「騎士団長殺し 第二部 遷ろうメタファー編」(小説)
「自己と他者が解けた絵の具のように混濁し、その境目がどんどん不鮮明になっていた」
かなり面白くて、どんどん読み進んでいける。現実面の一部よりも、ファンタジー世界に踏み込んで行く二部の方がより面白い。
似ているわけでも、被るわけでもないけれど、「霧のはし」の世界観にいい影響をもらえそう。丁寧な描写や、見事な構成。
もっと、文学にしていいんだな。そんな背中を押してもらうような。買って手許においておこうかな。
語り手の「私」の、奇異な存在に対する恐怖のなさ、というのか、淡々とした反応がとても共感できる。不思議なのに、自然に受け入れられるというのか。
ほっとする。
ああ、「霧のはし」の続きを書きたい。うまく没入していけなくなっていた、書きたい想いを取り戻せそう。
私は自分が思っていた以上に、傷ついていたんだな。受け取る必要のない言葉、その構造を頭で理解していたとしても、悪意というものは毒素をもって、人を害する。そんな悪意に負けてはだめだ、と自分を叱咤してきたけれど。
距離の取り方とか、自分の世界の守り方とか。意識化するべきなんだな。
「私」の、自分の対象への距離の取り方、無関心さにも見える。相手を尊重することは、えてして「自分には関係ない」ってことになる。好奇心に従えば巻きこまれる。翻弄されることになる。それと、人としてすべきこととはって話は別。
まりえが消えた事件に関して、その因果を推し量り、自らの試練を受け入れていくのは「関係ない」では済まされない人としての自分の在り方の問題だと思う。
穴に入り、境界を踏み越えたところまで。残り三分の一。
「心は記憶の中にあって、イメージを滋養にして生きているのよ」
産道を想像させる狭い洞窟の横穴。導き手は亡くなった妹の声。対する試練は「二重メタファー」
「あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの、そのようにして肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているもの」
「おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ」
強迫的な超自我のようにも見える、「白いスバル・フォレスターの男」
「夏の扉を開けるとき」には、この試練の部分が足りない。書いているときもそう思っていた。
境界を越えて異界を旅する、通過儀礼をこなしていく、過程が圧倒的に薄くて。
さすがに、見習いたい。そしてちゃんとエンターテインメントになっているところ。
読み終えた。現実世界に戻ってからの謎解き種明かしは、ん? となる。騎士団長殺して異界に行くのと、まりえの件って、関連性あるのって?
「私」の成長のための死と再生の意味はあっても、まりえを救うためにどうつながっているのか、まったく分からない。免色さんの二面性、影の顔をほのめかしてはあるけれど、まりえの行動がたとえ彼にバレたとして、それほどの危険を伴うことになるとも思えないから。
騎士団長の命を捨ててまで、行動した意味が通じない。穴に入ることと、彼女の脱出とどんな関連性があるんだろう?
そして、プロローグはあって、エピローグがないのも、この話まだ続きがあるよね、と思ってしまうのだけど。それともまりえの肖像画のように、未完成のままで留めておく、続いている世界ということなのだろうか。
しかし、村上春樹の作品って、こういうこちら側とあちら側の物語だったとは!
知らなかったんですが、語句が被るのがなんとも。でもその世界に対する受け取り方は、この語り手「私」とは違う。
なんだろう。この一貫した「関わりたくない」感、「巻きこまれたくない」感は――。
境界を生きている人だからかな。そこに目を向けると現実感がひっくり返ると知っているから。現実を生きることの価値を知っているような。
「その二つの可能性を天秤にかけ、その終わることのない微妙な振幅の中に自己の存在意味を見いだそうとしている」免色と、
「信じる力が具わっている」「どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができる」私。
この小説にメッセージ性を探すなら、ここかな、と思う。世界に自分を預けることのできる幸せ、というのか。イデアの善性を信じ、自分を任すことができる気楽さ、というのか。
私も、もっともっと頑張ろうって思いました。
追記:ちょっと意外だったのが、同じ文面を何度も繰り返して書かれていること。確認するかのように。同じ表現や意味が重なることを避けようとしてしまうものだけど、記憶に刻み付けるように、ってことなのかな。
テーマ的にも。
そして、人物造形という面から考えると、取りたてて面白くもなく、魅力的とも思えない普通の人なところが、かえってすごいというのか――。そんな人物像で飽きさせずに読ませるところが。
免色さんは、まだ関心持てる。まりえは作り物っぽい。主人公は画家という以上の色が見えない。感情は確かに動いているのに、この躍動感のなさよ。
無を描く。




