「騎士団長殺し :第一部 顕れるイデア編 」(小説)
村上 春樹 (著)
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。
やっとこさ、村上春樹デヴューやわ。
ラカン派の精神分析家・小笠原 晋也先生のお薦め。
「最近の文学作品を挙げるなら,村上春樹氏の『騎士団長殺し』では,最初から最後まで,否定存在論的孔穴が さまざまな形に変奏されつつ 描かれています.あなた自身も 自分の夢を 注意深く観察するなら,さまざまな形で現れてくる穴に 気づくことができるはずです — 文字どおりに ぽっかり口を開いている穴,そこから 何か あるいは 誰かが 入ってこようとする 窓やドア,あるいは,あなたを呑み込もうとする海や炎,等々.そして,Freud が 精神分析の創始期に気づいたとおり,女性に対して極めて外傷的に作用し得る〈男の 性的な欲望 という〉穴.また,男にとっては,父の機能の不全のもとで 口を開いたままである「母の欲望」(le désir de la mère) の穴も 不安を惹起するものです.」
(ある日本文学研究者の Freud に関する 質問に 答えて より抜粋)
ところどころ、惹かれる表現がある。抜き書きしておけばよかったな。
「プジョーのワイパーは老人のかすれた咳のような音を立てていた」とか。
「まるで魔法か何かによって、過去の時間が目の前に蘇ってきたみたいに」
「前向きな意志の煌めき」「生きるための確かな熱源」
「そこにある空気はゼリーのように濃密で冷ややかに感じられた」
「静寂が深すぎる」
「世界の合わせ目に微かなずれが生じてしまった」
「それは果実を緩慢に死に至らせる退廃かもしれない」←そんなオレンジ色
「存在と非存在が混じり合っていく瞬間」
日本画を洋画に「自分なりに画面を解釈し「翻訳」する」ところとか、アル的。
というか、世界観に重なるものがあるのかもしれない。
妻の夢。
妻の中に亡くなった妹を見出して恋に落ちるところ。
「誰にも近づかない方がいい」攻撃性の自覚と処理の仕方。
端正に、緻密に重ねられていく描写は、さすがで、淡々としているのに、飽きずに読み進めていける、小説ってこういうものだよな、と思うと自分の稚拙さが恥ずかしい。
問いかけながら進んでいくところとか、一人称だからなのか、タイプ的に共通するものがあるのだろうか……。
【11.月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた】の回の、描けなかった「私」が、描く取っ掛かりを得た場面。
「その空白の奥を見つめながら、免色渉という一人の人物に意識を集中した。背筋をまっすぐ伸ばし、集中力を高め、余分な考えを可能な限り意識から削ぎ落した」
「彼に関する細かい断片が、私の中で少しずつひとつに結びついていった。そうするうちに免色という人間が私の意識の中で立体的に、有意義に再構成されていく感触があった」
「私の中にある隠されたスイッチをオンにしたようだった。私の内部、奥深いところで長く眠り込んでいた動物がようやく正しい季節の到来を認め、覚醒に向かいつつあるような、そんな漠然とした感覚があった」
なんだか、私の書けない感覚まで払拭してくれたように感じたよ。
「意味と目的」「系統だてて考える」
頻繁に問われる、相手は自分に何を求めているか、ということ。
イデア編、読み終えた。なかなかに入り組んだ構成。ちょと整理。
・私と元妻の関係性 →私と亡き妹、妹の役割を負っていた元妻
・私と免色
・免色とおそらくの娘、
・免色の娘、その叔母、と私
・私と騎士団長
・私と友人の画家雨田、その祖父雨田具彦そのウィーンでの過去
・私と人妻の愛人
・私とファミレスの女、スバルの男
自分の過去が唐突に想い返され、ナチス支配下の雨田の過去がぽつぽつと掘り返されていく。
現実で進んでいく時間と、そこから影響を受け、または与えて浮かび上がる記憶。無意識の具象化。
いまのところはそんな感じかな。




