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読んだ本の記録  作者: 萩尾雅縁
【精神分析・心理学】
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「創造する無意識 」その2(精神分析)

【エディプス・コンプレックス】


「人はとかくモラルというものを、人間に外側から強制される掟と考えがちですが、そうではありません。人間は自分自身のために作ったモラルを持つものなのです」


「おろそかにされた道義的心性」の補償としての逸脱。


 恥と羞恥の違いの根底にあるのは、これ。自分自身のモラルを持たないのか、もっていてもそっぽ向いているのか、しんどさを抱えている人って、この内的モラルを自ら破っているんじゃないかな、って思うことが多い。


 ・性的な成熟 →家族から押しだす →自主と独立の獲得。


 子どもは、内面的に、幼児期の環境からというよりも、彼自身の「幼児的な()()」から身を振りほどくには、困難を覚える。


 リビドーは感情や空想を生み出す。→コンプレックスの明確化。


 →活性化したコンプレックスから出てくる反道徳的な衝動に対する強い抵抗・反撥。 

 服従と反抗。


 リビドーは家族の外に対象を求めて生成発展していく。リビドーが囚われたままになっているのは異常で病的な現象。


「犠牲」の空想は、幼児期の願望の放棄を意味する。(→『リビドーの変容と象徴』に詳しい。)


 心理的な適応の過程で、新たな獲得を防げるものは、主として古いものや、それ以前の態度への保守的な固執。

 しかし一方において人間は、旧来の人格や対象をそのままにしておくこともできない。→自分のリビドーを過去に固着させることになる。→なにがしか貧しくなってしまう。


 何が? 貧しくなるのだろう。心が? 感性が? 今を生きられなくなって、人生そのものが狭まってしまうということだろうか。


 象徴の担い手である神々(宗教)によって、幼児の世界から広い世間へと移行、とある。


 このエディプス・コンプレックスが、フロイトとユングでは捉え方が異なっているんだな。


 ユングの考えるフロイトの解釈では、「無意識は、他人などにおかまいなしに、無制約の直截な満足を求めてやまない」、ショーペンハウアーの「盲目の意志のエゴイズム」という考え方に近い。


 心理的な近親相姦障壁は、インセスト・タブー(近親相姦の禁忌)に比べうるもの。


 エディプス・コンプレックスが具体的な性的願望か、ってことか。


 ユングの空想コンプレックスから、幼児期の愛着、そして思春期の、両親からの離脱に至る過程としてエディプス葛藤を理解しているので、そこはさすがに、考えられない。けれど、フロイトの性という語の捉え方も、そんなに狭いものなのか、という疑問もある。食の欲求→性衝動の補償行動ではなくて、快楽欲動としてのリビドー。性行為の性を意味しているわけではないと思うので。


 どっちも本人の書いたものを読んで、考慮するのがいいのだろうな。ユングの解釈するフロイトではなくて。


 ユングのエディプスの解釈は、その後に受け継がれていった家族から社会性の獲得へのエディプスの解釈合致していると思う。

 そこに宗教を介入させるのが、ユングの独自性なのかな。


 象徴を引き受ける神々、というモチーフは、また「霧のはし」に取り入れていけそう。





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