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読んだ本の記録  作者: 萩尾雅縁
【小説・ラノベ・漫画・ノンフィクション】
35/47

「天才月澪彩葉の精神病質学(サイコパス)研究ノート 」(ラノベ)

玄武 聡一郎 (著)(アルファポリス文庫) – 2018/9/23


内容(「BOOK」データベースより)

自分の理解できないサイコパスに出会いたい―。そう願ってサイコパスの研究を続ける月澪彩葉。彼女はその専門を生かし、警察の事件捜査にも協力していた。だがあるとき、サイコパスの犯行ではあるが、動機が全くわからない殺人事件に遭遇してしまう。第二、第三の凶行が続く中、事件解決の鍵となるのは、見ただけでサイコパスを見分けられる「共感覚」の持ち主、北條正人だった―。




 サイコパスに釣られて。

 参考文献本の半分、「平気でうそをつく人たち」「良心をもたない人たち」「サイコパス(中野信子 著)」は読んだことがある。


 でも自分のなかのサイコパスのイメージって、いまだに定まらない。


 まだ序盤だけど、論の組み方というのか、文体が自分の思考の仕方と合っていて読みやすい。こんなふうに思うのは初めてだと思う。文体が好き、とか、感性が合うとは違う。

 男性ラノベ作家の描く女性像が苦手で、あまり男性作家のラノベを手に取ることはないのも一因かも。(文芸だと、むしろ女性作家を読むことの方が少ない。)ちなみに、この本も、女性に対する視線はやはり苦手。でもそれは、善し悪しとは別次元の個人的な感覚の問題なので。今の時代、こんな主観でもプラカードに掲げて問題視したりするから、発言そのものを難しく感じる。



 それはともかく、やはり「サイコパスとは何か」が自分のなかで明快でないと、納得して読めない。猟奇的な事件=サイコパスとは思わないからなぁ。


 主人公、北條正人が共感覚でもってサイコパスを見分ける、のだけれど、どうやって見分けるのか今一つ判らない。本人にも解ってない。まだ半ばだから、これから説明があるのだろうか。

 感情の色によって見分けるのだと思うけど、サイコパスと一般人とどう違うのだろう。



 ここでちょっと、wikiでサイコパスの定義を復習。


 サイコパスといえば、ハンニバル・レクター。だけど、映画とドラマでは、そのハンニバル、サイコパス像の解釈にも大きな差がある。

 映画では、その衝動性。ドラマでは情動に揺さぶられない明晰さ。冷酷さの表現にも幅がある。


 そう考えると、月澪彩葉の持つサイコパス像は偏執的というか、こうならばこうなるはず、と定式的すぎるように思える。


 作中ででてきた漣レンの、飴と鞭のマインドコントロール法が、うちの1歳児のやることとまったくいっしょで、なんか苦笑い。

 叩いたり噛んだりして、こっちが痛くて嫌な顔すると、「いたい、いたい?」と聴きながら頭よしよししたり、耳舐めてきたり甘噛みしたりする。

 うちの1歳児は、けっこうヤバい奴かもしれない。

 自分的には、甘さよりも地味な痛みの苦痛の方が勝る。子どものもつ攻撃性や暴力性をどう扱うか、頭痛い。


 で、サイコパスの特性である共感性のなさって、けっこう頭で意識的に補えられるものだから、その表に見える共感的な姿と、視える色の差=嘘、=サイコパス? になるのかな?


 ここまでのところ、対象となっている人物よりも月澪彩葉の方がサイコパス的に思えるんだよな。ちゃんと人を心配したり、思い遣ったりはするんだけど、それが作為的に思えて。自分の良心に沿ってというよりも、そうあることが社会的だと理解しているからのような。


 これまで一度だけ、こいつサイコパスか、と疑った事のある人がいる。その人は、とても共感力が高く、情緒的に見える人だった。別に残虐な行為を好むこともない。

 それなのになぜ、サイコパスを連想させたのかというと、どのような状況下であろうと自分を最優先させる自己愛の強さと、他者の被る被害をまったく考慮できない想像力の欠如。共感や同情してみせることはできても、そのために自分が不利になる行動はしない。行動から逆算して、そこに在るはずの良心に疑いをもった。


 月澪彩葉も、北條正人にかかる危険を予測していても、自分の欲望を取り下げたりしない。


 愛情豊かな家庭で養育されていれば、サイコパスだってその特質が社会で生きていくうえで不利であると学べる。そして上手く立ち回ることを覚える。自分を正当化する言い訳を見つけることもできるはず。



 半ばからは予想通りの展開だった。北條くんの夢の辺りからは、この人、共感覚なんじゃなくて、統合失調症なんじゃないかって印象。

 相手の本質が見える、という彼に見えている本質は、()()()ではなく、彼のなかの受け入れられないものだったり、あるいは願望だったりの投影のように思えた。

 文献をいろいろ引いてきてサイコパスの定義も、これでもかって説明してくれるのだけど、自分には北條くんはサイコパスには思えなかった。まぁ、デミ・サイコパスという設定だからこんな感じの人物像が作られたのかな。それならもう少し、彼自身の性格形成への掘り下げがあったらよかったのにと思う。

 葛藤する心と、サイコパス要素の心、どちらが彼の本質なんだろ? 受け入れられないから分裂して見えるだけで、相反するものを合わせ持つのが人というもの。そんな本質はどんな景色なんだろうね。

 拒んできた自分のそんな一面を受け入れてからは、見える他者の景色も変わったのだろうか?  

 

 



 




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