的な歴史的枠組みの中で解明。
・環境学モデルでは景観を機能的システムととらえる。
因果関係、自然の力と文化的価値とのバランスをとらえようとする。――時間的なコンテクストの中で。
景観は「空間の中に存在する物体であると同時に、時間とともに展開していく営み」
「何年も、時には何世紀もかけて、予想した姿になるよう設計された庭園はさらに成長し、成熟する」
「過ぎ行く時を表す最も強力でロマンティックな比喩は、荒れ果てた庭園なのである。その放置されたありさまは、損失、欠落、失われた時を意味する」
「景観は常に現実であると同時に記憶でもある。実際の場所というだけでなく、そこで起きたいくつもの出来事をしのばせる場所であり、回想を介して記憶や情景が、我々が戻ることのできない過去の出来事と置き換わる。過去を追体験することに最も近いのは、その出来事が起きた場所を訪問することだ。したがって記憶の中では場所は重要な役割を演じている。
「取り残された場所」=失われた愛
「人間の活動、しきたり、記憶などはそれらが生じた土地に対して意味を与える。一方でその解釈やシンボリズムといったものは、その土地にすでに備わった物理的特性によって規定される場合もある」
ちょっとしか読めてないんだけど、これ、またゆっくり読みたい。気になる箇所たくさんあった。