私の乱れる乙女心
絆創膏を撫でると、あいつの指先の感触を思い出す。
腕を掴む、強引だけど少し遠慮した力強さ。
足先を消毒するくすぐったさと、硬い指先が当たる感覚。
この浴衣にしたのは失敗だったかな。
悩みに悩んでようやく決めた一着。
お母さんに頼んで、何度も教えてもらった着付け方。
雑誌と睨めっこしてニ時間かけて整えた髪型。
精一杯勇気を出して問いかけるも、おざなりな褒め言葉で返されてしまった。
終いには鼻緒で擦りむくなんて失敗まで。
可愛くないからと、鼻緒にズレ防止の絆創膏を貼ろうとするお母さんを止めた事に後悔はしてない。
だけど、あいつの前でこんな可愛くない姿を見せることになるなんて。
「お茶、入ったけど」
唐突にかけられたあいつの声に、「ひゃい!」なんて返事が飛び出してきた。
ああ、可愛くない。そこは「うん」とか、「ありがとう」とか言うべきでしょう。
一人で反省しつつ、あいつの後に続いて居間に入ると、私の家とは違う香りがする。
当たり前といえば当たり前だ。
少し見渡せば壁にかけられた額縁の中に、子供の頃のあいつがいた。
「小学四年の頃のやつだな。地区大会で準優勝した奴だ」
表彰台で悔し泣きしているあいつ。
今よりも小さくて可愛い。そして溢れている涙を堪えている姿はどこか今と似ている。
「そうか?」
流石に今は分かりやすく涙を堪えている事は無いけれど、試合で負けた時の仏頂面を見ているとよく分かる。
この前の総体の話を持ち出すと、分かりやすくあいつは仏頂面になった。
表彰台には一歩登れなかったけど、全国ベスト四という輝かしい賞は学校から貰ったあいつ。
みんなは褒め称えたけれど、あいつは始終仏頂面だった。
きっと、この写真の中の小さいあいつと同じように悔しかったんだと思う。
「……そろそろ親父が帰ってくるだろうから、そしたら車で送ってくから」
唐突に話題を逸らしたあいつの顔は少し赤い。
照れてるんだろうか?
程なくして帰ってきたあいつのお父さんは、分かりやすいほどに酒の匂いがして、上機嫌だった。
その上、帰ってきた途端にソファに倒れ込み、寝てしまう始末。
私が挨拶する暇もなかった。
そして私たちが頼みの綱としてた自家用車は、居酒屋に置いたまま友人の車で送ってもらったらしい。
「親父め……」
お父さんの様子に呆れ、頭を掻いていたあいつと目があった。
心臓が跳ねる。
「……悪い。親父は無理そうだ。だから――」
だから?
心臓の音がうるさい。ドキドキと痛いほどに跳ねている。
ああ、ホントにうるさいな、あいつの声が聞こえないじゃない。
「――俺がチャリで送ってくから」
ああ、うん。そうだよね。
お泊まりなんて考えていた私がアホでした。
あいつが自転車を用意している間に、下駄に足を通して庭に降りる。
見上げれば満月。
今日の私はうまくいかない。星座占いでは恋愛運二重丸だったのに。
小さくため息をついた時、あいつがいつも使っているチャリを押してやって来た。
「悪い、待たせた」
荷台に横乗りして、どこか掴むところを探す。
「肩、掴んでくれたらいい。あいつらと二人乗りする時は大抵そうするし」
あいつはそう言うものの、私とでは身長差もかなりある。
横乗りしたらあいつの肩には手が届きにくいから腰に手を回す。
がっしりとした体にちょっと驚いた。
あいつの筋肉ってこんなにガチガチなのか。
私の家までは、約十分。
こんなに着かなければいいなんて思ったのは初めてだろう。
だから、喋る。
少しでもあいつと話していられるように。
少しでもこの時間が続くように。
だけどあいつは相変わらず口下手だ。
私が考え抜いた質問も搾り出した話題も、「そうだな」の一言で返してくる。
おかげで、話のストックはネタ切れだ。
もう少し喋れ、バカ。
「なぁ、三年の石田のこと、どう思ってるんだ?」
少しの沈黙の後、あいつが切り出してきたのは、私の所属している吹奏楽の先輩の話だ。
石田先輩は、私と同じクラリネットの奏者で、高音パートのリーダーだ。
ソロを任されるほどの腕前を持ち、その容姿から人気も高い。
吹奏楽に入部した新入生女子の六割が惚れ、告白して断られても諦めきれない子が多数いる程、人気の先輩だ。
とはいえ、私が石田先輩の事をどうこうと言うのはない。
演奏面では尊敬はできる人だが、身近にいればダメなところもよく見えると言うもの。
この間もリードを水につけすぎて台無したり、楽譜を忘れて私の楽譜を急遽コピーしたりとトラブルが絶えない先輩だ。
私から見れば、面倒がかかる先輩というのが正しい認識だろう。
「……そうか」
ほら、またそれだ。私が九割、あいつが一割。
会話の比率としてはそんなもんだろう。
完全にネタ切れしたため、私が次の会話の切り口が思いつくまでお喋りは中断だ。
……だけど、こうして喋らずに、あいつの背に体を預けているだけというのも、なかなか悪くないかもしれない。