「鼻」 (海外小説)
外套・鼻 (岩波文庫 赤 605-3) 文庫 – 2006/2/16 ゴーゴリ (著), 平井 肇 (翻訳)
ある日,鼻が顔から抜け出してひとり歩きを始めた――.滑稽洒脱かつ透徹した写実主義的筆致で描かれる奇想天外なナンセンス譚
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自分の文章のあまりの酷さに危機感を覚えて、いい文章を読みたい。最近小説を全く読めてなかったのもあり、スムーズに読めて躍動感のある文章が判らない。
本当は翻訳ものよりも純文が読みたいのだけど、引っ越しやらなんやらで手許に簡単に読める短編がない。あーこさんに借りていたこの本を思い出し、翻訳ものでもいいか……と読み始めました。翻訳ものは当たり外れが大きいのですが、この本は当たりでした。
高校のころ一番はまっていたのがロシア文学。ドストエフスキーとチェーホフが好きだった。トルストイは長編小説よりも民話が好きだった。
この「鼻」も多分読んでると思っていたけれど、あまり記憶にはない。読み終えて、これを忘れるってないよな、と思うので初見なのかもしれない。
読んでいる時の印象は、チェーホフでこれでもかと読まされたロシア小市民の日常や窮屈な上下関係の描写に通づるものがあるのだけど、なんといってもここでのメインディッシュは「鼻」。持ち主よりも高位の官服を着た、眉を気色ばらせて喋る「鼻」。想像力がおいつかない!
冒頭で川に捨てられたはずの「鼻」は、紳士の姿をして高飛びしようとしたところを「鼻」と見破られて捕まる。ということはやはり顔はなく「鼻」なのか……
視覚的に読む癖がついているので、視覚化が上手くできないことが面白くて。世相を写実的に描写しているのに、肝心の物語は、警官に尋問されるイワンの成り行きにしろ、コワリョフの噂にしろ、「どうなったか、とんと分からないのである」。
当然、好き勝手に逃げだしたコワリョフの「鼻」の意図も説明もなく。煙に巻かれた感じがとても面白い。
描かれているのは人間で、その人間性を炙り出すのが洒脱な怪奇なわけで。そこに、なぜやどうして、どうなったは要らない。描写されている現実で十分な満足感があるから、想像力を遊ばせることをただ楽しめて、そこに正解を必要としない。
凄いな、さすがだな、こういうの大好き。
*****追記
つらつら考えていて、この小説が特別好きな理由は、これが、想像力を刺激する、小説でしか表現できない世界だからやな。漫画や映画では、鼻が視覚化されてしまう。鼻であって紳士であることを両立させる文章の見事さよ。




