「人工知能と株価資本主義」その2(経済)
第5章 フィンテックとロボット化
産業革命前の生産性の低さと高い人件費に苦しむ英国と、今の日本が重なるという新聞記事に対して、
「ブルジョア革命によるギルド社会の崩壊局面といった歴史的大変動を制度論抜きの数量史のみで語る歴史認識には違和感を覚える」
高い人件費→省人化→より高度な機械化・産業革命へ
「変化に気づいた人はもう走り始めている」SNSの世界そのものか
数値が伸びたからそれが正解、というわけではない。何を失い、何を得たのか。目指す世界のヴィジョンは明快にしてほしいところ。
「こうした「生きた労働」への配慮を無用として排斥する心理を企業経営者のみならず、一般市民の中にもできるかぎり醸成したいという意図が、IT業界に芽生えつつある」
ヘンリーとボブの会食シーンでの会話で、こんなこと書いたな。
1920年に書かれたカレル・チャペックの戯曲「ロッサム万能ロボット」のロボット観。
キリスト教ベースではあるけれど、この粗筋、面白い。ロボットの担う世界で、人間は「恐怖」を忘れるくだりが。人間は退化し、子どもが生まれなくなる、とか。生活を担う負担がなくなる、あるいは少なくなると、享楽に溺れ子どもを育てる苦労をしなくなるって、先進国や経済的に豊かなアラブの富裕層の姿みたい。
ERP:企業の資源計画、基幹系情報システム
企業経営の基本となる資源要素(ヒト・モノ・カネ・情報)を適切に分配し有効活用する計画(考え方)。
「情報の一元管理」を目指す中枢部門。企業のあらゆる「ファンクション(業務内容・部課)()」に点在している情報を一か所に集め、ITを活用して業務の効率化を図る。
ERP指令下でRPAの導入
第6章 煽られるRPA熱
RPA:ロボットによる業務自動化 =デジタル・レイバー
コンピューターの操作画面に処理手順を登録しておくと、ロボットが業務をこなしてくれる。これまでの処理方法で行き詰れば、自ら学習して改善方向を見いだしてくれる。
「フロントオフィス」:顧客に直接対応
「バックオフィス」:その部門を後方から支援 人事・経理・総務情報システム管理部門
RPAが導入されるのは「バックオフィス」
「単純作業をAIに任せ、楽しい、やりがいのある業務、もっと感情を移入知的な作業に移ることができればすばらしい。
ことはこのように単純に進むだろうか?」
うーん、やっぱりヘンリーとボブの話のテーマじゃないか。ボブの業務を解析単純化して人員派遣というアイデアに対して、ヘンリーは、作業が単調にならないように、やりがいを組み込む、って言ったんだっけ。ここ、もっと具体的につっこめそう。
で、実際のところ、RPAはどこまでこなせる?って話と、スタートアップ企業やクラウドファンディングの危うさみたいな話。
第7章 簡素化される言葉――安易になる統治
ジョージ・オーウェルの「1984年」の「ニュー・スピーク」と現代のSNSの類似性
「AIロボットや車の自動運転技術の開発に突き進むIT専門家たちは、自分たちの輝かしい頭脳が、人びとから多くの働き口を奪い去ることを心の底では怯えながら、それでも技術開発を止めないだろう」
吉野(笑)。こんなこと、書いたなぁ。
「この二重思考によって、良心の呵責から逃れているからであると思われる」
二重思考の正当化、してるかなぁ、吉野は……。
「危機から脱出することが先決事項であり、その後に安全な操作方法を見つければよいという考え方」
強迫神経症的な、猛進。吉野は確かにそんな面がある。
・プラットフォーマー
短い情報が、「シェア」という言葉で人を動かし(フォロワーという名の観客の動員)「拡散」という要請、単純化・過激化したスローガンで人々の集団意識を意図的に増幅させている(違いの排除)。
その手法が、権力者にすり寄る目端の利く情報の仕掛け人に持ち上げられた無邪気な技術者たちによって開発され続けている。
手を替え、品を替えても、同じ中身の情報が、これでもかこれでもかと流され、人びとの意識が一色に染め上げられている。仕掛け人は、受け手の細かい個人情報の収集技術を高度化させ、意図通りに、人びとの意識を一定の方向に誘導する。
サイバー空間が世論の大きな流れを生み出す。権力は、この流れを作りえたグループによって握られる。
少数派であると思っている人は、多数派が発する同じ内容の言葉の大合唱によって、脅迫されているような感覚に陥り、孤立を恐れて自分の意見を表明しなくなる傾向がある。
4.IA開発の促進が必要
AIではなく、IA(Interigence Amplifier 人の知的能力増幅)こそが人間の将来を豊かにする。
ハーバート・サイモンの「限定合理性」
行動する主体の意思決定には、辻褄の合わない要素が必ず含まれる。総じて意図した成果が現れることは難しい。したがって、組織は、実施内容の範囲を限定したうえで、合理性を実現するという仕組みを試行錯誤的に絶えず作り直すという作業をしなければならない。
アートとは寄せ集め。
自然の流れに反しても、まったく別のものを創りだす能力が人にはある。その能力を活かして、その場、その場の寄せ集めを編成することで人間社会は進展してきた。
「人工的」とは、本来の用途とは違う方向で使う物や情報を生み出すことが人工的なのである。構造の多様性の認識。
進化は、予め作られた設計図に基づいてゼロから行われる「エンジニアリング
」によって実現したものではない。
人間は様々なものを寄せ集めてものごとを企画してきた。複雑な人間行動を理解するためには、人間が描いてきたデザインを研究しなければならない。
第8章 性急すぎるAI論議――アラン・チューリングの警告
・おおげさなシンギュラリティ論
レイ・カーツワイルの説明
特異点とは、われわれの生物としての思考と存在が、みずから作り出したテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的であっても生物としての基盤を超越している。特異点以後の世界では、人間と機械、物理的な現実とヴァーチャル・リアリティとの間には、区別が存在しない。
・アラン・チューリングの問題提起
「人間に匹敵する知性をAiが持つようになることが、問題の最終目的ではない。その開発過程で、人間の持つ重要な資質である、必ずしも論理的とは言えない多様性を発見することの方が大切である」
「言葉を厳密に使いたがる多くの科学者とは異なり、彼は、言葉の曖昧さに、人間の本性の一部を見ようとした」
「科学者たちが無邪気に抱く夢には、パターン化できない人間への興味が希薄すぎる」
チューリングテスト(イミテーション・ゲーム)
デジタル・コンピューターが、「自分は機械でなく人間である」ことを「本物の人間」に思いこませること。
機械を人間と見紛うという意味は、風貌や仕草が人間に似ていることではなく、「知的能力」面で区別がつかないという点。
「デジタル」離散状態。飛び飛び。1という数値からいきなり2と言う数値に飛ぶ。
「アナログ」その間を隙間なく連続して量が推移する状態。
私たちが生活している現実はアナログの世界。デジタルの世界とアナログの世界は基本的に異なっている。
「ラプラスの悪魔」自然を動かしていることのすべての要素を知ることのできる「知性」(実際には存在しない架空のもの)が、将来のすべてを予測できると言えるためには、自然が、あくまでも離散状態にあることを前提にしなければならない。現実はそうではない。とくに人間はそうではない。
()人間は、自分が経験した範囲内で、しかも主観の入った確率的な予想、それも確信を持てない不安感を抱きつつ、行動しなければならない存在である。人間はあらゆる要素を解析するだけの広大な叡智を持っていない。どうしても主観的な確立に自らの判断の基礎を置くしかない。
「離散状態機械」ではない人間は、試行錯誤しかできない。
コンピューターをプログラミングする人間の不完全さ。
もっと、ゆっくり考えてみよう。まさに胡桃の資料本やな。