命がけの恋だけど……
暗い夜道……街灯にぼんやりと照らされた少女が居る。
その少女を見て、僕は何故か立ち尽くしたまま動けない。何故か少女の顔は見えない。見えないけど僕にはなんとなくだがはっきりと理解出来る。
僕は、その少女に見惚れているんだ。美しいと、綺麗だと、心底から彼女に見惚れているんだ。
ああ、だからだろうか?少女が包丁を手に、僕にゆっくり近寄ってくるのに全く怖く感じない。
いや、きっと彼女がどれほどの殺意を以って僕に近寄ったとしても。例えそれにどれほどの危機を感じたとしても僕は彼女を怖いと感じなかっただろう。それだけは理解出来る。
ああ、きっと。きっと僕は彼女の事を…………
・・・ ・・・ ・・・
「おい?おいっ!さっさと起きろっ‼」
「……んぁ?」
目を覚ます。其処は学校の教室だった……どうやら何時の間にか眠っていたらしい。
教師の室井は呆れた顔で溜息を吐いている。周囲はくすくすと笑っていた。
市内でも大きな進学校、その高等部三年二組が僕のクラスだ。どうやら現在ホームルームの最中で出欠確認をしていたようだ。うむ、だれも起こしてはくれなかったか。
まあ、別に良いけども。
「……はぁ、まあ良い。それより今日は転校生の紹介をしようと思う」
転校生?こんな中途半端な時期に?
現在は7月7日、夏だ。もうすぐ夏休みに入る時期に転校生?
その疑問は他のクラスメイト達も同様だったようで、僅かにざわついている。それを察したのか室井は手を叩いて静かにするよう促した。
「みんなの気持ちも理解出来るが、其処はまあご家族の都合とだけ理解して欲しい」
そう言って、みんなを無理矢理納得させると入口の外側に入ってくるよう声を掛けた。
ドアが開く。教室内にその人物が入ってきた、その瞬間僕はよく分からない感覚に襲われた。
何だか、背筋がぞっとするような。まるで背中に服の内側へ直接氷を入れられたような、そんな心底から凍えるような感覚に近い。
だけではない。脳内に直接雷が落ちたような、全身に高圧電流が走るかのような、そんな途方もなくよく分からない感覚が僕の内側を走り抜けた。
転校生は女の子だった。顔立ちは僅かに幼さのある、それでいて腰回りは細く胸元はしっかりと存在を主張している見事な体型だった。
背丈は平均より小柄だが、それでも十人中十人は見惚れるような美少女だ。
そんな事を考えていたら、背中をつんつんとペン先でつつかれた。クラスメイトの中島さんだ。
「ねえ、なんかやたら可愛い女の子が転校してきたんですけど?どうしたら良いのかな?」
「……少なくとも、中島さんは黙ってれば良いんじゃないかな?」
僕の言葉に、中島さんはぷくぅっと頬を膨らませる。どうやらご立腹らしい。
「酷いなあ……私が何か余計な事をするとでも?」
「…………しないのか?入学初日に他の女子相手にセクハラをかましたくせに」
その事件は割と学校中で伝説になっている。一応言っておくと、中島さんは女性だ。ただ、其処に加えてかなりの百合でもある。同じ女子同士だと途端におっさんと化すのである。
ついっと視線を背ける中島さん。そんな僕たちに、室井の説教が飛んでくる。
「ほら、其処の二人!無駄話はそこまでにしなさい!」
「はい」
「はぁーいっ」
僕たちが黙ったのを見て、転校生の少女は自己紹介をした。
「私の名前は安達かなえです。以前は京都の伏見に住んでいました、どうぞよろしくお願いします」
そう言い、僅かに頭を下げる。その所作は洗練されていて、何処か優雅だ。
しかし、何処か僕は違和感のようなものを覚える。
何故かは知らない。けど、何処か……
その違和感は、授業が終わって終礼が過ぎても拭えなかった。少し、小骨が刺さったような気分に落ち着かないような感じだった。
・・・ ・・・ ・・・
夜、8時32分———外はもうかなり暗い。僕は夜の散歩をしていた。
夜の散歩はもはや日課となっている。その日課をとがめる者は誰一人居ない。
父さんは何時も酒浸りで家に居ると暴力が飛んでくる。母さんはそんな父さんに尽くす事に執心して息子には一切関心がない。弟は何時も僕を馬鹿にして下に見ている。
なんとなく家に居づらいので、もう夜の散歩が日課となってしまった訳だ。
そんな時、ふと気付く。夜は人通りの全くないこの路地で、一人の少女がゆっくりと僕へと近付いてくるのが薄暗いなか見える。その少女の手に持っているもの……
それを見て、僕は思わず戦慄した。
街灯に照らされ鋭く光る、それは間違いなく包丁だ。
そして、その少女の姿を見て僕は今朝教室で見た夢を思い出す。そして、転校生の少女を見た時の言いようのない衝撃も同時に思いだした。
そう、夢で見た光景と重なるその包丁を持った少女。彼女は転校生の安達さんだった。
安達さんは、いっそ美しい笑みで月明りと街灯に照らされ包丁を片手に僕に近付いてくる。
思い出す。最近、京都を中心に連続通り魔殺人が起きていた話を。
そして、確か彼女が転校する前に住んでいた場所は……
歯ががちがちと鳴るのが分かる。だが、決して恐怖からではない。殺されるという危機感から動けない訳では断じてない。なら、何故逃げないのか?
静かに呼吸を整え、ゆっくりと彼女と向き合う。この感情を理解した為か、何時の間にか震えは止まり彼女と真っ直ぐ向き合う事が出来た。
安達さんも、 僕の雰囲気が変わったのを感じたのか笑みはそのままに立ち止まった。
そんな彼女に、凍り付くような笑みをたたえた安達さんに、僕は想いを告げる。
「安達かなえさん、貴女の事が好きです」
「…………」
一瞬、安達さんの表情が凍り付いた。だが、なんとか持ち直したのか一瞬で表情を元通りに彼女は僕に問いを投げ掛けてくる。
「何故?貴方、今の状況を理解しているの?」
「はい、ですが僕の気持ちは変わりません。僕の命と、すべてを捧げても構いません。僕は、安達さんの事が死ぬほど大好きです!」
これが、僕と彼女の出会い。命がけの恋の始まりだった……